【研究室訪問「研ぐ」】

「細胞生理学」を研ぐ


大場教授が開発した「蛍光バイオイメージング技術」の事業化を進めている天野講師。
二人の取り組みは、2021年3月に国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「NEDO TCP 最優秀賞」(※)を受賞するなど、社会的に大きな注目を集めている。

(※)TCPはTechnology Commercialization Programの略称。起業意識のある研究者などを支援するプログラムで、
二人の取り組み「光診断薬Picklesで患者さんの未来を明るく照らす」が最優秀賞を受賞した。



北海道大学大学院医学研究院 細胞生理学教室


大場 雄介 教授
OHBA Yusuke

医学博士。専門は細胞生理学、実験病理学。北海道大学大学院医学研究科病理系専攻博士課程修了。国立国際医療センター研究所の研究員として基礎医学研究をスタート。大阪大学助手、東京大学助手などを経て、2006年に北海道大学大学院医学研究科助教授に着任。2012年から現職。

天野 麻穂 講師
AMANO Maho

博士(農学)。東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻博士課程修了。2007年に北海道大学大学院先端生命科学研究院特任助教に着任。その後、研究活動を支援する専門職URAに転身し、2019年から大学院医学研究院助教。2020年から現職。



慢性骨髄性白血病治療の未来に光を当てる蛍光バイオイメージング技術


画期的な研究成果の社会実装に向けて

 生理学とは、身体の基本的な機能と仕組みを解き明かそうとする学問である。特に、ヒトが生きていく上で不可欠な、身体が「常にいつも同じ状態であること」(恒常性という)の機序を明らかにすることを目指している。ヒトの身体は、60兆個ともいわれる細胞で構成されている。これらの細胞ひとつひとつの中で、恒常性はどのように維持されているのだろうか。細胞生理学は、それを明らかにすることを目指す学問である。

 一度、恒常性のバランスが崩れると、病気の原因になる。例えば、慢性骨髄性白血病という血液のがんでは、血液細胞を作る造血幹細胞にフィラデルフィア染色体と呼ばれる異常な染色体が形成され、タンパク質BCR-ABLが細胞内に出現することで発症する。

 この病気の治療には薬物療法が有効とされているが、使用する薬剤の有効性は、治療開始後、数ヵ月から1年以上にわたる経過中の血液検査や骨髄検査などの結果によって判断されている。検査の結果、使用した薬剤が無効であったことが判明した場合、他の薬剤に切り替える必要が生じることに加えて、治療中に病状が更に悪化する懸念もある。この課題の解決に向け、蛍光バイオイメージング技術を応用した慢性骨髄性白血病の治療前薬効診断法の開発とその社会実装に取り組んでいるのが、大学院医学研究院の大場雄介教授と天野麻穂講師だ。


光診断薬「Pickles」による薬効判定。
CMLは慢性骨髄性白血病、
FRETは蛍光バイオイメージング技術を指す。


HILOラボ内の様子。本学北キャンパスに隣接するインキュベー
ション施設「北大ビジネス・スプリング」内にあるHILO社ラボ。
研究員2名が滞在し、共同研究を進めながら技術開発に励んでいる。


 本学医学部を卒業後、国立国際医療センター研究所、大阪大学及び東京大学を経て、2012年から本学大学院医学研究科時間生理学分野(現 大学院医学研究院細胞生理学教室)において医学生物学の研究に取り組んできた大場教授。研究テーマのひとつとして、蛍光バイオイメージングに着目し、臨床検査への応用を目指した研究を展開してきた。蛍光バイオイメージングとは、生きた細胞内でのタンパク質の相互作用や構造変化などについて、蛍光タンパク質を用いて視覚化することで、高感度かつ定量的に測定する技術のことである。大場教授は、下村脩博士が2008年にノーベル化学賞を受賞した蛍光タンパク質による蛍光バイオイメージングを慢性骨髄性白血病の臨床検査技術に応用した。そして、慢性骨髄性白血病の分子標的治療薬の薬効評価や治療効果の予測が可能な光診断薬「Pickles」を開発し、分子標的治療薬が慢性骨髄性白血病細胞に有効かどうかを治療前に判定することを可能にしたのだ。患者から採取したがん細胞に治療薬とともに投与すると、薬が効く細胞は青色、効かない細胞は黄色に見える。また、がん細胞の採取から薬効判定までの期間は3日程度と、従来よりも格段に早く薬剤の有効性を確認することができる。治療薬の効果や副作用が一目瞭然の画期的な技術だが、前例がない技術に臨床検査会社は慎重な姿勢を示していたという。

 そこで、大場教授が開発したこの光診断薬の社会実装を目指し、北大発スタートアップのHILO(ヒーロー)株式会社を設立したのが天野講師。当時、URAとして医療系の研究シーズを調べているなかで、この光診断薬の研究を知ったのだという。「素晴らしい研究シーズなのに事業化に向けた検討が進んでいないことを不思議に思い、大場教授のもとに話を聞きに行きました。すると、社会実装のためには会社を設立しなければならないが、社長を務める人材がいないという状況に置かれていることがわかり、直感的に挑戦しみたいと思ったのです」と当時を振り返る。2021年8月に会社を設立し、その代表取締役に就任。現在は大学講師として、また、企業経営者として多忙な日々を過ごしている。


社名「HILO」に込められた思い

 社名の「HILO」は、Horizon Illumination Lab Optics(水平線を照らす光学研究所)の頭文字。「私たちは、イメージング技術で患者さま一人一人の未来に光を当て、安心して治療に挑むことができる社会を目指します」と話す大場教授と天野講師。5年以内の薬事承認を目指し、慢性骨髄性白血病患者の至適治療の選択によるテーラーメイド医療の実現に向けて歩み続ける。




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