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「リテラ・ポプリ」 とは 「ポプラからの手紙」 と 「人々の手紙」 の二重の意味を持っています。 |
2003年7月、札幌での第23回国際測地学・地球物理学連合総会(IUGG2003)開催を期に、北大総合博物館に中谷宇吉郎教授室(理学部N123室)が復元展示された。
この教授室は、私にとってまた忘れがたい思い出がある。大学院生になって間もなく、中谷随筆のファンだった私は当時の樋口敬二助教授に連れられて、先生の著書3冊を持って教授室を伺った。先生は早速机上の硯箱の蓋を取られて1冊目に『地の底 海の果には何があるか分からない』、2冊目には『科学と芸術との間には硝子の壁がある』、そして3冊目には『恵存』と書かれた。ややあって、恵存という意味が分かるかね?と尋ねられた。私は密かにどれかには『雪は天から送られた手紙である』と書いて下さると思っていたので、びっくりすると同時にちょっぴり残念な気もした。 しかし、先生の名言『雪は天から送られた手紙である』は、数多くの掛け軸や色紙などに見られるが、私に書いて下さった『地の底 海の果』と『硝子の壁』のフレーズは初めて見る言葉だったので、とても嬉しかった。雪に関連する研究者にとって『天からの手紙』のフレーズは、1954年ハーバード大学から出版された「Snow Crystals - natural and artificial - (雪の結晶、天然雪と人工雪)」の249ページに示されている「Ta-Sダイヤグラム」をもとにしたもので、雪の結晶形は温度と湿度によって決まると言うことを一目瞭然に表したものなのである。しかし、この名言が数ある先生の著書の中に見あたらないというのもまた事実である。著名な先生の著書である『雪』の中には、「さて、雪は高層に於いて、まづ中心部が出来それが地表迄降って来る間、各層に於いてそれぞれ異なる生長をして、複雑な形になって、地表へ達すると考へねばならない。それで雪の結晶形及び模様が如何なる条件で出来たかといふことがわかれば、結晶の顕微鏡写真を見れば、上層から地表までの大気の構造を知ることが出来る筈である。そのためには雪の結晶を人工的に作って見て、天然に見られる雪の全種類を作ることが出来れば、その実験室内の測定値から、今度は逆にその形の雪が降った時の上層の気象の状態を類推することが出来る筈である。このやうに見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。(原文のまま)」と書いてあるので、これが元になっているのであろう。 しかし一方で先生は、何時か、これは雪の研究がどんな役に立つのですか?と言う質問に対しての表向きの言い分であって、本当のところは楽しいからだよとも言っておられた。それを表す文章として、やはり『雪』の中に次のような一節がある。「併し、十勝岳へ出かける度に、毎日のやうに顕微鏡で雪を覗き暮らしているうちにも、これほど美しい物が文字通り無数にあってしかも殆ど誰の目にも止まらずに消えてゆくのが勿体ないやうな気が始終して居た。そして実験室の中で何時でもこのやうな結晶が自由に出来たなら、雪の成因の研究などという問題をはなれても随分楽しいものであろうと考えて居た。始終さういう気持ちを持ちながら、天然の雪とそれに直接の関係がある霜とを見て居たら、いつの間にかすらすらと雪の人工製作への道が開けて来たのである。(原文のまま)」と書いている。これこそが人工雪の成功の根源であり、研究発展へのエネルギーとなるものであろう。
一方、『硝子の壁』のフレーズもまた数ある先生の著書の中に見あたらない。しかし、これに関しては、夏目漱石門下で先生の恩師である寺田寅彦先生とよくご一緒していた仲間の1人、津田清楓画伯は寅彦がよく口にしたという「寺田さんの物の見方はなんでも、すぐ裏側をはぐって見、未だそれでも満足ができぬので縦横十文字に、四方八方から見る式で、そこに科学者らしい値うちがあるんだろうが、然し、又自分の専門の話になると散々愉快そうに話して、物理だって客観的に調べるばかりでは能がないので、矢張り芸術文学同様人間の頭脳に創作的なひらめきがあって、そこからヒントを得て演繹しなければ大きな発見や、発明は出来ない、と言うようなことも言って居られた。」という。 また、寅彦は彼の随筆『柿の種』の中で、「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ1枚のガラス板で仕切られている」と書き、さらに『万華鏡』のなかで、漱石が何かの講演で「芸術家と科学者が、それぞれの製作と研究とに没頭して居る時の特殊な心的状態は、その間に何等の区別をも見出し難い様に思われる」と言った、とも書いている。寅彦が中谷先生をはじめ身近な人々に言ったであろうこの言葉を、中谷先生は『科学と芸術との間には硝子の壁がある』という短いフレーズで表してくれたものとも考えられる。中谷先生も寅彦と同じように、高名な科学者であり、また芸術の世界に住む人達と深い交流があったからこそ言えた言葉であって、凡人には到底及ぶ範囲のものではない。しかし、科学者として肝に銘じて置くべきであろうし、また多くの人に知っておいて貰いたい言葉の1つではある。 中谷先生の言葉としての『天からの手紙』は、もう十分定着した今、『地の底 海の果』と『硝子の壁』の言葉を改めて紹介し、先生の研究の根源をなすものとして推薦したい。 さて話は変わるが、中谷先生から受け継がれてきた雪の結晶成長などに関する研究は、その後は旧理学部気象学講座や旧低温研物理学部門によって、極域を含む観測から、結晶成長のダイナミックスと発展させてきているが、研究体制の変革などを理由に、これらの分野は正当な評価をされているとは言いがたい。OBからみると、「温故知新」という言葉は今の北大のそこここに忘れ去られているような気がする。 菊地 勝弘
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