勲 章 | 経 歴 | 氏 名 |
瑞 宝 中 綬 章 | 名誉教授(元 経済学部教授) | 石 坂 昭 雄 |
瑞 宝 中 綬 章 | 名誉教授(元 工学部教授) | 谷 口 博 |
瑞 宝 単 光 章 | 元 北海道大学病院看護部看護師長 | 大 沢 修 子 |
各氏の受章にあたっての感想,功績等を紹介します。
(総務企画部広報課)

- 石坂 昭雄 (いしざか あきお) 氏
感 想
この度は,叙勲の榮を賜り,まことに光栄に存じます。ご高配を賜りました皆さま方に厚く御礼申しあげます。私が,琴野 孝先生の後を承けて,北海道大学経済学部の西洋経済史担当の助教授として赴任しましたのは,1966年8月のことで,北海道大学初代経済学部長を務められてから東京大学に移られた日本経済史の山口和雄先生からのお勧めによるものでした。爾来33年にわたり,本学で,研究と教育に従事してまいり,この間,同じ経済史関係の同僚や研究の仲間の皆さんだけでなく,これこそが総合大学の魅力であり,戦後の法文学部当時からのよき伝統が受け継がれていたといえますが,狭い専門や学部,学科の垣根をこえた,文系の諸学部だけでなく,ときには理系も含めた本学の多くの先輩や同僚の方々との知的,学問的交流のなかから非常に大きなものをえることができました。
もちろん,当初は現在と違って,研究の中心から遠く離れた北海道大学で西洋経済史の研究,しかもとりわけオランダ経済史という,比較経済史研究では極めて重要ながらわが国ではまだまだ未開拓といって良い分野の研究に携わるのには少なからぬ不便はありましたが,他方で,この研究テーマを選んだことで,そして若いうちから講義や演習でも,大学院での研究指導でも,西洋経済史全般について責任をもたされたお陰で,長い目で見れば,一国経済史の枠組みを越えたヨーロッパの全体としての発展や国際的関連への視野を身につけることにもなりました。そして,1972年に博士論文にもなった『オランダ型貿易国家の経済構造』を出版して,これまでのオランダ経済史研究に一つの区切りをつけることができましたが,その後は,オランダ経済史や隣接のベルギー経済史研究を基盤としながらも,オランダの経済的興隆と17世紀のヨーロッパ経済との関連,オランダ・ベルギーのプロテスタントの信仰亡命者による経済活動の移転,あるいは工業化における地域の問題など,ヨーロッパ経済史全体に関わる問題に積極的に取り組んでまいり,またいろいろの共同研究や執筆の機会も与えられました。研究の条件も次第に改善され,いろいろの重要な文献を本学の図書館に整備できただけでなく,国内のみならず海外の大学からの相互貸借の道も開かれて,在職中はひとかたならずその恩恵を蒙りました。また,1983年頃から,私自身も研究代表者の一人になって,西ヨーロッパの地域と工業化についての新しい視点での全国的な共同研究を組織したのですが,その研究成果の刊行でも,厳しい出版事情のなか,二度にわたって北海道大学図書刊行会(現北海道大学出版会)のお世話になりました。
この度このような栄誉に浴することができましたのも,こうして長年にわたってよき研究環境を与えてくださった北大,そして同僚や多くの周囲の研究者のみなさん,家族のご支援のおかげと考えております。最後になりましたが,ここに深く感謝し御礼申し上げる次第です。
功績等
石坂昭雄氏は,昭和10年4月29日京都市に生まれ,同33年3月東京大学経済学部経済学科を卒業,同年東京大学大学院社会科学研究科理論経済学・経済史学専門課程修士課程に,同35年同博士課程に進学,同39年3月東京大学大学院経済学研究科博士課程(社会科学研究科の改組により改称)理論経済学・経済史学専門課程を単位修得退学し,同年4月に東京大学社会科学研究所助手に採用されました。昭和41年8月に北海道大学経済学部助教授に昇任後,同49年9月25日には東京大学から経済学博士の学位を授与され,同53年4月北海道大学経済学部教授に昇任,平成8年1月から同9年12月まで経済学部長に就任し,同11年3月に停年により退職し,同11年4月に北海道大学名誉教授の称号が付与されました。その後,平成11年4月から札幌大学経済学部で教鞭をとり,同13年4月から同15年3月まで経済学部長,同15年4月から同18年3月まで大学院経済学研究科長として当該学部・大学院の発展に努められ,同18年3月に定年により退職されました。同氏はイギリス重商主義の租税政策の研究を起点とした比較史的見地による同時代のオランダ租税制度研究に取り組むほか,オランダ経済史研究の延長線上に,オランダから分離独立したベルギーの産業革命研究でも優れた論攷を発表し,さらには国境を越えた全ヨーロッパ的関連を視野に入れた国際経済史研究へと研究領域を発展させました。これらの業績をまとめた著書や西洋経済史・一般経済史の概説書などを意欲的に刊行する傍ら,ヨーロッパの西洋経済史研究の名著の翻訳にも尽力し,日本の西洋経済史学発展に大きく寄与されました。
北海道大学外においては,土地制度史学会(現政治経済学・経済史学会)理事や社会経済史学会理事として当該学会の運営に携わるとともに,後進の指導にあたられました。
一方,同大学内においては,教育者として優秀な人材を数多く世に送り出すとともに,評議員や経済学部長として大学行政の枢機に参画し,また経済学部の発展に貢献されました。
上述のとおり,同氏は40年近くにわたり,北海道大学及び札幌大学の研究教育・運営に尽くすと同時に,日本における西洋経済学史学の優れた研究者としてその発展に貢献され,その功績は誠に顕著であります。
略 歴
生年月日 | 昭和10年4月29日 | |
昭和39年4月 | 東京大学社会科学研究所助手 | |
昭和41年8月 | 北海道大学経済学部助教授 | |
昭和53年4月 | 北海道大学経済学部教授 | |
平成元年8月 | ![]() |
北海道大学評議員 |
平成3年7月 | ||
平成8年1月 | ![]() |
北海道大学経済学部長,北海道大学評議員 |
平成9年12月 | ||
平成11年3月 | 北海道大学停年退職 | |
平成11年4月 | 北海道大学名誉教授 | |
平成11年4月 | 札幌大学経済学部教授 | |
平成13年4月 | ![]() |
札幌大学経済学部長 |
平成15年3月 | ||
平成15年4月 | ![]() |
札幌大学大学院経済学研究科長 |
平成18年3月 |
(経済学研究科・経済学部)

- 谷口 博 (たにぐち ひろし) 氏
感 想
この度,関係各位のご推挙による教育功労が認められ,叙勲の栄誉に浴すことができました。心から厚くお礼申しあげます。思い出しますと,昭和28年に北海道大学工学部機械工学科を卒業して10年を三菱日本重工業(現在の三菱重工)にて過ごし,熱機関の設計開発に従事しましたが,縁あって昭和38年に北海道大学助教授として機械工学科に勤務することになりました。大学での教育研究生活に入る前から,熱機関に関連する火炉内放射伝熱を研究テーマとしておりましたが,昭和35年頃に我が国で最初のIBM大型コンピュータ利用を始めておりましたので,三次元積分方程式による放射伝熱の数値解析を目指していたのです。しかし,世界の趨勢は二次元積分方程式による解析に止まっており,実機の必須条件である三次元積分方程式への挑戦は皆無でした。幸い,米国テキサス大学ハウエル教授のモンテカルロ法による二次元積分方程式の数値解析のあることを知り,三次元数値解析への拡張を試みることにしましたが,当時の大型コンピュータでも計算時間が制限を越え苦労したことを覚えております。このテーマによる研究成果を纏めることで,昭和48年に博士学位を取得することができ,昭和54年には教授に昇任させて頂きました。
一方,熱機関の新しいテーマとして蒸発過程を伴う動力発生の実機開発に取り組むため,新技術開発事業団(現在の科学技術振興機構)から億単位の研究費を獲得し,昭和59年には開発に成功し,昭和61年に空気調和・衛生工学会論文賞を受賞することができたのです。その間,昭和57年には文部省在外研究員として米国カリフォルニア大学に滞在し,同大学ギート教授との共同研究による理論解析に成功して,米国機械学会論文集への掲載を果たしております。
モンテカルロ法による実機火炉開発への応用は,三次元放射・対流共存伝熱の数値解析として全国各企業との共同研究テーマになり,平成7年に米国ミシガン大学ヤン教授との共同執筆で英文著書"Advances in Heat Transfer Vol.27"を独占出版(通常は幾つかのテーマによる出版)することができたのです。この研究成果が認められて,平成7年に財団法人谷川熱技術振興基金熱技術賞,平成8年に日本燃焼学会功労賞,平成10年には北海道科学技術賞を受賞しております。また,この火炉開発テーマと動力発生の実機開発テーマの双方が評価されて,平成18年の北海道功労賞の受賞に繋がりましたが,北海道科学技術賞と功労賞のダブル受賞は工学部で二人目と伺い,身に余る光栄と存じている次第です。
学部および大学院教育の教科書として昭和51年から平成24年の間に,電子計算機の応用,蒸気原動機,熱と流れのコンピュータアナリシス,大学講義シリーズ蒸気原動機,品質管理,モンテカルロ法による放射伝熱解析,エネルギー管理,エネルギー・環境への考え方,例題で学ぶ品質管理などの書籍を出版して,多くの学生の方々に利用して頂きました。
現在のところ,軽度の身体障害はご座いますが,北海道知事の委嘱による教育講座あるいは国際会議での発表などを通じて,専門分野にて微力ながらお役に立つことができればと思っております。関係各位に改めて感謝申しあげ,お礼の言葉にさせて頂きます。
功績等
谷口 博氏は,昭和28年3月北海道大学工学部機械工学科を卒業後,三菱日本重工業株式会社勤務を経て,同38年1月に北海道大学工学部助教授に採用されました。その後,昭和54年4月教授に昇任し,平成6年3月31日停年により退官され,同年4月に北海道大学名誉教授になられ,退官後も北海学園大学教授として招かれ,平成13年3月に退職されるまでの間,熱機関学の研究・教育の発展に尽力されました。同人は,一貫して火炉内の伝熱に関する研究に取り組まれ,特に,放射伝熱解析の分野で先端的かつ独創的な研究を行ってこられました。具体的には,従来,経験的な実験式を組み込んだ予測手法しかなかった火炉内の伝熱解析の分野に,偶然現象の経過をシミュレーションする場合に乱数を用いて数値計算を行い,問題の近似解を得る方法であるモンテカルロ法を導入し,複雑な燃焼場でのガス温度分布,壁面への熱流束分布を求める手法を確立され,伝熱解析を短時間で行うことを可能としました。この成果は,効率的で低公害のボイラや未利用エネルギー有効活用の研究に繋がる等,エネルギー産業界での技術開発に大きく貢献され,これらの功績に対して,平成7年に財団法人谷川熱技術振興基金熱技術賞,平成8年に日本燃焼学会功労賞,平成10年には北海道科学技術賞を受賞されました。
同人はまた,熱機関サイクルの効率向上のための研究にも努められ,熱併給ガスタービンプラントの性能解析,ガス−蒸気複合サイクルの性能解析,ヒートポンプ・ボイラシステムの開発を行われました。特にヒートポンプ・ボイラシステム(注:熱機関の発生動力でヒートポンプを駆動し,低熱源からくみ上げた熱と熱機関の排熱とを組合せて熱供給を行う方式)は,その概念の提案や性能解析のみならず,これに用いられる各種のコンポーネントの効率向上を目的とした実験・解析を行い,これらをまとめたパイロットプラントの運転と性能の実証を通じてその実用化に努められた結果,札幌駅北口地域の地域暖房プラントに採用され,この業績により,昭和61年に空気調和・衛生工学会論文賞,平成18年に北海道功労賞を受賞されました。
同人は,教育・研究に従事する傍ら,学内において発明委員会委員長や各種情報関係委員会委員を務め,本学の情報処理の教育・運営面で多大な貢献をされ,工学部においても,省エネルギー委員会,大学院制度委員会,施設委員会の委員長等を務められ,工学部の運営に参画するとともに,その発展に尽くされました。さらに学外においても,日本機械学会北海道支部長,空気調和・衛生工学会理事及び北海道支部長等,我が国の熱関係の学協会の委員を歴任し,学術の発展に大いに寄与された他,新技術開発事業団の斡旋委員として,大学や公的機関での研究成果が産業界で活用されるよう尽力されました。
また,米国カリフォルニア大学,ミシガン大学,韓国全北大学,中国精華大学,浙江大学,哈爾濱工業大学等との研究交流を通じて,国際的な研究協力の推進に努められ,浙江大学からは名誉教授の称号を授与されております。
以上のように同人は,国内外を問わず教育及び学術研究の発展に尽力するとともに,学生や大学運営,産業界,地域社会へその成果を還元し,多くの業績を残されております。
略 歴
生年月日 | 昭和5年12月5日 | |
昭和28年4月 | 三菱日本重工業株式会社 | |
昭和38年1月 | 北海道大学工学部助教授 | |
昭和54年4月 | 北海道大学工学部教授 | |
平成6年3月 | 北海道大学停年退職 | |
平成6年4月 | 北海道大学名誉教授 |
(工学院・工学研究院・工学部)

- 大沢 修子 (おおさわ しゅうこ) 氏
感 想
この度は,春の叙勲の栄誉を賜りまして誠にありがとうございます。身に余る光栄と思っております。これはひとえに関係者の皆様のご支援とご尽力の賜物と深く感謝とお礼を申し上げます。昭和50年,学べる場所と考え,北海道大学病院に就職させていただき,37年間を過ごさせていただきました。思いかえすと北海道大学の緑豊かな広大なキャンパスを満喫するというより,あわただしく通りぬけた気がします。看護師になったきっかけは,母が保健婦をしており,小さいころから女性が仕事をすることは当たり前と考えていました。楽しく,やりがいを感じながら大学病院という場で,このように仕事を続けられたことは,大変幸せであり幸運な人生と思っています。このことは偉大な先輩・同僚・後輩そして・北海道大学病院に関係するすべての皆様のおかげと心より感謝申し上げます。振り返ってみますと,入職は耳鼻科病棟で,1人夜勤で怖かったという思いと,患者さんとは,終末期まで関わりが続くと肝に銘じ,ホスピスケア研究会で10年間学びました。また,外科では急性期を確実にケアできるための技術が必要と感じた時期です。昭和58年からの手術部11年間は,清潔ホール型手術部が日本で初めて作られ,使い方を日本中に知らせるという機運があり,よく実験研究を行い,毎年学会発表すると決め,指導を受けました。発表後に,その土地の最高の料理を,三浦哲夫先生がご馳走してくれることを楽しみに,皆で遅くまで頑張りました。平成10年,大田すみ子看護部長より「手術件数を上げる,生体肝移植手術の手術部での体制整備のため」と鶴の一声で手術部に出戻り,徹夜を繰り返した結果,看護師を増員していただきました。医療の進歩により最先端の手術医療が取り入れられ,医師・麻酔科医の技術の進歩に後れを取らないように,看護師も皆,常に学び,新たなことは講義をしていただきました。時代の最先端手術の醍醐味を見せていただき,10年間で手術件数を倍増できたことは,外科医・麻酔科医・看護師の技術の向上と皆の頑張りだったと思います。
管理者の役割は,良い看護を提供するための職場づくり,人を育てることと学び,近づく努力をしてきました。北海道大学病院の手術看護師の技術は,日本のトップレベルとして認められてきました。毎年,看護学会・手術医学会に研究を発表し,北海道大学版の体位アセスメント本を出版できたことも大きな成果です。日本手術看護学会副理事長の6年間は,手術看護の認定看護師申請の準備を行い,平成15年に日本看護協会から認可を受け,平成16年に1期生が誕生したことは本当にうれしい出来事でした。
卒業生が,手術を受ける患者さんの安全・安楽・安心のために実践していることで,確実に全国の手術看護師の質向上につなげられたと思っています。外来の4年間は,「子育てしながら働き続けられる職場づくり」「患者さんの受診目的を達成する」をテーマに,協力し合う素晴らしいメンバーと時をともにできました。手術部・外来ともに北海道大学看護部の提唱する患者参加型看護を実践できたことも喜びです。人の付き合いは,義理と人情と感情といいながら,地で過ごさせていただき,沢山の無礼を,見過ごしてくださいました皆様に感謝申し上げます。最後になりますが,北海道大学・北海道大学病院・看護部の発展をご祈念申し上げ,お礼の言葉といたします。
功績等
大沢修子氏は,昭和26年9月6日に北海道様似町に生まれ,同47年3月に十勝衛生学院准看護婦科を卒業後,市立江別総合病院に勤務し,同50年3月に市立江別高等看護学院を卒業後,同年4月北海道大学医学部附属病院に文部技官として採用され,平成元年副看護婦長,同6年看護婦長を歴任し,同24年3月に北海道大学病院を定年退職するまで勤務されました。同人は,当初勤務した耳鼻咽喉科病棟,第二外科病棟における看護実践では,手術を受ける患者の安全・安楽はもとより,常に患者の生活に視点を置き,周手術期の看護の質向上に努め,昭和53年日本看護学会(成人看護)で「上顎腫瘍患者の栄養面での一考察」を発表し,看護学生の実習指導やスタッフ育成,業務改善等に取り組まれました。
平成元年4月,手術部・救急部・ICUの副看護婦長に昇任され,手術看護の専門性の確立に取り組むとともに,日本手術部医学会総会において「手術用手袋のピンホール発生頻度に関する検討」,「手術用手袋の選択に関する一考察―ピンホール発生頻度を通して」を発表され,これは手術手袋交換時間のエビデンスとなっています。
また,手術を受ける患者の安全性にも取り組み,「側臥位における腋窩保護材の一考察」等を日本手術部医学会総会で発表しました。
平成6年4月に耳鼻咽喉科病棟の看護婦長に昇任後は,手術部・救急部・透析室,医科外来ナースセンターで看護婦長を歴任されました。その間,看護管理・教育へも積極的に関わり,スタッフ及び看護職のリーダ育成に努めることで,実践力の高いチーム作りを推進しました。さらに,手術部・救急部・透析室では,在任期間10年で臓器移植医療等の高度先進医療導入を進め,年間手術件数を倍増させ,病院経営に貢献されました。
この間多数の看護研究を指導し,日本手術看護学会「眼周囲への血液飛散状況報告」等多数発表しました。平成17年初版の共著「みる 看る わかる 手術患者の体位アセスメント―術前・術中・術後の観察ポイント」は手術看護認定看護師の活動での必携の書とされるなど,手術看護の充実に貢献されています。
同人は,社会的活動も精力的に行い,北海道看護協会においては,教育委員,推薦委員を歴任され,北海道看護協会における継続教育に尽力されました。手術看護においては,平成11年度から13年度及び16年度に,日本手術看護学会北海道地区会長を歴任,併せて,平成11年度から13年度まで日本手術看護学会理事,平成16年度に副理事長を歴任され,北海道のみならず日本の手術看護をリードし,発展させました。
以上のように,本院ならびに日本における看護管理・教育,特に手術看護の充実に尽力された功績は誠に顕著であると認められます。
略 歴
生年月日 | 昭和26年9月6日 | |
昭和47年4月 | 市立江別総合病院看護婦 | |
昭和50年4月 | 北海道大学医学部附属病院看護部看護婦 | |
平成元年4月 | 北海道大学医学部附属病院看護部副看護婦長 | |
平成6年4月 | 北海道大学医学部附属病院看護部看護婦長 | |
平成15年10月 | 北海道大学医学部・歯学部附属病院看護部看護師長 | |
平成24年3月 | 北海道大学定年退職 | |
平成24年9月 | 医療法人弁仁会中垣病院看護部長 |