【卒業生インタビュー「同窓異曲」】

小説家
岩井 圭也
IWAI Keiya
|農学部卒業、農学院修士課程修了|



自分の「読みたい」を原動力に物語を生み出す

 2024年上半期の直木三十五賞(直木賞)にノミネートされた小説家岩井圭也さん。北大農学院を経て研究職に就き、仕事の傍らで小説を書き続け、2018年に『永遠についての証明』でデビューした。次々と作品を生み出す岩井さんに、学生時代の思い出や小説家までの道のり、現在の活動について伺った。


―どのような幼少期をお過ごしでしたか?

 私は大阪で育ちました。母曰く、歩くのは遅かったものの字を読むのは早かったそうです。人生で初めて物語を書いたのは5歳の時で、紙芝居を作りました。インドア派で、本はいろいろ読んでいました。


―幼い頃から小説家になりたかったのでしょうか?

 小学3年の時、愛読していた学年誌の連載が終わってしまうのが残念で、その続きを自分で書こうとしました。完成はしませんでしたが、作家になりたいという思いは当時からありました。実は、この時の「自分が読みたい」という気持ちは今も持っています。自分が読みたいということは少なくとも一人は読者がいるということです。一人いるのだから他にもいるだろうと思っていて、この気持ちが物語を作る原動力になっています。


―北大ではどのような学生生活を送りましたか?

 勉強では生物が好きだったので農学部に進みたいと考えていました。父が進学先の一つとして北海道を提案したのをきっかけにほとんど直感で北大に決めましたが、結果は大正解でした。入学後は剣道部に入りました。当時は週に6日稽古があり、部活仲間と過ごすことが多かったです。剣道部では芸披露の場もあって、友人と組んで漫才(ツッコミ担当)をしていました。初めての漫才で笑いをとれた快感が忘れられず4年間続けるなど、とにかく楽しかったです。私の代は剣道も強く、非常に充実していました。


―本格的に小説家を目指したきっかけをお聞かせください。

 小学生の頃から小説家への思いはあったものの、他のことに熱中するあまり本から離れた時期もありました。ところが、大学2年で剣道部の遠征中に本屋に立ち寄った際、小説を書きたいという気持ちを唐突に思い出したんです。それからは読書量を確保し、ひたすらインプットに努めました。修士課程に進み、応用菌学の研究をする傍らでたくさんの本を読みました。卒業後は企業の研究職に就いたのですが、研修期間が長く、自分の時間を持てたことがきっかけで本格的に小説を書き始め、2018年にデビューしました。しばらくは研究職と小説家の両輪で活動していましたが、家族の後押しもあり、今は小説家に専念しています。


剣道部の仲間たちと、廣田剣道場にて。


―街歩きと掛け合わせた企画で小説を書かれていますね。こうした活動への思いをお聞かせください。

 これは京王電鉄株式会社で行われたもので、謎解きを絡めた街歩き企画です。参加者は無料配布される小説を読み、そこに書かれた謎を解きながら沿線を巡ります。まったく新しい経路で小説を手にとってもらうチャンスだと考え、私も企画に参加して小説を書きました。これからも、今ある本の形に囚われず、より多くの人に小説を手にしてもらえればと思っています。いつか北大を舞台に書けたら面白いですね。北大なら取材なしで書けます(笑)。


―最後に、北大生へメッセージをお願いします。

 先日、久しぶりに札幌キャンパスを訪れました。泣きたくなるほど懐かしく、自分の青春の原点はここだと再認識しました。北大のキャンパスは恵まれた環境にあります。都心部という立地にありながら、広大な土地がある。ジンパ(ジンギスカンパーティー)ができるスペースがあったりサクシュコトニ川が流れていたり、部活や勉強に加え、いろいろな過ごし方ができる可能性だらけのキャンパスだと思います。ぜひ、自分だけのオリジナルの学生生活を送ってください。

PROFILE

大阪府出身。2010年に北海道大学農学部卒業、2012年に北海道大学大学院農学院修士課程修了(修士)。2018年、『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。近著『われは熊楠』は、2024年上半期直木三十五賞候補作に選出された。



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