文学研究科教授望月 恒子 (もちづき つねこ) 氏

平成6年4月に文学部助教授として着任し,23年間を北大で過ごさせていただきました。それまで複数の大学でロシア語を教え,それなりに忙しくしておりましたが,40歳を迎えてから,専門のロシア語ロシア文学の常勤職に就くことができたので,その喜びは非常に大きいものでした。あれから20年以上,学生たちはいつも素直で,生き生きと勉強して,スポンジが水を吸い込むようにロシア語を吸収してくれました。教育の楽しさは自分の研究にも刺激を与え,作家チェーホフやブーニンを中心に,北大の豊富な蔵書を存分に使って,ロシア文学を研究することができました。
平成20年に文学研究科長に選出された時,北大で初の女性部局長だと言われ,自分の世代でもまだ,「女性初の」という形容が付くことがあり得るのかと驚きました。それを皮切りに,後半は管理運営の仕事の割合がぐんと増え,附属図書館副館長や副学長を務めました。ストレスフルな時期もありましたが,これらの職のおかげで,北大という大きな組織を身をもって知ることができたと思っております。
一緒に仕事をして,力不足の私を支えてくださった,本当にたくさんの教員・職員の皆様に,心から感謝申し上げます。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年8月4日 | |
| 昭和51年3月 | 東京大学文学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了 | |
| 昭和58年3月 | 東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻博士課程単位修得退学 | |
| 平成元年4月 | 札幌大学非常勤講師 | |
| 平成元年4月 | 駒澤大学非常勤講師 | |
| 平成3年4月 | 北海道大学教養部非常勤講師 | |
| 平成6年4月 | 北海道大学文学部助教授 | |
| 平成12年4月 | 北海道大学大学院文学研究科助教授(文学部併任) | |
| 平成17年3月 | 北海道大学大学院文学研究科教授 | |
| 平成17年5月 | 北海道大学役員補佐 | |
| 平成18年3月 | ||
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院文学研究科副研究科長 | |
| 平成20年3月 | ||
| 平成20年4月 | 北海道大学大学院文学研究科長・文学部長 | |
| 平成22年3月 | ||
| 平成23年4月 | 北海道大学附属図書館副館長・北図書館長 | |
| 平成29年3月 | ||
| 平成26年4月 | 北海道大学副学長・人材育成本部長 | |
| 平成29年3月 |
文学研究科教授山田 友幸 (やまだ ともゆき) 氏

私が子供時代を過ごしたのは第2次世界大戦後の復興期で,電話もテレビも一般家庭には普及していませんでした。その後テレビや電話が普及し,ステレオや車も普及したものの,私の大学時代は,卒業論文や修士論文はまだ原稿用紙に万年筆で手書きでした。やがて,ワープロ専用機やパソコンが手の届く値段になり,インターネットができ,国際会議をはじめとする研究上の国際交流が盛んになって,今ではノートパソコンやスマホで国内外の研究者とオンラインで討論できるようになり,学問の世界の日常は大きく変わりました。
私が北大に赴任した頃は,まだ日本の哲学者は日本語で論文や著書を書くのが普通で,私も外国語で論文を書くことは想定していませんでしたが,縁あって赴任直後の平成2年秋にスタンフォード大学に2ヶ月滞在した際,初めて英語で研究発表をしました。今では国内外の国際会議等で講演する機会も増え,論文も主に英語で書くようになり,世界中に知己ができるなど,北大での研究者人生は幸福であったと感謝しています。
しかし他方では,津波による福島第一原子力発電所の破壊が露にした科学技術文明の危うさやテロリズムの脅威,温暖化の進行に伴う気候の苛酷化など,明るい未来像を描きにくい時代になりつつあるのも事実です。北大には,苦難の時代を乗り越える力となる若者を文理ともに輩出していってほしいと願っています。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年12月30日 | |
| 昭和52年3月 | 東京大学文学部第1類卒業 | |
| 昭和55年3月 | 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了 | |
| 昭和58年3月 | 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士課程単位修得退学 | |
| 昭和58年4月 | 東京都立大学人文学部助手 | |
| 昭和61年4月 | 信州大学人文学部助教授 | |
| 平成2年4月 | 北海道大学文学部助教授 | |
| 平成2年9月 | スタンフォード大学CSLI客員研究員 | |
| 平成2年11月 | ||
| 平成8年1月 | 北海道大学文学部教授 | |
| 平成12年4月 | 北海道大学大学院文学研究科教授(文学部併任) | |
| 平成15年9月 | スタンフォード大学CSLI客員研究員 | |
| 平成16年7月 | ||
| 平成23年10月 | アムステルダム大学ILLC客員研究員 | |
| 平成23年12月 |
医学研究科教授佐々木 秀直 (ささき ひでなお) 氏

私は医学部生の時から神経学に関心を持ちました。症候学による論理的な局在診断学の魅力もさることながら,わからないことが多く,これから飛躍的な発展の期待される領域として関心を寄せました。卒業後,筑波大学附属病院レジデントとして2年間にわたり内科系各科で研修し,3年目から神経内科を専攻しました。研修を終えて母校に戻り,創設期の神経内科学教室(初代教授は田代邦雄先生)に一員として加えていただきました。
北大神経内科はgeneral neurologistとして,診療と臨床研究を通じて医療と教育に貢献しています。教室を引き継いで改めて認識したことは,道民が北大神経内科へ寄せる期待の大きさです。人手不足の中で,教育・研究・診療に努力している教室関係者に感謝しています。
母校で働いて30年が過ぎました。幸いなことに,その間,指導者,仲間,機会に恵まれました。2代目教授として神経内科の発展に尽力したつもりですが,まだまだ未熟であり,足跡に誇れるものがありません。はや定年となりましたが,特任教員としてさらに2年間,母校と神経内科の発展に尽くしたいと思います。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年8月1日 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学医学部卒業 | |
| 昭和59年10月 | 博士(医学)(筑波大学) | |
| 平成8年4月 | 北海道大学医学部講師 | |
| 平成14年11月 | 北海道大学大学院医学研究科准教授 | |
| 平成15年7月 | 北海道大学大学院医学研究科教授 |
医学研究科教授岩永 敏彦 (いわなが としひこ) 氏

平成6年から23年間お世話になりました。獣医学研究科と医学研究科を通じて組織学(顕微鏡を使った解剖学)の教育と研究に携わり,毎日染色と顕微鏡観察をして過ごしたという印象です。組織学は美しい世界に触れることのできる学問で,その点では色彩にあふれた豊かな学者人生だったと言えます。得られた成果を,存分に教科書やアトラスの作成に利用することができました。研究室の運営にはチームワークが重要ですので,毎日昼食やコーヒーブレイクを教職員や学生と共有することを心がけてきました。
一方,2003年からは英文誌Biomedical Research誌の編集長を務め,札幌から世界に向けて研究成果を発信してきました(札幌の株式会社アイワードで印刷)。これは1980年創刊の隔月刊の医学生物学の学術誌ですが,学会や出版社の後ろ盾のない,いわば「同人誌」です。廃刊の危険性がありましたが,今では重要なデータベースにも収録され,インパクトファクターも付与されています。この編集業務は,後任が見つかるまで続ける予定です。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年3月22日 | |
| 昭和52年3月 | 帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業 | |
| 昭和58年3月 | 新潟大学大学院医学研究科博士課程修了 | |
| 昭和58年3月 | 医学博士(新潟大学) | |
| 昭和58年4月 | 新潟大学医学部助手 | |
| 平成3年1月 | 新潟大学医学部助教授 | |
| 平成6年9月 | 北海道大学獣医学部教授 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学大学院獣医学研究科教授 | |
| 平成15年2月 | 北海道大学大学院医学研究科教授 |
医学研究科教授有川 二郎 (ありかわ じろう) 氏

札幌オリンピックの翌年に入学し,4年間の仙台(東北大学医学部)と2年間の米国留学期間を除き,38年間を北大で過ごしてきました。所属部局は移りましたが,それぞれ恵まれた教育研究環境であり,また美しいキャンパスのもとで過ごせたことを改めて感謝しています。
人獣共通感染症研究を一貫したテーマとし,ウイルスや細菌の実験室内での研究に加え,開発途上国を中心に海外20か国以上で流行調査や共同研究を行いました。様々な国の文化や自然に触れることができたことは興味ある経験でしたが,最も大きな喜びは,参加してくれた多くの若手研究者に,感染症研究によって国際的に貢献できるのだということを実際の活動を通して伝えることができたことです。国際性豊かな研究と研究者が増えることを願っています。また,微生物学講座を担当させていただき,幸せな研究人生であったと思っています。お世話になりました先生方,教室のスタッフ,事務職員の方々,また学生諸君に心からお礼を申し上げたいと思います。
管理・運営面では,動物実験委員会委員長と医学研究科附属動物実験施設長を担当し,貴重な経験をさせていただきました。大学を取り巻く環境は年々厳しくなっていますが,北大の益々の発展を信じています。ありがとうございました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年4月24日 | |
| 昭和52年3月 | 北海道大学獣医学部獣医学科卒業 | |
| 昭和52年4月 | 東北大学医学部研究生 | |
| 昭和56年3月 | 北海道大学獣医学部助手 | |
| 昭和60年9月 | 獣医学博士(北海道大学) | |
| 昭和61年10月 | 米国感染症医学研究所研究員 | |
| 平成2年1月 | 北海道大学免疫科学研究所附属免疫動物実験施設助教授 | |
| 平成7年1月 | 北海道大学医学部附属動物実験施設教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院医学研究科教授 |
歯学研究科教授柴田 健一郎 (しばた けんいちろう) 氏

昭和53年に京都大学の農学研究科修士課程を修了し,京都での6年間の学生生活を終え,岡山の民間企業の技術部に就職しました。就職後4ヶ月で東京の国立予防衛生研究所(現 国立感染症研究所)歯科衛生部に出向を命じられました。このことが契機になり,昭和56年4月には長崎大学歯学部助手に採用されました。平成元年6月から2年間の米国留学を終え,同3年7月に長崎大学に戻り,同年9月に北海道大学に転任してまいりました。平成13年8月には教授に昇進させていただきました。教授就任以来15年間で,満足できるほどではありませんが,それなりの業績は残せたような気がします。それは北海道大学という素晴らしい環境,教室のスタッフ並びに研究に携わってくれた大学院生のお陰であり,北海道大学と弟子達に心から感謝しております。
これまで,長崎,京都,岡山,東京,ニューヨーク,札幌といろいろなところを渡り歩きましたが,これまでの人生の中で札幌での25年間が最も長く,札幌は第2の故郷になっています。今後の2年間は特任教授として研究・教育生活の締めくくりの時間にしたいと考えています。
最後に,これまでご指導・ご鞭撻いただいた数多くの皆様に深く感謝申し上げますとともに,北海道大学の今後益々の発展を祈念しています。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年5月26日 | |
| 昭和51年3月 | 京都大学農学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 京都大学大学院農学研究科修士課程修了 | |
| 昭和53年4月 | 林原株式会社技術部研究員 | |
| 昭和56年3月 | ||
| 昭和53年8月 | 国立予防衛生研究所歯科衛生部研究生 | |
| 昭和56年3月 | ||
| 昭和56年4月 | 長崎大学歯学部助手 | |
| 昭和63年1月 | 歯学博士(東京医科歯科大学) | |
| 平成元年6月 | 米国アルバート・アインシュタイン医科大学留学 | |
| 平成3年7月 | ||
| 平成3年9月 | 北海道大学歯学部助手 | |
| 平成8年4月 | 北海道大学歯学部助教授 | |
| 平成12年4月 | 北海道大学大学院歯学研究科助教授 | |
| 平成13年8月 | 北海道大学大学院歯学研究科教授 |
獣医学研究科教授片倉 賢 (かたくら けん) 氏

人生は旅であると言われる。道産子の私は,中学校・高校時代に3度の転校という旅を経験した。北海道大学理類に入学し,獣医学部へ移行したが,学生時代は登山とスキーに明け暮れ,北海道各地を山旅した。当時は,夢見る学生が海外貧乏旅行に出かけた時代であり,私もネパールなどに出かけた。その時,タイでの小型哺乳類の寄生虫に関する学術調査に参加する機会をもらった。それが契機となり,学術調査や研究を通じて,異文化に触れ,動植物に接し,多様な自然環境に身を置いて,「地球を知る旅」「未知の生物を探る旅」をすることに意義と目標を見出した。就職後は関東地方で暮らしたが,その間,米国留学,南米・アジア・中国などで人体寄生虫症に関する学術調査に参加した。
平成16年に北海道大学の現職に就いた後,家畜の寄生虫に関する学術調査を主催した。舞台はミャンマーである。旅には発見があり,出会いがある。多くの学生を海外調査に連れていった。また,部活動の意義を鑑みて,北大山スキー部の顧問教員を8年間務めた。地球上にはもっともっと知らない世界がある。感性としての「ワクワク感」は人間の原動力となる。厳格な管理体制は大学教育にはなじまない。ワクワク感の創出という教育の原点に立ち返り,いま少し奮闘する所存である。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年4月19日 | |
| 昭和52年3月 | 北海道大学獣医学部獣医学科卒業 | |
| 昭和54年3月 | 北海道大学大学院獣医学研究科形態機能学専攻修士課程修了 | |
| 昭和54年4月 | 東京慈恵会医科大学寄生虫学講座助手 | |
| 昭和61年7月 | 医学博士(東京慈恵会医科大学) | |
| 昭和62年7月 | シカゴ医科大学微生物学・免疫学講座客員研究員 | |
| 平成元年12月 | ||
| 平成4年10月 | 東京慈恵会医科大学熱帯医学講座講師 | |
| 平成10年10月 | 群馬大学医学部寄生虫学講座助教授 | |
| 平成15年4月 | 群馬大学大学院医学系研究科国際寄生虫生態学分野助教授 | |
| 平成16年6月 | 北海道大学大学院獣医学研究科教授 |
情報科学研究科教授原口 誠 (はらぐち まこと) 氏

私が最初に北大の地を訪れたのは,確か,大学院の学生時代に何かの研究会に参加した時だと記憶しています。2月の寒い時期で,九州生まれで九州育ちの私にとっては,とても寒かったのと,一面の雪でこれまたとても静かに感じたことを今更ながら思い出します。札幌駅から宿泊先の琴似までJRで移動したのですが,車内もシンと静まりかえり,『なるほど,北国では九州人のように大口を開けてお喋りすることはないのだ』と勝手に推測し,かつ納得したものです。それから時が経ち,前任地の横浜から北大に赴任する準備のため,これまた2月に一度工学部を訪れました。玄関に入るやいなや,顔みしりの先生から笑顔で迎えていただき,また,外の静寂の世界とは対照的に快活に話しながら廊下を行き来する多くの先生方や学生達とすれ違い,『なるほど,学問するときは北国といえども九州とは変わらないのだ』と妙に得心したことも懐かしく思い出されます。また同時に,雪景色の広大なキャンパスを学問の白地のキャンバスに見立て,そこに自由に絵を描かせてくれる包容力のある大学だなとも直観したのです。良い絵を描けたかどうかは,全く自信はないのですが,退職後も特任教員として許された時間を最大限に活かし,達磨の眼を描いた上で去りたいと思う今日この頃であります。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年2月4日 | |
| 昭和51年3月 | 九州大学理学部数学科卒業 | |
| 昭和53年3月 | 九州大学大学院理学研究科数学専攻修士課程修了 | |
| 昭和54年2月 | 九州大学大学院理学研究科数学専攻博士課程中退 | |
| 昭和54年2月 | 鹿児島大学理学部助手 | |
| 昭和56年6月 | 九州大学理学部附属基礎情報学研究施設助手 | |
| 昭和59年12月 | 理学博士(九州大学) | |
| 昭和62年10月 | 東京工業大学大学院総合理工学研究科助教授 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学工学部教授 | |
| 平成9年4月 | 北海道大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学大学院情報科学研究科教授 |
情報科学研究科教授山本 強 (やまもと つよし) 氏

昭和53年に本学工学研究科電子工学専攻を修了し,民間企業や大学院生を経て同57年に工学部に職を得て以来,情報科学分野の研究に没頭してきました。好きで始めた情報やエレクトロニクスの仕事ですし,在職期間中は先輩教員,事務部の方々,そして企業経営者たちに囲まれて研究,教育,そしてビジネスに取り組むことができたということで,私は北大の恵まれた環境で教員生活を送れたことに感謝しています。
私の現役時代はマイクロプロセッサ,コンピュータグラフィックス,2度の人工知能ブームと情報科学分野の研究トピックスが目白押しで,この分野で活動できたことは幸いでした。研究成果を技術移転して大学発ベンチャー企業を立ち上げたり,出資したりもしましたが,大学人としては「変な人」だったと自分でも認識しています。
教員生活の後半は,情報基盤センターや産学・地域協働推進機構の仕事を兼務することになり,組織運営の仕事が増えましたが,おかげさまで一教員では得難い学内外の多くの方々との接点を得ることができました。これも得難い経験です。
今後2年は特任教員として,組織運営を離れて研究と教育に専念できるそうなので,生涯一研究者の原点に戻って,新しい取り組みを始めたいと思っています。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年12月16日 | |
| 昭和51年3月 | 北海道大学工学部電子工学科卒業 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了 | |
| 昭和53年4月 | 富士通株式会社 | |
| 昭和55年3月 | ||
| 昭和57年3月 | 北海道大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程中退 | |
| 昭和57年4月 | 北海道大学工学部講師 | |
| 昭和61年6月 | 工学博士(北海道大学) | |
| 昭和61年12月 | 北海道大学工学部助教授 | |
| 平成元年7月 | 北海道大学大型計算機センター助教授 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学大型計算機センター教授 | |
| 平成11年4月 | 北海道大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学大学院情報科学研究科教授 | |
| 平成17年4月 | 情報基盤センター長 | |
| 平成23年3月 | ||
| 平成24年4月 | 産学連携本部副本部長 | |
| 平成27年3月 | ||
| 平成27年4月 | 産学・地域協働推進機構副機構長 | |
| 平成29年3月 |
水産科学研究院教授荒井 克俊 (あらい かつとし) 氏

昭和51年に水産増殖学科を卒業後,大学院に進学しましたが,博士後期課程の途中で北里大学水産学部に助手の職を得て,北大を離れることとなりました。その後,広島大学生物生産学部の勤務を経て,平成11年に水産学部教授に採用され,函館キャンパスで18年を過ごし,この度,定年退職を迎えます。この間,様々な形でご指導,ご鞭撻,またご支援をいただいた多数の皆様に深く感謝いたします。
学生時代は小さな電気泳動槽と生物顕微鏡のみでサケマス類の雑種の発生と遺伝の研究を行っていました。しかし,大学に職を得てから現在まで,特に遺伝子に関わる領域で飛躍的な技術革新があり,新しい解析法が次々に取り入れられ,時代に取り残されないように研究環境を整備することに苦労しました。しかし,優れた共同研究者や留学生を含む多くの大学院生らとの協働により,魚類の遺伝学と発生生物学を基盤に,水産における育種理論と技術の体系化に向けて,多少なりとも貢献できたことは誇りとするところです。また,北大赴任直後にドジョウの自然クローンと倍数体における特殊な生殖を見出し,ドジョウをモデルとした性と生殖の多様性とゲノム構成との関係解明の研究に全力を注げたことは,サイエンスに携わる者として大きな歓びでした。
定年退職となりますが,まだ時間は残されていますので,一歩でも二歩でも,サイエンスを進めたいと願っています。最後に,北海道大学の益々の発展をお祈りいたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年3月8日 | |
| 昭和51年3月 | 北海道大学水産学部水産増殖学科卒業 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院水産学研究科水産増殖学専攻修士課程修了 | |
| 昭和55年4月 | 北海道大学大学院水産学研究科博士後期課程退学 | |
| 昭和55年5月 | 北里大学水産学部助手 | |
| 昭和59年6月 | 水産学博士(北海道大学) | |
| 昭和59年10月 | 北里大学水産学部講師 | |
| 平成元年11月 | 広島大学生物生産学部助教授 | |
| 平成11年4月 | 北海道大学水産学部教授 | |
| 平成12年4月 | 北海道大学大学院水産科学研究科教授 | |
| 平成17年4月 | 北海道大学大学院水産科学研究院教授 |
地球環境科学研究院教授坂入 信夫 (さかいり のぶお) 氏

平成6年2月に北海道大学へ赴任し,23年間教育・研究に携わらせていただきました。北海道大学赴任前は,埼玉県和光市の理化学研究所で研究を行っておりました。関東育ちの私にとって,雪の札幌へ赴任したのも驚きですが,地球環境科学研究科が設立された直後で,研究室を一から立ち上げるのも初めての経験でした。しかし,数々の変化の中で最も大きなギャップを感じたのは,それまで理学的な見地から行ってきた糖鎖合成研究から,実学である環境科学の中で糖鎖研究を行わねばならない点でした。「糖質は生物によって代謝されるので環境にやさしい」あるいは「糖質は,光合成の主要産物であるにもかかわらず,まだ石油資源のように十分には活用されていない」などと自分に言い聞かせても,生物がいとも簡単に糖質を使いこなしているのには到底及ばないという思いでした。その後,多くの大学院生と共に糖鎖の研究を続けて現在に至りますが,そのギャップは益々広がってしまったという思いです。
あと2年は特任教員としてお世話になる予定です。もう一度,糖鎖を見直すチャンスにしたいと考えています。最後に,研究を共にした学生やスタッフ,教職員の皆様のご支援に深く感謝いたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年7月22日 | |
| 昭和51年3月 | 東京工業大学理学部化学科卒業 | |
| 昭和53年3月 | 東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和56年3月 | 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程修了 | |
| 昭和56年3月 | 理学博士(東京工業大学) | |
| 昭和56年4月 | 理化学研究所流動研究員 | |
| 昭和57年4月 | 鶴見大学歯学部助手 | |
| 昭和60年1月 | 理化学研究所研究員 | |
| 平成4年3月 | 理化学研究所先任研究員 | |
| 平成6年2月 | 北海道大学大学院地球環境科学研究科助教授 | |
| 平成10年4月 | 北海道大学大学院地球環境科学研究科教授 | |
| 平成17年4月 | 北海道大学大学院地球環境科学研究院教授 |
地球環境科学研究院教授田 壯則 (たかだ たけのり) 氏

「三十年間好景気が続く商売は一つもない」
呉服商を営んでいた母方の祖父が残したこの家訓を,退職間近になった今日この頃よく思い出す。長い丁稚奉公時代を終えて研究職に就いてから,ほぼ30年経過したということも理由の一つだが,現代では1サイクルの長さが30年から10年に変化しているのではないかと感じるからである。その当時としては新しいネーミングの理論生物学講座の寺本 英先生に師事したのが38年前,長い丁稚奉公を終え奉職した頃にはコンピューター環境は大きな変貌を遂げ,パソコンを持たずして研究などできない環境になっていた。学生時代に組み上げた大型計算機を使うIndividual-based model in plantsのシミュレーション時間は丸3日だったのに,その10年後には20分で計算を終えるようになっていた。通信環境も電子メールがなかった時代からスマホでラインを使う時代へと大きな変化があった。
このような変化著しい時代の中で,「生物学への数理モデルの応用」というテーマに携わり,研究を続けてこられたことは本当に幸いだった。一つひとつの研究が白地キャンバスのワンタッチだとすれば,まだ塗られていない場所は多々あるけれど,一枚のキャンバスで研究を続けることができたわけである。それは,出身研究室の先輩後輩たち,所属大学の諸先生たちの陰日向にわたる応援がなければ成就できなかったことだろう。退職にあたり私の研究生活を支えてくれた皆様に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
略 歴
| 昭和54年3月 | 京都大学理学部卒業 | |
| 昭和56年3月 | 京都大学大学院理学研究科修士課程修了 | |
| 昭和61年3月 | 博士(理学)(京都大学) | |
| 昭和63年4月 | 北海道東海大学国際文化学部講師 | |
| 平成4年4月 | 北海道東海大学国際文化学部助教授 | |
| 平成11年4月 | 北海道東海大学国際文化学部教授 | |
| 平成17年4月 | 北海道大学大学院地球環境科学研究院教授 |
理学研究院教授日夏 幸雄 (ひなつ ゆきお) 氏

この度,定年退職を迎えることになりましたが,4月からは再雇用という形であと2年お世話になる予定ですので,実感がわかないというのが正直な感想です。
日本原子力研究所に10年半,米国のオークリッジ国立研究所とローレンス・バークレー国立研究所に合わせて2年半在籍した後,22年前に北大に着任いたしました。研究対象は,一貫して「f電子系元素であるアクチノイドやランタノイド(希土類)を含む無機化合物の磁気的性質」ですが,自分の好奇心に沿った基礎研究ができる場を与えられましたことは,とても幸いでした。北大に来るまで教育経験がありませんでしたし,口下手なため,講義を含め,教育の難しさをずっと感じながらの22年で,皆様にはご苦労をお掛けしたと思います。このような私が無事に過ごせましたのも,諸先生方,職員の方々のご教示とご支援のお陰です。ここに心より深く感謝申し上げます。
社会から大学に対する要請が大きく変化し,余裕がなくなってきている今日ではありますが,いつまでも素晴らしい自然と研究環境を生かし,人を育てることを大切にする北海道大学であってほしいと願っております。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年7月5日 | |
| 昭和52年3月 | 大阪大学工学部卒業 | |
| 昭和54年3月 | 大阪大学大学院工学研究科博士前期課程修了 | |
| 昭和57年3月 | 大阪大学大学院工学研究科博士後期課程修了 | |
| 昭和57年3月 | 工学博士(大阪大学) | |
| 昭和57年4月 | 日本原子力研究所東海研究所研究員 | |
| 平成3年4月 | 日本原子力研究所東海研究所副主任研究員 | |
| 平成7年7月 | 北海道大学大学院理学研究科教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院理学研究院教授 |
理学研究院教授喜多村 f (きたむら のぼる) 氏

理学部化学科教授として赴任以来24年間,好きな研究で給料をいただいてきたことは人生最大の贅沢だったと思います。北大赴任時は実験台があるだけの研究室で研究費も校費のみ,どうやって学生を育てるのか不安だらけだったことを思い出します。フェムト秒レーザーや共焦点顕微鏡等の設備を揃えるまで10年程かかりましたが,何とかこれまで来られたのも研究室を支えてくれた教員・学生並びに化学科の諸先生方のお陰と心から感謝しています。また,総合化学院の設置や入学者選抜にも携わらせていただきましたが,その際にも多くの教職員のご支援をいただきました。
忘れられない出来事の一つは,入試総務部門長として携わった平成20年度入試です。試験前日に新千歳空港が積雪で封鎖となったために,2月25日予定の前期日程試験を26日に延期するという苦渋の選択を強いられました。幸い,試験延期は良い判断だったと概ね賛同を得られましたが,受験生・父母からお叱りの電話が入試課に沢山かかってきたのも事実です。今となっては懐かしい思い出です。教育・研究とともに学内運営にも微力ながら携わらせていただきましたが,北大の発展に多少なりとも貢献できたとすれば望外の幸せです。最後に,北大の更なる発展を祈念申し上げます。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年7月19日 | |
| 昭和51年3月 | 東京都立大学工学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 東京工業大学大学院総合理工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和53年4月 | 東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程中退 | |
| 昭和53年5月 | 東京工業大学資源化学研究所技官 | |
| 昭和55年10月 | 東京工業大学資源化学研究所助手 | |
| 昭和58年10月 | 理学博士(東京工業大学) | |
| 昭和63年10月 | 新技術開発事業団創造科学技術推進事業(ERATO) | |
| 増原極微変換プロジェクト技術参事 | ||
| 平成5年4月 | 北海道大学理学部教授 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学大学院理学研究科教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院理学研究院教授 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院総合化学院長 | |
| 平成24年3月 |
理学研究院教授津田 一郎 (つだ いちろう) 氏

平成5年9月末,家族とともに早朝フェリーで小樽港に着き,金山パーキングエリアで時間調整の後,宮の森の宿舎に入った時のことは今でも感慨深く思い出される。足早に冬が訪れ,ハラハラと「天からの手紙」が舞い降り,同じくこの年赴任した同僚が「雪は人の意識を変えますね」と言った時,本当に北の大地に来たのだという実感が心に湧いてきたのだった。私のように関西で育った人間は,北海道にあこがれるものだと相場が決まっている。学生の頃は特にそうである。それで,大学生になるとまず北海道旅行をするのだが,中には居着いてしまう人もいる。この土地の人と接すると,ゆったりとしたやさしい時間が心に流れるのを感じるからだろうか。私は,彼らへの共感の気持ちをぐっと押さえて本州に戻ってきたのを覚えている。
あれからちょうど20年後に北大に赴任し,早23年が過ぎた。北大での研究と教育と運営の生活はとても素晴らしいものだった。特に私は数学者集団の中にいることに無類の喜びを感じた。私にはこの人たちの思考・行動の全てが「天からの手紙」であり,私の意識をゆったりと変える贈物であったからだ。贈物のお返しはなかなかできなかったが,新しい場所からの相互作用によってそれが実現できると信じている。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年6月4日 | |
| 昭和52年3月 | 大阪大学理学部卒業 | |
| 昭和54年3月 | 京都大学大学院理学研究科修士課程修了 | |
| 昭和57年3月 | 京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了 | |
| 昭和57年4月 | 日本学術振興会奨励研究員 | |
| 昭和57年10月 | 新技術開発事業団水野バイオホロニクスプロジェクト研究員 | |
| 昭和57年11月 | 理学博士(京都大学) | |
| 昭和63年4月 | 九州工業大学情報工学部助教授 | |
| 平成5年10月 | 北海道大学理学部教授 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学大学院理学研究科教授 | |
| 平成17年10月 | 北海道大学電子科学研究所教授 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学数学連携研究センター長 | |
| 平成27年3月 | ||
| 平成24年10月 | 北海道大学電子科学研究所副所長 | |
| 平成25年9月 | ||
| 平成27年10月 | 北海道大学大学院理学研究院教授 |
理学研究院教授小笹 隆司 (こざさ たかし) 氏

平成11年7月に赴任して以来,17年9ヶ月間北海道大学にお世話になりました。赴任時期を7月にした理由の一つは,神戸の暑苦しい夏から逃れることでしたが,その年の夏の札幌は非常に蒸し暑く,赴任時期を間違えたと後悔したことを未だに覚えています。一方,本州の夏の濃い緑と違った札幌の木々の淡い緑は,目に鮮やかで美しく心が癒されました。在任中には長年のテーマである銀河ダストの起源と進化の研究を,大学院生を含む国内外の研究者と共同して進展させることが出来ました。
社会の動きに惑わされずに研究活動を行える場として,北海道大学が発展することを期待しています。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年11月12日 | |
| 昭和53年3月 | 京都大学理学部卒業 | |
| 昭和55年3月 | 京都大学大学院理学研究科修士課程修了 | |
| 昭和59年3月 | 京都大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学 | |
| 昭和59年4月 | 京都大学理学部研修員 | |
| 昭和60年4月 | 東京大学宇宙線研究所教務補佐員 | |
| 昭和60年11月 | 理学博士(京都大学) | |
| 昭和62年4月 | 京都大学理学部研修員 | |
| 平成2年4月 | マックスプランク協会核物理学研究所外国人科学者 | |
| 平成4年4月 | 拓殖大学非常勤講師 | |
| 平成6年7月 | 神戸大学理学部助手 | |
| 平成11年7月 | 北海道大学大学院理学研究科教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院理学研究院教授 |
理学研究院教授鈴木 コ行 (すずき のりゆき) 氏

平成6年10月に理学部に赴任してから22年以上の年月が流れ,定年退職の時を迎えることとなりました。この間,緑豊かなキャンパスと素晴らしい自然に囲まれた札幌・北海道で過ごすことができて,かけがえのない時間を持つことができました。また,本学で身近に接した方々から多くの知的刺激を受け,地下深部の有機化合物や分子状水素に関する研究教育を大きく発展させることができました。このような環境で今日まで学究の道を歩むことができましたことを本当に幸せに思います。これからも大好きな北の大地で学問に勤しみ,社会貢献に努め,人生を満喫したいと計画しているところです。
今,大学院重点化や21世紀COEプログラムが遙か昔の出来事のように思い出されます。本学が国立大学法人へと移行したのは13年ほど前のことでした。その後の中期目標・中期計画,総長ガバナンスの強化などによって,法人化は次第に形を整えつつあります。この明治以来の大改革が見事に実を結び,本学において多くの優れた人材が育ち,社会に羽ばたいていくことを願ってやみません。
末筆ながら,本学にて身近に接しお世話になった多くの皆様に心から感謝申し上げます。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年8月18日 | |
| 昭和53年3月 | 東北大学理学部卒業 | |
| 昭和55年3月 | 東北大学大学院理学研究科博士前期課程修了 | |
| 昭和56年4月 | 東北大学大学院理学研究科博士後期課程退学 | |
| 昭和56年5月 | 島根大学理学部助手 | |
| 昭和60年9月 | 理学博士(東北大学) | |
| 平成元年4月 | 島根大学理学部助教授 | |
| 平成6年10月 | 北海道大学理学部助教授 | |
| 平成13年4月 | 北海道大学大学院理学研究科教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院理学研究院教授 | |
| 平成23年4月 | 北海道大学大学院理学研究院副研究院長 | |
| 平成27年3月 | ||
| 平成27年4月 | 北海道大学大学院理学院長 | |
| 平成29年3月 |
理学研究院教授新井 朝雄 (あらい あさお) 氏

エルムやポプラの大樹が茂る美しい広々としたキャンパス,そして日本の大学の中では類いまれな好立地条件に恵まれた本学に昭和61年6月に赴任し,以来,ほぼ31年間にわたり,数学・数理物理学の研究と教育に従事してまいりました。専門図書や学術雑誌など研究資料が充実している本学の優れた環境の中で研究を続けられたことを,本当に有り難く思っております。おかげ様で世界をリードする研究を担うことができました。
赴任した6月初旬の札幌は,それ以前に留学していたドイツやスイスと同じように湿気が少なく清々しい空気に満ち,新緑に映える北大のキャンパスや札幌中心部の街路の美しさに深く感動したことを懐かしく想い出します。
私の出身地埼玉県秩父市など伝統に根付く他の日本の地域とは違った,独特の魅力をもつ北の大都市札幌で,現代的な都市生活を営みつつ,北海道の豊かな自然に多々接することができたことにも深く感謝しております。
近年,大学を取り巻く状況には厳しいものがありますが,本学の有する独自の良き伝統を継承しつつ,本学が将来益々発展していくことを祈念しております。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年1月10日 | |
| 昭和51年3月 | 千葉大学理学部卒業 | |
| 昭和51年9月 | 東京工業大学大学院理工学研究科修士課程中退 | |
| 昭和54年3月 | 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了 | |
| 昭和55年3月 | 東京大学大学院理学系研究科博士課程中退 | |
| 昭和55年4月 | 東京工業大学理学部助手 | |
| 昭和61年6月 | 北海道大学理学部講師 | |
| 昭和61年10月 | 理学博士(学習院大学) | |
| 平成4年3月 | 北海道大学理学部助教授 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学大学院理学研究科教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院理学研究院教授 |
理学研究院教授稲辺 保 (いなべ たもつ) 氏

本年3月をもって定年を迎えます。北大に着任してからちょうど25年になりますが,かつて学生時代を過ごした研究室を引き継ぐ形だったため,勝手がわかっていた点はラッキーでした。ただ,この25年の間を思い起こすと,教育者・研究者として充分な指導ができなかったこともありました。しかし,それでも学生はしっかりと成長しており,細かく指導するだけが教育者の努めではないということも逆に学んだ気がします。
着任当時に比べると,学生の気質も随分変わってきた気がします。教育システムの変化に加え,科学技術の発達によって日常生活が一変してきたことにも起因していると思います。便利で情報過多の世の中になり,自分で発想する機会や工夫する機会が失われていくとともに,地道な勉学が疎まれる傾向になっている気がします。教育のやり方は正解のない課題で,時代背景や個人差によってその都度工夫が必要だと思います。多くの教員はその点を理解し,個々の努力を積み重ね,その結果,これまで社会で活躍するユニークな人材を多数輩出しています。これからもその努力が継続されることで,より一層北大のステータスが上がることを期待します。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年1月29日 | |||
| 昭和51年3月 | 北海道大学理学部卒業 | |||
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院理学研究科修士課程修了 | |||
| 昭和56年9月 | 北海道大学大学院理学研究科博士課程修了 | |||
| 昭和56年9月 | 理学博士(北海道大学) | |||
| 昭和56年9月 | 米国ノースウェスタン大学化学科博士研究員 | |||
| 昭和59年8月 | 岡崎国立共同研究機構分子科学研究所助手 | |||
| 平成4年4月 | 北海道大学理学部助教授 | |||
| 平成5年8月 | 北海道大学理学部教授 | |||
| 平成7年4月 | 北海道大学大学院理学研究科教授 | |||
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院理学研究院教授 | |||
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院理学研究院副研究院長 | |||
| 平成26年3月 | ||||
| 平成22年4月 | 北海道大学教育研究評議会評議員 | |||
| 平成26年3月 |
農学研究院教授原 博 (はら ひろし) 氏

昭和62年,真冬の北海道大学に助手として赴任してきました。約8年間東京の企業に在職していましたが,とあるきっかけで札幌に来て30年以上が経ちました。当時の農芸化学科の先生方には,北大に全く縁が無かった私を気持ちよく迎え入れていただき,とても感謝しております。私の所属する食品栄養学研究室は,当時桐山修八教授が主宰されており,実験動物であるラットを使った栄養実験が本格稼働し始めていました。研究室には葛西隆則先生と知地英征先生がおられ,勝手の分からない私を気遣ってたくさん話をしていただきました。また,在席していた学部4年生にも仲良くしていただきました。
企業ではペプチド吸収の基礎と実用化研究をしていましたが,桐山先生は食物繊維研究で名を知られており,相談してこの食物繊維の研究に参画させていただきました。しばらくして,研究室のもう一つ大きなテーマであった難消化性ペプチド研究も(研究を,だったかも・・・)やれと言われ,結局両方並行してずっとやってきました。研究遂行のためラットを使った無麻酔無拘束条件での実験手技を多く開発しました。かなりマニアックなものでしたが,その後の消化管研究の基礎となり,またたくさんの学生さんのおかげで,多くの論文も出せました。感謝しております。まだ少しの間,北大でお世話になりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年7月23日 | |
| 昭和51年3月 | 東京農工大学農学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 名古屋大学大学院農学研究科博士前期課程修了 | |
| 昭和62年1月 | 北海道大学農学部助手 | |
| 平成4年9月 | 博士(農学)(北海道大学) | |
| 平成6年8月 | 北海道大学農学部助教授 | |
| 平成11年4月 | 北海道大学大学院農学研究科助教授 | |
| 平成15年4月 | 北海道大学大学院農学研究科教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院農学研究院教授 |
農学研究院教授小池 孝良 (こいけ たかよし) 氏

平成10年4月に農学部附属演習林の改組を進めておられた石城謙吉林長にお招きいただき,丹保憲仁学長の下で明治34年に開設した施設の組織替えに参加しました。その開設100周年記念を多数の職員と共に祝うことができました。新設の北方森林保全学講座では,世界各地から集まった学生さんと研究に取り組みました。その後,平成18年農学研究科の2度目の審査を経て造林学研究室へ配置換えになりました。私は林業試験場時代から変動環境下での樹木の光合成機能の研究に従事してきました。一方,最も長く講義の機会をいただいたのは森林昆虫を基礎にした森林保護学でした。農学部では哲学のような森林美学の講義と自らの専門との接点は,国連の提唱する生態系サービスの概念に拠り所を見つけたように思います。そして,新天地での新しい体系を構築された新島善直教授とその門下生の足跡を学び,神の下の平等を護るために命をかけた生き方を知らしめた多くの先人達からの学問のバトンを受け取り,繋ぐことの重みを日々実感する毎日でした。
山造りは「木一代・人三代」の言葉通りであり,それは総合林学とも言うべき森林美学に示されていると感じています。ありがとうございました。
今後は最長2年間,特任教員として勤務させていただきます。よろしくお願いします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年6月20日 | |
| 昭和53年3月 | 京都府立大学農学部卒業 | |
| 昭和56年3月 | 名古屋大学大学院農学研究科博士後期課程中退 | |
| 昭和56年4月 | 林業試験場北海道支場 | |
| 昭和63年9月 | ||
| 昭和62年12月 | 農学博士(名古屋大学) | |
| 昭和63年10月 | 森林総合研究所北海道支所 | |
| 平成6年10月 | 東京農工大学農学部助教授 | |
| 平成10年4月 | 北海道大学農学部附属演習林教授 | |
| 平成13年4月 | 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院農学研究院教授 |
農学研究院教授川村 周三 (かわむら しゅうそう) 氏

昭和48年4月に北海道と農学部に憧れて北海道大学に入学しました。農学部卒業後に大学院に進学し,そして農学部に教員として勤務し今日に至りました。北海道大学キャンパスの美しい四季の移り変わりを眺めつつ,44年を過ごしたことになります。
大学院時代にお米の研究に取り組み,教員になってからは,農畜産物の収穫以後の品質や鮮度を保持し,さらに向上させるための技術開発を研究テーマとしてきました。さらに,農畜産物や食品の品質を判定するための非破壊品質評価技術に取り組み,農畜産物や食品の品質を簡便に短時間に評価する技術の実用化を目指しました。また,農畜産物や食品の最終的な品質はヒトをパネルとした官能評価(食味評価)により判定されると考え,農畜産物や食品の理化学特性と食味評価について研究を行ってきました。その成果は,特に北海道米の収穫後の工程における品質食味の向上につながり,現在の北海道米の高い品質評価にわずかながら貢献できたと思っています。そのような成果を上げることができたのも,北海道大学という恵まれた環境のおかげであると感謝しております。
平成31年3月までは特任教授として勤務いたしますので,よろしくお願いいたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年3月3日 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学農学部卒業 | |
| 昭和55年3月 | 北海道大学大学院農学研究科修士課程修了 | |
| 昭和58年3月 | 北海道大学農学部助手 | |
| 昭和61年3月 | 北海道大学大学院農学研究科博士課程修了 | |
| 昭和61年3月 | 農学博士(北海道大学) | |
| 平成9年4月 | 北海道大学農学部助教授 | |
| 平成11年4月 | 北海道大学大学院農学研究科助教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院農学研究院助教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院農学研究院准教授 | |
| 平成25年4月 | 北海道大学大学院農学研究院教授 |
メディア・コミュニケーション研究院教授長井 裕子 (ながい ゆうこ) 氏

北海道に生まれ育った私は,大学進学を機に当地を離れ,また縁あってこの地に戻り,北大で教鞭を執ることとなった。生来口下手で,教壇に立つことに苦手意識はあったが,何とか務めを果たし,無事定年の日を迎えることができたのは,学生諸君の熱意,同僚教職員の励ましのおかげである。
来し方を振り返れば,私の着任当時,担当科目の中国語は第2外国語でさえなく,専任教員もお二人しかおられなかった。しかし,中国が国際社会で存在感を増すにつれ,学生のまなざしも隣国に向けられるようになり,中国語スタッフの陣容も充実していった。この点,本学の基本理念「国際性の涵養」の一翼を担う者として,喜ばしい限りであった。また,中国と日本の交流が多方面で盛んになったことで,留学生も増加し,大学院ゼミの受講生が,ほぼ中国人留学生によって占められるという思いがけない事態にも直面した。私は中国文化研究を専門としており,「中国人に中国文化を講義する」ことに気後れしつつも,留学生から中国文化の多様性を再認識させてもらうこともしばしばであった。
様々な思い出が織りなす北大での学究生活に名残は尽きない。これまで支えてくださった皆様にお礼を申し上げるとともに,北大の益々の発展を祈念してやまない。
略 歴
| 昭和53年3月 | 東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業 | |
| 昭和55年3月 | 京都大学大学院文学研究科中国語学中国文学専攻修士課程修了 | |
| 昭和55年6月 | 京都大学大学院文学研究科博士後期課程中退 | |
| 昭和55年7月 | 京都大学人文科学研究所助手 | |
| 平成2年4月 | 山梨県立女子短期大学助教授 | |
| 平成5年4月 | 北海道大学言語文化部助教授 | |
| 平成14年6月 | 北海道大学言語文化部教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授 |
保健科学研究院教授良村 貞子 (よしむら さだこ) 氏

国立大学法人へ移行した平成16年に着任し,同年に保健学科の教育が始まりました。大学院の設置申請時には看護学コースの責任者として,夜遅くまで書類作成の日々が続きました。平成20年には保健科学院が創設され修士課程が,平成22年に博士後期課程がスタートし,安堵しました。その後,副学院長として大学院教育の管理運営に努めました。
短大時代に助産学の教員を14年経験しましたが,現在は修士課程で助産師を養成しています。科学・技術の進歩と相まって,高度化する保健・医療・福祉分野でリーダーシップを発揮できる保健師・助産師・看護師の人材育成には,修士課程以上での実習を含めた教育が必要と考えます。本年に保健科学院の修士課程及び博士後期課程の入学定員が増えたことは大変嬉しく思っています。
留学生も増え,解決困難な課題の多い現代ですが,国際社会で活躍できる有為の人材育成に若干は貢献できたのではないかと考えています。学生時代から長い月日を北大のキャンパスで過ごす機会を得ました。助産師・看護師として勤務した北大病院,看護学教員として在籍した保健科学研究院のますますの発展を祈念しています。
略 歴
| 昭和51年3月 | 北海道大学医学部附属看護学校卒業 | |
| 昭和52年3月 | 北海道大学医学部附属助産婦学校卒業 | |
| 昭和52年4月 | 北海道大学医学部附属病院看護部看護婦 | |
| 昭和52年7月 | 北海道大学医学部附属病院看護部助産婦 | |
| 昭和57年3月 | 北海道立衛生学院保健婦科卒業 | |
| 昭和57年4月 | 北海道大学歯学部附属病院看護部看護婦 | |
| 昭和60年4月 | 北海道大学医療技術短期大学部専攻科助産学特別専攻助手 | |
| 平成3年8月 | 北海道大学医療技術短期大学部専攻科助産学特別専攻講師 | |
| 平成6年8月 | 北海道大学医療技術短期大学部専攻科助産学特別専攻助教授 | |
| 平成8年3月 | 北海学園大学大学院法学研究科博士課程修了 | |
| 平成8年3月 | 博士(法学)(北海学園大学) | |
| 平成11年4月 | 旭川医科大学医学部看護学科教授 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学医学部保健学科教授 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学大学院保健科学研究院教授 |
保健科学研究院教授井上 馨 (いのうえ かおる) 氏

私は大学ではデザインを学び,その中で生理人類学を基盤とした人間工学を専攻しました。大学院を卒業した後,幸運にも北海道大学医学部解剖学教室に助手として採用していただきました。この研究室のテーマは神経解剖で,私もミュータントマウスを用いた神経伝導路の形態発生という仕事に参加させていただきました。解剖学教室の大きな仕事は解剖学実習です。私は解剖学実習の第一歩から教えていただき,解剖学実習の指導は現在まで続けています。
その後,医療技術短期大学部へ解剖学の担当者として赴任しました。所属は作業療法学科でしたが,当時は作業療法というのが何なのか殆ど知りませんでした。しかし,実際見聞きしてみると,作業療法はおもしろい分野で,これから大きく発展する可能性があると感じました。研究面では遺伝子改変マウスを用いた緑内障の研究,また生理人類学のテーマの一つである生理的多型性を用いた研究も行いました。生理的多型性は作業療法にも関係するユニバーサルデザインの基盤になるものと考えています。これには40年も前に学んだデザインの考え方が役立ちました。よく「人生には無駄なことは何も無い」といわれることがありますが,この時それを実感した次第です。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年5月1日 | |
| 昭和53年3月 | 九州芸術工科大学芸術工学部卒業 | |
| 昭和55年3月 | 九州芸術工科大学大学院芸術工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和55年5月 | 北海道大学医学部助手 | |
| 平成2年6月 | 医学博士(北海道大学) | |
| 平成5年4月 | 北海道大学医学部講師 | |
| 平成8年4月 | 北海道大学医学部助教授 | |
| 平成11年4月 | 北海道大学医療技術短期大学部教授 | |
| 平成15年4月 | 北海道大学医学部教授 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学大学院保健科学研究院教授 |
保健科学研究院教授千葉 仁志 (ちば ひとし) 氏

北大教職員の皆様に,退職のご挨拶を申し上げます。
北大卒業後に第二内科に入局し,最初に原発性アルドステロン症という病気に出会ったことが,長い北大での脂質研究の始まりでした。この病気の診断に役立つステロイドの合成と分析のために,北大薬学部から行かれていた東日本学園大学(現 北海道医療大学)薬学部の藤間貞彦教授,黒澤隆夫講師(現 同大副学長)の研究室に入門しました。研究がまとまった後も分析を続けたくて,悩むこともなく臨床検査の世界に移りました。北大病院検査部では感染管理室の立ち上げ,ISO15189(検査室の国際規格)の全国初の認定取得に参加しました。いずれも多くの方々の努力で成し遂げられて現在に至っています。新設の医学部保健学科に移ってからは,臨床検査教育に従事しながら,保健科学研究院・学院,健康科学分野,そして健康イノベーションセンター・高度脂質分析ラボ部門の立ち上げに関わりました。若い日に憧れた合成と分析を駆使した脂質研究の環境が,周囲のご理解とご協力によって漸く整いました。ここまでに研究生活30余年を費やしてしまいましたが,研究室の同僚や学生がこれからここで優れた研究を展開してくれるのが楽しみです。
最後になりましたが,大変にお世話になりました北大の教職員の皆様に深く感謝いたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年7月23日 | |
| 昭和56年3月 | 北海道大学医学部医学科卒業 | |
| 昭和56年6月 | 北海道大学医学部附属病院医員 | |
| 昭和56年10月 | 伊達赤十字病院 | |
| 昭和58年1月 | 北海道大学医学部附属病院医員 | |
| 昭和62年9月 | 北海道大学医学部助手 | |
| 平成3年12月 | 北海道大学医学部附属病院講師 | |
| 平成3年12月 | 北海道大学医学部附属病院検査部副部長 | |
| 平成6年6月 | 博士(医学)(北海道大学) | |
| 平成17年4月 | 北海道大学医学部教授 | |
| 平成17年10月 | 北海道大学病院検査部長 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学大学院保健科学研究院教授 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学大学院保健科学研究院副研究院長 | |
| 平成24年3月 |
工学研究院教授高橋 正宏 (たかはし まさひろ) 氏

私は,北大衛生工学専攻を昭和53年に修了してから,平成17年に北大に戻るまで,4年程行政に関わりましたが,それ以外は建設省,国土交通省の研究所で,下水処理の研究を続けてきました。実際の下水処理場が主戦場でしたので,地方自治体の現場のベテランや,民間企業の熟練技術者から,たくさんのことを学ばせてもらいました。
北大に来て,今度は技術的にはまっさらな学生に環境問題の奥深さを考えてもらうきっかけを与えなくてはなりませんでした。27年間,国の技術者として日本各地や世界で経験した様々な環境問題を学生にできるだけ伝えるように心がけましたが,うまく伝わったかは自信が持てません。私が最初の頃に指導した学生は,今,社会の中堅としてそれぞれの持ち場を支えようとしている年頃です。彼らの活躍を期待しております。
今,世界は経済成長の停滞,反グローバリズムやポピュリズムの台頭など,きな臭い状況を見せています。おかしな潮流に国民が流されてしまっては,また先の大戦のような悲惨な状況に陥るかもしれません。自分の頭で考え,孤立を恐れない強い自我を,この北大の地で鍛え上げてくださるようお願いいたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年11月21日 | |
| 昭和51年3月 | 北海道大学工学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和53年4月 | 建設省土木研究所研究員 | |
| 平成8年3月 | ||
| 平成8年3月 | 博士(工学)(北海道大学) | |
| 平成8年4月 | 滋賀県土木部課長 | |
| 平成10年6月 | ||
| 平成10年6月 | 建設省建設技官 | |
| 平成10年6月 | 日本下水道事業団大阪支社次長 | |
| 平成12年7月 | ||
| 平成12年7月 | 建設省土木研究所研究官 | |
| 平成13年4月 | 国土交通省国土技術政策総合研究所研究官 | |
| 平成16年4月 | 国土交通省国土技術政策総合研究所研究部長 | |
| 平成17年4月 | 北海道大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院工学研究院教授 |
工学研究院教授鵜飼 重治 (うかい しげはる) 氏

国の研究開発機関で最初の10年間はウラン・プルトニウム混合酸化物燃料の照射研究,その後の17年間はステンレス鋼の照射効果研究や酸化物分散強化型(ODS)フェライト鋼の開発に従事した後,北海道大学に移り,11年が経ちました。国の機関ではプロジェクト開発で研究への制約が大きかったので,大学では自分で納得できるまで,とことん研究したいと思いました。大学の研究室で実験できるODS合金の研究を中心に据え,たっぷりある自分の時間でODS合金についてもう一度基礎に返って深く考えました。幸い,これまで科研費を切れ目なく獲得し,学生達と研究を進める中で,ワクワクするような新しい現象,発見にも巡り会えました。そんな中で,平成23年3月11日に福島第一原子力発電所の事故が起こってしまいました。二度とこのような悲惨な事故を起こさないため,自分で貢献できることを考えて申請した事故耐性ODS鋼被覆管開発の大型プロジェクトが文部科学省公募に採択され,さらにその実用化技術開発が経済産業省資源エネルギー庁プロジェクトとして進行中です。
このようにして,北大での11年間は全く夢のように過ぎ去っていきました。しかし,研究意欲は益々盛んです。特任教員として後に残された2年間,これまで育んだODS合金の芽をしっかり実らせたいと考えています。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年3月26日 | |
| 昭和52年3月 | 東北大学工学部卒業 | |
| 昭和54年3月 | 東北大学大学院工学研究科博士前期課程修了 | |
| 昭和54年4月 | 動力炉・核燃料開発事業団 | |
| 平成2年2月 | 博士(工学)(九州大学) | |
| 平成10年10月 | 核燃料サイクル開発機構 | |
| 平成17年10月 | 日本原子力研究開発機構 | |
| 平成18年5月 | 北海道大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院工学研究院教授 |
工学研究院教授岡田 成幸 (おかだ しげゆき) 氏

昭和54年,博士後期課程を中途退学して助手に採用されて以来,現今では稀少の大学畑一筋の38年間の教員生活に一区切りを付けることとなりました。緑豊かな北海道に生まれ,北海道で育ち,途中思うところがあり,名古屋に異動しました。専門の地震防災計画を,社会活動に力を入れ始めた東海圏で学び直そうと思い立ったからでした。
離道して気がついたのは,日本文化の多様性に比べ大学教育の質が均一であることでした。大学生は日本中どこでも,気質は別としても,その理解力・能力において差はないと感じました。社会に出ると前者の気質が問われることにはなるのですが,日本の教育の質の高さは均一的に保障されていると納得する反面,サイードの「知識人とは何か(平凡社ライブラリー)」の言葉が重くのし掛かってきました。「知識人(intellectual)は狭い知の領域に閉じ込もりがちで,専門の外にあるものを見ようとせず(これを専門分化(specialization)という),特定の権威なり規範的考え方に迎合する(これを専門主義(professionalism)という)恐れがある」という指摘です。私が感じていた日本の教育の質の高さは専門性にありました。一般教養を犠牲にせず憂慮や愛着によって動機付けられる広い視野と関心,これがサイードのいうアマチュア主義であり,逆説的ではありますが,自分の専門領域をより広く深く進化させる原点であると思います。最後に,サイードの言葉を再び。
「現代の知識人はアマチュアたるべきである。」
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年4月14日 | |
| 昭和51年3月 | 北海道大学工学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和54年3月 | 北海道大学大学院工学研究科博士後期課程中途退学 | |
| 昭和54年4月 | 北海道大学工学部助手 | |
| 昭和62年12月 | 工学博士(北海道大学) | |
| 平成2年6月 | 北海道大学工学部助教授 | |
| 平成9年4月 | 北海道大学大学院工学研究科助教授 | |
| 平成16年10月 | 名古屋工業大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成20年4月 | 東北大学客員教授 | |
| 平成29年3月 | ||
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院工学研究院教授 | |
| 平成24年4月 | 北海道地区自然災害科学資料センター長 | |
| 平成27年3月 | ||
| 平成27年4月 | 京都大学防災研究所自然災害研究協議会北海道地区部会長 | |
| 平成29年3月 |
工学研究院教授松浦 清隆 (まつうら きよたか) 氏

北大理類の入学試験を受けるため兵庫県から初めて北海道に来て以来,これまでの人生の大半を札幌及びその近郊で暮らしてきました。学部3年生の時に故郷の高校の1年後輩の女性と結婚して,在学中に2人の子が生まれ,助手になってからさらに2人の子に恵まれ,その4人の子供たちも皆20代前半で結婚したので,私に初孫が生まれたのは40代後半で,還暦の頃には11人の孫に囲まれる総勢21名の大家族になりました。
故郷から遠く離れた北海道で世間知らずの若い夫婦が2人きりで始めた生活が,こんなに大きな家族となって花開いたことを改めて思い返すと,これまで様々な苦労を味わいましたが,今では報われた感があります。何かの時に頼れる親や親戚は遠く離れた故郷にいたため,日々の苦労は2人で支え合うしか術がないような環境に長く置かれてきたので,夫婦や家族の絆はとても強いものになったように思われます。また,特に学生時代は,当時住んでいた郊外の町内の方々や家庭教師をしていた家の方々に何かと大変お世話になったので,おかげ様で貧しい中でもたくさんの子供たちをどうにか育てることができました。北海道の人たちの温かい支えに助けられたと思い,深く感謝しています。
略 歴
| 昭和54年3月 | 北海道大学工学部卒業 | |
| 昭和56年3月 | 北海道大学大学院工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和56年4月 | 北海道大学工学部助手 | |
| 平成5年12月 | 博士(工学)(北海道大学) | |
| 平成9年4月 | 北海道大学大学院工学研究科助手 | |
| 平成15年4月 | 北海道大学大学院工学研究科助教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院工学研究院教授 |
工学研究院教授近久 武美 (ちかひさ たけみ) 氏

私がウィスコンシン大学で修士課程を修了した後,北大博士課程に復学して1年半ほど経った頃,突如恩師から2ヶ月以内に学位論文申請をする旨を告げられ,毎日大学に泊まり込みながら学位論文を仕上げました。この時の若さに溢れた頑張りは,今では懐かしい思い出です。以来35年間の教員生活が始まりました。
最初はディーゼル機関内の燃焼及びエミッション改善に従事し,「燃焼の相似則」という新概念を提唱しました。その後,所属する研究室の改編に伴い,エネルギーに関する新領域を切り開くこととなりました。そこで,再生可能エネルギーの研究をしたいと考えながら,研究人生を賭けるような発展的なテーマが見つからず,もがき苦しみました。そのうち,機械工学分野では珍しい「CO2削減目標に対する長期的なシナリオ解析」を始めました。また,新教授が来られたことを契機として,「燃料電池研究」を開始しました。それ以来,この2つに「燃焼研究」を加えた3種類の研究が柱となっています。近年,地球温暖化による異常気象が頻発しており,地球の将来が危ぶまれています。残り2年間でこれまでの研究を集大成し,北海道における再生可能エネルギーをベースとした循環型社会づくりに,少しでも貢献したいと考えています。
最後に,北海道大学での教育研究生活に感謝するとともに,本学の更なる発展を祈念いたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年1月11日 | |
| 昭和51年3月 | 北海道大学工学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和54年12月 | 米国ウィスコンシン大学大学院修士課程修了 | |
| 昭和57年3月 | 北海道大学大学院工学研究科博士後期課程修了 | |
| 昭和57年3月 | 工学博士(北海道大学) | |
| 昭和57年4月 | 北海道大学工学部講師 | |
| 昭和59年4月 | 北海道大学工学部助教授 | |
| 平成15年4月 | 北海道大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成21年4月 | 北海道大学役員補佐 | |
| 平成24年3月 | ||
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院工学研究院教授 | |
| 平成24年4月 | 北海道大学大学院工学研究院副研究院長 | |
| 平成28年3月 | ||
| 平成26年4月 | 北海道大学教育研究評議会評議員 | |
| 平成28年3月 |
工学研究院教授船水 尚行 (ふなみず なおゆき) 氏

私はここ20年以上,「サニテーション」に関する研究を行ってきている。「サニテーション」とは,「私たちの生活から否応なしに排出される『し尿』『排水』『廃棄物』をどのように扱うか」を指す。私は,これまでに日本・中国・インドネシア・ブルキナファソ・ザンビアでサニテーションのプロジェクトを行う機会を得てきた。そして,政治学・経済学・人類学・社会学・環境工学・農学を専門にする様々な国の人たちとビジョンを共有し,共に働くことができた。現在も,人間文化研究機構総合地球環境学研究所と北大の教授をクロスアポイントしている。これまでに作り上げた人のネットワークは多くの新しい融合を作り出してきたと認識している。また,超学際研究の重要性も実感することができた。私と一緒に働いてくれた世界の研究者に感謝したい。
退職後は,この4月に新たに開設される国際食資源学院の担当教員として,そして,総合地球環境学研究所の教授として引き続き,新しいフュージョンを生み出していく努力を続けていく所存である。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年8月25日 | |
| 昭和51年3月 | 北海道大学工学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院工学研究科修士課程修了 | |
| 昭和53年4月 | 北海道大学工学部助手 | |
| 昭和61年12月 | 工学博士(北海道大学) | |
| 昭和62年4月 | 北海道大学工学部講師 | |
| 平成2年4月 | 北海道大学工学部助教授 | |
| 平成9年4月 | 北海道大学大学院工学研究科助教授 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学大学院工学研究科教授 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院工学研究院教授 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学環境ナノ・バイオ工学研究センター長 | |
| 平成26年3月 | ||
| 平成26年4月 | 北海道大学次世代都市代謝教育研究センター長 | |
| 平成27年3月 | ||
| 平成28年8月 | 人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授 |
公共政策学連携研究部附属公共政策学研究センター教授石井 吉春 (いしい よしはる) 氏

政府系金融機関の日本政策投資銀行を辞め,平成17年4月から実務家教員として公共政策大学院に勤務し,いつの間にか12年が経ち,この度,定年を迎えることになりました。この間,同僚にも恵まれ,300人を超える卒業生を送り出すことができた上に,地方創生の戦略づくりなど,道内自治体運営にも様々な場面で関わることができ,この職につけたことに心より感謝しています。
公共政策大学院は,専門職大学院として,様々な分野で活躍できる実務家養成を目指してきましたが,様々なキャリアを持つ教員が集まり,手探りで教育環境の整備を行ってきました。他にない特色として文理融合という方向を掲げてきましたが,教員も学生も文系・理系が入り混じるなかで,議論もなかなかかみ合わないところから始めて,ようやく,授業などで多少ともそうしたことを体現できるようになったのかなというところです。
今後,さらに特色のある大学院として発展していくことを,心より祈念していますし,引き続き,微力ながら,大学院の発展のためにできる協力は続けていきたいと考えています。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年1月17日 | |
| 昭和51年3月 | 一橋大学商学部卒業 | |
| 昭和51年4月 | 北海道東北開発公庫 | |
| 平成11年10月 | 日本政策投資銀行 | |
| 平成17年4月 | 北海道大学大学院公共政策学連携研究部教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院公共政策学連携研究部附属公共政策学研究センター教授 | |
| 平成27年4月 | 北海道大学大学院公共政策学連携研究部長・公共政策学教育部長 | |
| 平成29年3月 |
低温科学研究所教授田中 歩 (たなか あゆみ) 氏

「金なし,暇なし,名誉なし」。これは,私が若い頃,周辺で流行っていた言葉です。これは現状を悲観したものではなく,若手研究者の可能性を表す言葉でした。失う名誉やしがらみもないので,どんな挑戦も許され,奇妙な意見も表明できたのです。言葉を変えると,この「三無い」は精神の自由の大切さを示す言葉でした。私はこの言葉を大変気に入り,精神の自由を生涯の指針にしようと考えました。
ところが,若手研究者を卒業すると,この精神の自由を持ち続けることの難しさに気が付きました。世間の研究の流れとは違った仕事を続け,常に自分の見解を表明することは予想以上に難しいことでした。その時,友人の小保方潤一さんが「研究者はやせ我慢だ」と教えてくれました。この言葉に私はいたく感銘し,その後の座右の銘になりました。
とはいっても,やせ我慢をしながら精神の自由を実現するのは本当に難しい。悩んでいる間に気が付けば定年退職の時期が来てしまいました。そう言えば,4月からは特任教授だ。制約から解放され,今度こそ精神の自由を実現できるかもわからない。しかし,何の制約もないところに自由はあるのだろうかと少し哲学的なことも考えてしまいます。研究者とは本当に難しいものだ。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年5月8日 | |
| 昭和52年3月 | 京都大学理学部卒業 | |
| 昭和54年3月 | 京都大学大学院理学研究科修士課程植物学専攻修了 | |
| 昭和57年4月 | 日本学術振興会奨励研究員 | |
| 昭和57年5月 | 京都大学大学院理学研究科博士後期課程植物学専攻修了 | |
| 昭和57年5月 | 理学博士(京都大学) | |
| 昭和61年4月 | 京都大学研修員 | |
| 昭和61年12月 | 京都大学理学部附属植物生態研究施設助手 | |
| 平成3年4月 | 京都大学理学部助手 | |
| 平成7年3月 | 京都大学理学部講師 | |
| 平成7年4月 | 京都大学大学院理学研究科講師 | |
| 平成10年4月 | 北海道大学低温科学研究所教授 | |
| 平成23年4月 | 北海道大学低温科学研究所副所長 | |
| 平成26年3月 |
総合博物館教授橋 英樹 (たかはし ひでき) 氏

農学部附属植物園と総合博物館で計36年勤務した。北大での全在職期間を学部以外の「周辺部」で過ごしたことになる。植物園の助手に採用された昭和56年,当時の大学附属施設の助手は施設生え抜き技術職員の最終職階だったので,大学院上がりの「若造」が来たと驚かれた。植物園時代には,米国国立樹木園やフィンランド大学植物園等による北海道植物調査のサポート役をして刺激を受けた。植物園技官の人たちと道内の種子採集調査をしたのも忘れ難い。そして平成11年に設置認可された総合博物館に異動した。
植物園・博物館時代には,東シベリア,千島列島,サハリン,そして北方四島など多数の夏期野外調査を経験させてもらった。これも「周辺部」にいた恩恵だったかもしれない。
総合博物館での活動は,植物標本庫の充実と展示活動だった。北大樺太研究・千島研究や,マキシモヴィッチ・宮部金吾・クラーク博士等の企画展示開催に関わらせてもらい,米国やロシアの研究機関・大学と協力できたのも思い出深い。
総合博物館は平成28年7月末にリニューアルオープン。北大の学部や研究施設等の展示が拡大し,キャンパスを訪れる方たちが目指すお立ち寄りスポットの一つとなっている。これからも「大学の顔」として,北大の教育・研究活動の発信地であり続けてほしい。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年10月17日 | |||
| 昭和51年3月 | 東北大学理学部卒業 | |||
| 昭和53年3月 | 東北大学大学院理学研究科博士前期課程修了 | |||
| 昭和56年3月 | 東北大学大学院理学研究科博士後期課程修了 | |||
| 昭和56年3月 | 理学博士(東北大学) | |||
| 昭和56年5月 | 北海道大学農学部附属植物園助手 | |||
| 平成元年5月 | 北海道大学農学部附属植物園助教授 | |||
| 平成11年4月 | 北海道大学総合博物館教授 |
歯学研究科准教授小林 國彦 (こばやし くにひこ) 氏

北海道大学に入学して以来42年が過ぎました。北大を選んだ理由は,父が転勤族だったため,まだ住んだことがないところ,という単純なものでした。入学してみると大学の99期生であり,歯学部の9期生ということでした。伝統ある大学の新しい学部ということで,それぞれのいいところがある過ごしやすい環境でした。先輩たちはあまり高圧的ではなく,フランクに議論ができる,そういう校風があったと思います。
開業医になることを漠然と考え,その準備として第二補綴学講座に入局したのですが,いきなり助手となり,昨日まで学生だった身から,目が覚めると教官になっているという,今では考えられない時代でした。入局後は新米教官として,また研究者として忙しい毎日を送りました。毎日夜中まで働く生活が続きましたが,仲間に恵まれ,楽しく仕事ができました。16年前に高齢者歯科学教室に移りましたが,こちらでも良き先輩,後輩に恵まれました。そのおかげで,開業もせず,北海道に住み着いて,北海道大学の教員として定年を迎えることになりました。大学でしかできない歯科医療などもいろいろやることができ,充実した大学生活だったと思います。支えてくださった先輩,後輩に心から感謝申し上げたい。
略 歴
| 生年月日 | 昭和29年3月14日 | |
| 昭和56年3月 | 北海道大学歯学部歯学科卒業 | |
| 昭和56年4月 | 北海道大学歯学部助手 | |
| 昭和61年11月 | 北海道大学歯学部附属病院講師 | |
| 平成2年3月 | 歯学博士(北海道大学) | |
| 平成15年10月 | 北海道大学医学部・歯学部附属病院講師 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学病院講師 | |
| 平成25年12月 | 北海道大学大学院歯学研究科准教授 |
水産科学研究院准教授山下 成治 (やました なりはる) 氏

29歳で水産学部漁業学科の漁業機械学講座の助手に奉職してから34年が経ちます。この間,漁業現場で起こっている様々な問題について,学生や漁師ら,浜の関係者らと共に学んできました。特にその中で,人や組織は,どのような情報を用いて,どのような判断を下すのかについて,多くの事を学ばせていただきました。
このご縁でしょうか,4月から,道都にある大学の社会連携センターで,学生教育と地域振興のお手伝いをすることになりました。小集団においても,大きな協議会や国の諮問委員会などにおいても,意思決定の際には,バイアスを含む様々な統合化が起こります。形式的な合意の限界を超えて,多くのメンバーが満足できる方法について,また新しく,学生らと学びながら実践していく所存です。
激動する社会においてこそ,大学としての水産学部の役割はより大きくなります。皆様のお力が,社会的困難を超えるための原動力となることを確信しております。
私は道半ばで転進いたしますが,皆様のご健闘をお祈りして,退任の言葉に代えます。ありがとうございました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年9月3日 | |
| 昭和54年3月 | 北海道大学水産学部卒業 | |
| 昭和58年3月 | 北海道大学大学院水産学研究科漁業学専攻修士課程修了 | |
| 昭和58年4月 | 北海道大学水産学部助手 | |
| 平成6年3月 | 水産学博士(北海道大学) | |
| 平成7年4月 | 北海道大学水産学部講師 | |
| 平成10年10月 | 北海道大学水産学部助教授 | |
| 平成17年4月 | 北海道大学大学院水産科学研究院助教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院水産科学研究院准教授 |
理学研究院准教授大島 弘光 (おおしま ひろみつ) 氏

学部3年生の時に火山と出会い,火山研究を志し,一時期はやや外れたこともありましたが,昭和52年有珠山噴火を含めて道内で起こった3回の大きな噴火活動を経験しました。いずれも研究成果を残すことができず,苦い思い出だけが残っています。なかでも観測所が存続の危機に瀕し,研究を忘れ,内なる敵と戦いながら対応に追われた平成12年有珠山噴火の経験は,後に続く人に決して味わわせたくないものでした。その一方,他大学の研究者や文部科学省,事務局,地元自治体に助けられ,望んでも叶わないと思われた新観測所の建設に携わることができましたが,時の流れは観測所の存続を許さなくなったようです。
長期にわたって現地に滞在し,噴火で被災した人々や地域の苦悩と復興への知恵を垣間見て,漠然とした憤りとたくましさを感じ続けてきました。ようやくそれが何であったのかが分かり始め,これからのテーマとして取り組みたいと考えています。
教員としては,学生に「人は良いがガラは悪い」,意味不明な「大島語」を操ると言われている反面教師でしたが,野外観測を共にし,一緒に悩み,考え,問題を共有できた学生に出会えたことは大きな喜びです。常に新風をもたらし,時には鏡のように自分のいたらなさを映し出してくれた学生に支えられた教員生活でした。今は,多くの巣立った学生への感謝の気持ちで一杯です。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年10月19日 | |
| 昭和52年3月 | 北海道大学理学部卒業 | |
| 昭和54年3月 | 北海道大学大学院理学研究科修士課程修了 | |
| 昭和55年4月 | 北海道技術史員 | |
| 平成元年4月 | 北海道大学理学部助手 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学大学院理学研究科助手 | |
| 平成10年3月 | 理学博士(北海道大学) | |
| 平成13年4月 | 北海道大学大学院理学研究科附属地震火山研究観測センター助教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院理学研究院附属地震火山研究観測センター准教授 |
平成17年に伊達市立伊達中学校で行った
出前授業のレポートに描かれていた似顔絵
理学研究院准教授今川 敏明 (いまがわ としあき) 氏

北海道大学へ赴任したのが平成4年11月1日,朝起きると前の晩から降った雪で北大構内は真っ白でした。そんな雪まみれの構内を歩いて理学部にやってきたことを今でも鮮明に覚えています。それから約25年,こんなに長く北海道大学にお世話になるとは思ってもいませんでした。その間,谷口和彌教授,坂口和靖教授のもとで研究・教育に専念することができ,大変充実した生活を送ることができたことを大変幸せに感じています。「実験が好きなだけ」の私のようなものが,北大の研究・教育にどれほど貢献できたかは疑わしい限りですが,自分の好きな研究を思う存分自由に行うことができる環境を作ってくださった両先生の広いお心に感謝する次第です。平成6年からは,理学部RI施設の取扱主任者として安全管理に努めてきました。福島第一原子力発電所事故など,放射線施設に向けられる世間の眼は厳しく,安全管理には万全の体制で望まなければなりません。事故など問題を起こすことなく勤めを終えることができたのも,皆様のご協力があって初めてできたものと本当に感謝しています。
あと2年は,特任教員としてお世話になるつもりですので,ご指導のほどよろしくお願いいたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和28年7月25日 | |
| 昭和51年3月 | 大阪大学理学部卒業 | |
| 昭和53年3月 | 大阪大学大学院理学研究科前期課程修了 | |
| 昭和55年4月 | 大阪大学大学院理学研究科後期課程中退 | |
| 昭和55年4月 | 国立循環器病センター研究所厚生技官(研究員) | |
| 昭和59年6月 | 理学博士(大阪大学) | |
| 平成3年4月 | 国立循環器病センター研究所筋制御研究室長 | |
| 平成4年11月 | 北海道大学理学部助手 | |
| 平成5年4月 | 北海道大学理学部講師 | |
| 平成6年4月 | 北海道大学理学部助教授 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学大学院理学研究科助教授 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学大学院先端生命科学研究院助教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学大学院先端生命科学研究院准教授 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学大学院理学研究院准教授 |
北方生物圏フィールド科学センター准教授門松 昌彦 (かどまつ まさひこ) 氏

私の携わって来た試験研究では,複数の樹種の産地や個体間の成長・生育の違い等を明らかにしてきました。具体的には,産地試験地の設定や既存試験地の継続調査などです。長寿の樹木が対象であるため,それには数十年という時間を要します。また,決して一人では為し得ない研究でもあります。身を置かせていただいた研究林(旧演習林)には幸いにも組織力があり,その力を試験地の設定・維持管理・調査に発揮していただきました。
成果の数々はひとえに非常勤職員を含む研究林教職員のご理解とご協力・ご支援の賜物であり,心から感謝しております。また,学内外の研究者と連携を組むことができたことも,私にとって大変幸せなことでした。皆様方に改めて深謝いたします。
略 歴
| 昭和51年3月 | 鹿児島大学農学部林学科卒業 | |
| 昭和53年3月 | 北海道大学大学院農学研究科林学専攻修士課程修了 | |
| 昭和57年9月 | 北海道大学大学院農学研究科林学専攻博士課程修了 | |
| 昭和57年9月 | 農学博士(北海道大学) | |
| 昭和57年10月 | 北海道大学農学部附属演習林助手 | |
| 平成11年4月 | 北海道大学農学部附属演習林助教授 | |
| 平成13年4月 | 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター助教授 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター准教授 |
附属図書館事務部長富田 健市 (とみた けんいち) 氏

北海道大学には,学生として4年,職員として9年お世話になりました。昭和57年に附属図書館に採用された際,最初の主な担当は電動タイプライターで目録カードを作成することでした。図書業務の電算化は外国雑誌の一括契約だけで行われていましたが,やがて全体に拡大し,今では目録カードそのものを見ることもほぼ無くなりました。自分自身も業務電算化を契機に,システム担当の深みにはまることとなり,北大を一度離れた後も,他の大学図書館等でほぼそのままで過ごしました。
今回は26年ぶりに北大に戻ってきたのですが,四半世紀を経過して電算化は更に進行しています。以前は図書や雑誌がどこに所蔵されているかを確認し借りることができるというのがシステム化の成果でしたが,電子書籍や電子ジャーナルであれば,来館することなく本文まで利用できるようになり,図書館自身も機関リポジトリ(北大ではHUSCAP)で北大の研究成果を世界に発信する支援をしています。さらに最近では,研究データの公開についても積極的な取り組みが求められるようになっています。
今後の北海道大学のますますの発展と,図書館がそれを支援していける存在であり続けることを期待しています。長い間,ありがとうございました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和31年5月10日 | |
| 昭和55年3月 | 北海道大学文学部卒業 | |
| 昭和57年4月 | 北海道大学 | |
| 昭和63年4月 | 京都大学 | |
| 平成3年4月 | 国際日本文化研究センター情報管理施設資料課文献資料係長 | |
| 平成6年4月 | 京都大学図書館情報管理課システム管理掛長 | |
| 平成9年4月 | 学術情報センター目録情報課専門員 | |
| 平成12年4月 | 国立情報学研究所国際・研究協力部成果普及課課長補佐 | |
| 平成14年4月 | 長岡技術科学大学図書課長 | |
| 平成16年7月 | 筑波大学附属図書館情報サービス課長 | |
| 平成18年4月 | 筑波大学附属図書館情報管理課長 | |
| 平成20年4月 | 東京工業大学学術情報部情報図書館課長 | |
| 平成20年7月 | 東京工業大学研究情報部情報図書館課長 | |
| 平成22年7月 | 東京工業大学研究推進部情報図書館課長 | |
| 平成23年4月 | 岡山大学附属図書館事務部長 | |
| 平成26年4月 | 北海道大学附属図書館事務部長 |
工学系事務部長多谷 司 (たや つかさ) 氏

昭和50年当時,旧文部省の事務官として北海道大学に奉職しました。それから約42年もの歳月が流れたことに大きな驚きを感じています。その間,事務局に通算で約27年余り勤務し,北海道大学が激しい時代の移り変わりの中で,それらに適切に対応するため,数多くの変革を成し遂げてきたことを目の当たりにしてきました。
国立大学にとって「未曾有の大改革」と言われた,平成16年4月の法人化に向けた3年間に及ぶ移行作業が特に印象に残っています。今後も北海道大学のために少しでもお役に立てるよう,引き続き微力を尽くしてまいります。
これまで支えていただいた沢山の後輩職員に対し,改めて感謝を申し上げるとともに,益々のご活躍を祈念いたします。
略 歴
| 生年月日 | 昭和31年11月3日 | |
| 昭和50年6月 | 北海道大学教養部 | |
| 昭和53年8月 | 北海道大学庶務部人事課 | |
| 昭和56年4月 | 文部省大臣官房人事課(併) | |
| 昭和57年3月 | ||
| 昭和62年4月 | 北海道大学工学部 | |
| 平成元年5月 | 北海道大学医学部 | |
| 平成3年4月 | 北海道大学庶務部人事課 | |
| 平成9年4月 | 小樽商科大学庶務課職員係長 | |
| 平成11年4月 | 小樽商科大学庶務課人事係長 | |
| 平成12年9月 | 北海道大学総務部人事課能率掛長 | |
| 平成13年4月 | 北海道大学総務部企画室専門職員(法人課調査担当) | |
| 平成14年8月 | 北海道大学法人移行準備事務室(組織・運営担当) | |
| 平成16年4月 | 北海道大学企画部企画調整課企画調整係長 | |
| 平成16年7月 | 北海道大学総務部総務課総務係長 | |
| 平成17年4月 | (兼)北海道大学総務部総務課専門員 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学総務部総務課課長補佐 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学総務部職員課長 | |
| 平成21年4月 | 小樽商科大学総務課長 | |
| 平成23年4月 | 北海道大学研究推進部研究企画・推進課長 | |
| 平成24年4月 | 北海道大学研究推進部研究振興企画課長 | |
| 平成25年4月 | (兼)北海道大学研究推進部次長 | |
| 平成26年4月 | 北海道大学総務企画部次長 | |
| 平成27年4月 | 北海道大学工学系事務部長 |
北海道大学病院総務課長大石 和博 (おおいし かずひろ) 氏

私は,昭和31年9月に北海道大学医学部附属病院(当時)で産湯を使い,昭和62年に北海道教育大学に採用後,釧路工業高等専門学校,小樽商科大学,室蘭工業大学,旭川医科大学に転任,最後の勤務地である北海道大学では,縁あってか,出生した北海道大学病院で勤務させていただきました。
30歳での中途採用後,財務系,施設系,学務系,総務系など,いろいろな仕事を経験し,多くの方々にご指導,ご支援をいただき無事に定年を迎えることになりました。
また,旭川医科大学と北海道大学での4年間の病院勤務では,見るもの聞くもの初めてのことで戸惑うばかりでしたが,最後の年に病院の国際化推進に資することを目的とした事務職員,メディカルスタッフのための「国立大学附属病院海外実務研修(主催:国立大学附属病院長会議)」の企画や,研修本番の事務サポートとして台湾出張の機会を得るなど,多くの経験をさせていただき,ただただ感謝するばかりです。
最後に,北海道大学が今後益々発展されることを祈念いたしますとともに,皆様方のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。お世話になり,本当にありがとうございました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和31年9月6日 | |
| 昭和62年1月 | 北海道教育大学 | |
| 平成12年4月 | 国立大雪青年の家庶務課会計係長 | |
| 平成15年4月 | 北海道教育大学経理部主計課管財係長 | |
| 平成16年4月 | 北海道教育大学財務部財務課専門職 | |
| 平成17年4月 | 北海道教育大学財務部施設課主査 | |
| 平成18年7月 | 北海道教育大学財務部情報化推進室主査 | |
| 平成19年4月 | 釧路工業高等専門学校総務課長 | |
| 平成21年4月 | 小樽商科大学学務課長 | |
| 平成23年4月 | 室蘭工業大学総務グループマネジャー(兼)企画・評価室ユニットマネジャー | |
| 平成25年4月 | 旭川医科大学総務部総務課長 | |
| 平成27年4月 | 北海道大学病院総務課長 |
文学研究科・文学部事務長渡邊 正明 (わたなべ まさあき) 氏

3月末でいよいよ退職です。記憶力は衰え,人の名前を覚えることは諦めましたが,美瑛・東京間(1,186.1q),超勤単価(×0.006555944),会計法29条の3第4項前段など,若い時に憶えたことは忘れていません。
国立大雪青年の家から異動してきた昭和57年には,西5丁目通りに函館本線を跨ぐ陸橋があり,札幌駅北口には北海道拓殖銀行と八重洲ホテルしかなく,時の流れを感じます。
財務部に長くお世話になりました。若い時の病院勤務では業務量が多く大変でしたが,深夜に先輩がすすきのに連れて行ってくれるなど楽しい思い出しかありません。医学部ではスポーツ三昧の日々を過ごしました。
地方へは3度行きました。室蘭の理学部附属海藻研究施設では,日々違う顔を見せる海を事務室の窓から眺め,釧路では,地霧(ぢり)に驚き,製紙工場と魚かす工場の臭いに苦しめられました。旭川では,厳寒生活を懐かしむことができましたが,水落しの煩わしさに閉口しました。
事務長として薬学部と文学部を経験しましたが,理系と文系の教員組織,社会での立ち位置・評価の違い等に驚きました。学問分野,歴史の違いなのでしょう。しかし自然科学と人文社会科学は車の両輪であり,社会事象や社会問題を調査・解析・評価・批判するには双方の知識・能力が不可欠で,そのような人材育成が大学の本務の一つだと思います。
就職して40余年,何とかやってこられたのは,良き先輩,良くない先輩,仲良き同僚,優秀な後輩のおかげであり,心から感謝します。ありがとうございました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和31年8月9日 | |
| 昭和50年4月 | 国立大雪青年の家 | |
| 昭和57年5月 | 北海道大学 | |
| 平成10年4月 | 釧路工業高等専門学校学生課学生係長 | |
| 平成13年4月 | 北海道大学経理部第一契約課専門職員 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学財務部経理課財務管理掛長 | |
| 平成18年1月 | 旭川医科大学総務部会計課課長補佐 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学財務部主計課財務管理室室長補佐 | |
| 平成22年4月 | 監査室長 | |
| 平成25年4月 | 薬学事務部事務長 | |
| 平成27年4月 | 文学研究科・文学部事務長 |
獣医学研究科・獣医学部事務長西村 信毅 (にしむら のぶき) 氏

旭川工業高等専門学校から本学に転任となり,その後,室蘭工業大学での6年間の勤務を経まして,このたび定年退職を迎えることになりました。その間,人事,総務,入試,情報など様々な分野の職場を経験させていただきましたが,幸せなことに,そのつど諸先輩,同僚,後輩の皆様に恵まれ,ご指導,ご支援をいただきながら業務を担当していた思いが強くあります。この場をお借りしまして,関係していただいた皆様に心から感謝申し上げます。しかし,逆の立場として自分自身が支援できていたのかと問われますと,もっと出来ることがあったのではないかと思い,今となっては大変心残りです。
最後になりましたが,美しい自然環境に恵まれたキャンパスで勤務させていただいたことに感謝しますとともに,北海道大学の益々の発展と皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和31年10月17日 | |
| 昭和50年8月 | 旭川工業高等専門学校 | |
| 昭和60年7月 | 北海道大学 | |
| 平成9年4月 | 室蘭工業大学庶務課職員係長 | |
| 平成11年4月 | 室蘭工業大学庶務課庶務係長 | |
| 平成12年4月 | 北海道大学遺伝子病制御研究所庶務掛長 | |
| 平成14年4月 | 北海道大学総務部人事課能率掛長 | |
| 平成15年4月 | 北海道大学総務部人事課情報掛長 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学総務部人事課統一試験掛長 | |
| 平成17年4月 | 室蘭工業大学総務課課長補佐 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学総務部総務課課長補佐 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学教育学事務部事務長 | |
| 平成24年4月 | 北海道大学法学研究科・法学部事務長 | |
| 平成27年4月 | 北海道大学獣医学研究科・獣医学部事務長 |
メディア・観光学事務部事務長植西 勇夫 (うえにし いさお) 氏

昭和50年4月に創設間もない旭川医科大学に採用され,21年間勤務した後,本学に転任となり,その後の北見工業大学での勤務を含め42年間の勤務を経て,このたび定年を迎えることとなりました。
この間,それぞれの職場において,様々な仕事に携わり多くの方々との出会いがあり,意義深い日々を過ごすことができましたことは,ひとえに多くの良き先輩,同僚,後輩,並びに先生方の公私にわたる温かいご指導とご支援の賜と深く感謝し,心から厚くお礼申し上げます。
国立大学法人を取り巻く環境は一層厳しい状況が続くと思いますが,北海道大学が地域に愛され,世界に輝く大学として益々発展し続けることを祈念いたしますとともに,皆様方のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。長い間お世話になり本当にありがとうございました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和31年6月25日 | |
| 昭和50年3月 | 北海道士別高等学校卒業 | |
| 昭和50年4月 | 旭川医科大学庶務課 | |
| 昭和51年4月 | 旭川医科大学総務部庶務課 | |
| 昭和61年4月 | 旭川医科大学総務部会計課 | |
| 昭和63年4月 | 旭川医科大学総務部庶務課 | |
| 平成8年4月 | 北海道大学工学部総務課 | |
| 平成10年4月 | 北見工業大学庶務課職員係長 | |
| 平成12年4月 | 北海道大学農学研究科・農学部専門職員 | |
| 平成15年4月 | 北海道大学総務部人事課能率掛長 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学総務部職員課専門職員 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学総務部職員課職員厚生係長 | |
| 平成19年4月 | 北海道大学総務部職員課係長 | |
| 平成20年4月 | 北海道大学総務部職員課課長補佐 | |
| 平成22年4月 | 北海道大学総務部総務課課長補佐 | |
| 平成23年4月 | 北海道大学工学系事務部総務課長 | |
| 平成26年4月 | 北海道大学メディア・観光学事務部事務長 |
北方生物圏フィールド科学センター事務長山本 正幸 (やまもと まさゆき) 氏

私が北海道大学にお世話になるようになったのは,昭和50年5月20日です。最初に手にしたのは,給与ではなく夏の期末勤勉手当でした。また,人事院勧告による給与の改定が大きく,時には差額が期末勤勉手当より多いこともあったような気がします。そのような中採用された当時の私は,右も左も解らない程純粋であったものでした(今は誰にも信じてもらえませんが)。当時の病院の諸先輩から仕事は勿論,遊びや社会勉強(?)を教わりました。ここが私の出発点であります。当時の病院の仕事は,一生かけても追求したいほど面白いものでした。途中,医事業務の電算化があり,いち早くコンピューターの環境を味わえたのも,今となればラッキーでした。一般的に病院経験者は,病院経験が長くなると言われていますが,ご多分に漏れず病院スパイラルを見事経験しました。
しかし,その中でも最後の職場として,地方勤務を2回経験した私が,北方生物圏フィールド科学センターに志願し勤務できたことが,大変喜ばしいものでした。地方のことを知り,工夫をすることで色々な成果が期待できる,こんな面白い施設は,他に無いと思います。やりたいことは沢山ありましたが,2年間で完結はできませんでした。少し悔いが残ります。次の事務長に期待しつつ,後ろ髪を引かれる思いで退職します。
最後になりましたが,無事ここに退職できるのは,諸先輩及び皆様の支えがあってのものです。今後の皆様のご活躍を期待しております。長い間お世話になりました。
略 歴
| 生年月日 | 昭和31年5月27日 | |
| 昭和50年3月 | 北海道砂川北高等学校卒業 | |
| 昭和50年5月 | 北海道大学医学部附属病院医事課 | |
| 昭和57年5月 | 北海道大学教育学部 | |
| 昭和59年5月 | 北海道大学獣医学部 | |
| 昭和62年5月 | 北海道大学農学部 | |
| 平成2年4月 | 北海道大学医学部附属病院管理課 | |
| 平成4年4月 | 北海道大学農学部附属演習林中川地方演習林事務掛会計主任 | |
| 平成7年4月 | 北海道大学医学部附属病院管理課管理掛会計監査主任 | |
| 平成10年4月 | 北海道大学理学部附属臨海実験所事務掛長 | |
| 平成12年4月 | 北海道大学理学研究科・理学部附属臨海実験所事務掛長 | |
| 平成13年4月 | 北海道大学経理部第二契約課第二契約掛長 | |
| 平成15年4月 | 北海道大学医学部附属病院管理課専門職員 | |
| 平成15年10月 | 北海道大学医学部・歯学部附属病院管理課経営企画掛長 | |
| 平成16年4月 | 北海道大学病院管理課専門職員 | |
| 平成17年10月 | 北海道大学病院経営企画課予算管理係長 | |
| 平成18年4月 | 北海道大学病院経営企画課財務係長 | |
| 平成19年4月 | 旭川医科大学病院事務部経営企画課課長補佐 | |
| 平成20年4月 | 旭川医科大学総務部会計課課長補佐 | |
| 平成21年4月 | 北海道大学病院経営企画課課長補佐 | |
| 平成24年4月 | 北海道大学工学系事務部経理課長 | |
| 平成27年4月 | 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター事務長 |