【対談「総長が訊く」】

直面する課題に立ち向かい、オール北海道で新たな価値を創り上げる


ゲスト
真弓 明彦
北海道電力株式会社取締役会長

「人間尊重」、「地域への寄与」、「効率的経営」の3つの経営理念、「ともに輝く明日のために。Light up your future.」というコーポレート・スローガンを掲げている北海道電力。1951年の創業以来、先人達の知恵や想いを脈々と受け継ぎ、電気を中核とするエネルギー供給の担い手として北海道の生活や産業を支えている。
比類なき大学を目指して改革を進める寳金清博総長が、本学OBの真弓明彦取締役会長に、その半生や企業理念などを伺うとともに、北海道の未来について語り合った。




「北海道のために」という思いを胸に

寳金 まず、ご出身と北大に入学するまでのいきさつをお聞かせください。


真弓 1954年、北海道旭川市生まれです。高校卒業まで旭川市に住んでいました。子どもの頃はわんぱく小僧で、勉強よりも外で遊ぶことが大好きでした。ボーイスカウトに入隊してキャンプやアウトドア活動をし、中学では、夏はソフトテニス、冬はスキー部と掛け持ちしていました。
 大学受験に際して、兄が札幌医大に進学していたこともあり、自分も医師の道を選びたい、北海道のために何かできないかという気持ちがあり、医学部を目指したのですが残念ながら縁がありませんでした。その後、技術者として北海道に残って何かをしようと考え、工学部の電気工学科に進みました。

寳金 私と同い年ですね、どのようなご家族だったのですか。

真弓 父は兵庫県姫路市の出身で、叔父を頼って旭川市に渡り、自分で木材業を営んでいました。母親は教育ママだったので、小学校の時から習字、ピアノ、そろばんなどの習い事や塾に通っていました。男3兄弟の真ん中で、兄は医者になるために猛勉強、弟は末っ子なので甘やかされ、私はその間を上手くすり抜けたという感じでしょうかね。

寳金 いろいろな選択肢があった中で、北海道電力に就職しようと決めたのはなぜですか。

真弓 大学入学後も、北海道のためにできることをしたいという気持ちは変わりませんでした。電気工学に関連する会社はあるのですが、北海道で働くとなると限られてきますので、北海道電力への就職を第一希望としました。当時の電気工学科は63名いました。教授推薦枠というのがあり、その枠で北電に推薦してもらえる学部生は1名で、結果的に私がその1名となった訳ですが、後日、就職担当の先生にその理由を伺うと「お前は北電向きだからだ」と言われました。それぞれの企業のカラーというものがあり、そこに合った学生を先生が振り分けていたのかもしれないですね。

寳金 地元に貢献したいという思いを強く感じます。それが今に生きているのですね。これまでの人生で影響を受けた方はいらっしゃいますか。

真弓 学生時代の恩師である長谷川淳先生です。卒論も指導していただきました。長谷川先生のほか、先生が所属する研究室の方々にも、北電として様々な研究や評価にご協力いただいており、入社後もお付き合いをさせていただいています。
 私は入社直後、1年半は送電線の建設や保守を行う現場の仕事をしていました。70メートルの鉄塔に登って作業をすることもありました。長谷川先生にはその当時も、いろいろと悩み相談に乗っていただきました。また、長谷川先生は現在、北電の社外監査役として、月1回の取締役会で顔を合わせていろいろなご意見を頂戴していますので、月1回の講義を受けている感じがしますね。


技術者から経営者へ


寳金 その後はどのようなお仕事をされてきたのですか。

真弓 札幌で大きな送電線工事をする建設所での勤務や、本社で送電ネットワークに関する仕事をしていました。海外研修で半年間イギリスに行ったこともありました。当時のイギリスの電力会社は国営だったのですが、次の年に民営化が決まっていました。従業員の皆さんは、民営化したらどうなるのか、右往左往しているような感じでしたので、現場でいろいろな話を聞けて勉強になりました。
 その後は人事労務部で採用担当となり、社長秘書、現場長、そして本社で電気系統を担当する工務部長になりました。その時は再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度導入の段階で、経済産業省と折衝する時間が増えました。大変でしたが、国とのいろいろなやり取りができましたので、これも非常に良い経験になりました。
 東日本大震災後に原子力発電所が停止した時期には電力需給が非常にひっ迫し、数年間は冬場の安定供給確保を相当な緊張感でやっていました。また、私が社長の時に北海道胆振東部地震によるブラックアウト(大規模停電)が発生しました。いろいろな条件が重なりブラックアウトになってしまい、道民の皆さんには改めて本当にご不便ご迷惑をお掛けしたと申し訳なく思っています。

寳金 エネルギー産業はまさに生活の基盤ですね。日本では、2050年までにカーボンニュートラルの実現を目指すことが表明されています。近年、地球温暖化対策がリアリティとして迫っており、スピード感に圧倒されます。北電は2021年に創業70周年を迎え、2030年に向けてのビジョンを策定されていますが、北海道らしい実践をどのように取り組まれるのでしょうか。


真弓 「ほくでんグループ経営ビジョン2030」は、電力の自由化競争、カーボンニュートラルなどの動向に対応し、ガス事業を始めるなど総合エネルギー企業としてお客様に寄り添いつつ、一歩先をとらえて進む道しるべと位置付けています。
 持続可能な世界の形成への配慮は企業の責任でもあり、人類の責任でもあります。日本は海外からいろいろなエネルギーを輸入して賄わなければならない国ですので、国家の安全保障としてエネルギー確保も大きな問題です。安定供給や国民の負担など、国民の理解を得ながら進めていくことが大事です。
 北海道も「ゼロカーボン北海道」という取り組みを進めていますし、我々もできる限りの協力はさせていただくつもりです。北海道は、風力や太陽光だけではなく家畜の糞尿や木質バイオマスなど、自然エネルギーに恵まれていますので、北海道らしいゼロカーボンの形成が期待できます。また、北海道は、家庭で発生するCO2が冬の暖房利用により他の地域と比較すると非常に多いので、まずはご家庭でどのような対策ができるのかを広く考えてもらう取り組みについても提言しています。
 エネルギーの大半を海外に頼る我が国においては、エネルギーの確保とバランスも大きな課題であり、原子力、石油、石炭、LNG、再生可能エネルギーのほか、石炭に代わるアンモニア混焼や水素燃料の発電なども抱き合わせながら取り組んでいく必要がありますね。


北海道の未来に向けて

寳金 北海道経済連合会の会長という重責も担っていますので、今後の北海道経済に関して考えていることを聞かせてください。

真弓 北海道の問題として根本にあるのは人口減少と高齢化です。さらにコロナ禍のあおりを受け、企業の経営的ダメージは非常に大きくなっています。一方で、北海道はいろいろなポテンシャルを秘めています。日本の食料基地であり、エネルギー基地でもありますので、こういった資源を大いに活用し、様々な課題の解決を図っていく必要があります。北海道経済連合会では「2050北海道ビジョン」を公表し、2030年にマイルストーンを置いて6つの目標と47の取り組みを掲げ、各方面に説明して回っています。今後、地方自治体や企業と連携し、成功事例を重ねていくことが必要です。


寳金 北海道は国に依存している面が強いと感じています。今後は、北海道が自主的・自律的に意思決定していく場面が必要です。

真弓 過去を振り返ると「北海道には頭がない」と言われていた時代があったそうです。国の北海道開発予算に頼り、大企業を誘致しても研究開発などの頭脳は本州で担い、自ら産業を生み出す力は不足していました。結果的に一次産業中心となり、ものづくり産業の比率が本州の約半分しかない構図になっています。
 今後は中央に任せるのではなく、各地域・企業などが自分たちでこだわりを持って産業ビジョンを考え、実践することが必要です。また、投資がハコモノで終わってしまうのではなく、利益が出て再投資をして雇用が生まれる、つまり、地域で経済的に回る仕組みを作らないと北海道の活性化にはつながりません。

寳金 大学も、もっと自立する必要があり、その意味で道経連が公表しているビジョンは非常に強いメッセージだと感じました。ぜひ、北海道民や産業界の方々に広く読んでいただきたいです。最後に本学の学生、教職員へのメッセージをお願いします。

真弓 昔の話になりますが、1972年に稚内地方で大雪害が発生し、送電鉄塔が着雪で倒れたことがありました。当時は大問題となり、北大の低温科学研究所のご協力も得て難着雪リングというものを開発しました。これで雪害事故が激減しましたので、当時の低温科学研究所の皆さんには本当に感謝しています。なお、この技術は今でも全国の電力会社で採用されています。
 私が若者に話をする時にホンダの創業者である本田宗一郎さんの格言を紹介しています。「若さとは困難に立ち向かう勇気、枠にとらわれずに新しい価値を生む知恵である」と。もうひとつは、「仕事の成果=取り組み方×能力×情熱」という掛け算です。取り組み方とは積極性と明るさのことです。このバランスが非常に重要で、ぜひ学生諸君にも意識して行動してほしいと思います。最後にもうひとつ「グロリアス・ディスコンテント(栄光ある不満)」。建設的で前向きな不満を言いなさいという言葉です。自分ならこうやりますと声にして動くことが重要です。

寳金 先代の教授から、北海道人はとてもいい人ばかりだけど、やっぱりおとなしいと言われたことがありました。北大にも当てはまると思いますので、明るく前向きな雰囲気を作り出すために「ウィニング・カルチャー」を提唱しています。大きなプロジェクトや賞の獲得を、教職員や学生が「北大の実力なら当然」と思えるものに変えていく必要があります。本日はありがとうございました。

                北海道大学総長
寳金 清博
HOUKIN Kiyohiro

1954年、北海道出身。北海道大学医学部卒業。博士(医学)(北海道大学)。1979年北海道大学医学部附属病院等に勤務。米国カリフォルニア大学デービス校客員研究員等を経て、2000年北海道大学大学院医学研究科助教授、2001年札幌医科大学医学部教授、2010年北海道大学大学院医学研究科教授に就任。2013年北海道大学病院長・北海道大学副理事、2017年北海道大学病院長・北海道大学副学長を歴任し、2020年10月から現職。
          北海道電力株式会社取締役会長
真弓 明彦
MAYUMI Akihiko

1954年、北海道出身。北海道大学工学部卒業。1979年に北海道電力株式会社入社。旭川支店電力部長、岩見沢支店長、理事 工務部長などを歴任。2012年に常務取締役、2014年に取締役社長に就任。2019年6月から現職。


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