北海道ボールパークFビレッジを
ゲスト 2004年に北海道に誕生した、北海道日本ハムファイターズ。2023年の「北海道ボールパークFビレッジ」と「エスコンフィールドHOKKAIDO」の開業から代表取締役社長に就任した小村勝氏は、野球とともに、ここから様々なエンターテインメントを発信。新しい観光スポットとしても大きな注目を集めている。
営業職で日本ハムへ入社
寳金 大阪のご出身とのことですが、子どもの頃から野球をされていたのでしょうか。 小村 はい、小学生の時に少年野球チームに入りまして、ポジションはショートでした。大阪生まれですから阪神ファンでした。 寳金 私も阪神は好きでした。当時、北海道ではほとんど巨人戦しか観る機会がなくて、まさか地元に球団ができるなんて想像すらしていませんでした。 小村 その後も社会人まで野球を続けたのですが、今思えば、自分にとってベストな進路やチームを選択できなかったことは、苦い思い出です。僕の両親は、選択の場面で一切意見を言わなかったんですよ。後から聞くと、「もしそれで上手くいかなくても、親のせいにせず、自分で納得できるように」との考えだったそうです。 寳金 プロの道へ進みたいという思いはお持ちだったのでしょうか。 小村 使用するバットが金属から木製に変わると、本当に実力のある選手しか通用しないんですよね。体格面もそうですが、プロになるには資質が足りないと思いました。 寳金 では、日本ハムへは野球とは関係なく入社されたのですね。 小村 野球を辞めて営業職の中途採用でした。店頭での販売からスタートしたのですが、本当に楽しかったです。入社試験の面接官が上司になり、同じ部署で15年ほど働きました。ずっと関西で仕事をしていたので、会社がプロ野球球団を持っていても、まったく関わりはありませんでしたね。 寳金 それでは、北海道やファイターズとのご縁が生まれたのは、どのようないきさつだったのでしょうか。 小村 今から4年前、長く一緒に働いてきた井川(現株式会社日本ハム社長)が副社長に就任した際、北海道へ視察に出向いたんです。その時、北海道には畜産のファームや製品の工場はあるけれど、本社の機能がないことに気づきました。日本ハムグループ全体で見ても、重要な土地にもかかわらず、それをまとめる部署がなかったんです。そこで、翌年(2022年)に自分が室長となって、経営企画本部の北海道プロジェクト推進室を立ち上げ、北海道を拠点に仕事をするようになりました。 寳金 関西を離れて北海道に住んでみて、どのような印象を持たれましたか。 小村 とにかく、北海道の方々の優しさを強く感じています。僕は普段関西弁ですが、たとえば別の地方だとそれを敬遠する方も中にはいるんです。でも、北海道では、皆さん温かく受け入れてくださって度量の広さを感じますね。以前、「試される大地」という北海道のキャッチコピーがありましたが、自分が試されている側だなと思います。 唯一無二の新球場
寳金 2023年の「エスコンフィールドHOKKAIDO」開業と同時に、球団の代表取締役社長に就任されました。ファイターズは若い選手が多いチームですよね。大学も同じく若者が多い場所です。若い世代の活躍についてどのようにお考えでしょうか。 小村 もともと、日本ハムという会社には「挑戦」の風土があったように思うのですが、組織が大きくなるにつれて、その雰囲気が薄れつつあると感じていました。今もなお「挑戦」のDNAを強く受け継ぎ、体現しているのが、ファイターズだと思っています。試合に出ている選手も、出ていない選手も、その精神を持っていますね。また、食品会社を基盤とする日本ハムグループの中で、エンターテインメント部門を担うのはファイターズだけなんです。ですから、多額の費用がかかる新球場の建設には、必ずしも賛成ばかりではありませんでした。そういった意味でも、若手を中心にチャレンジ精神を発揮していければと思っています。 寳金 ところで、今私たちがいるエスコンフィールドHOKKAIDOは、南向きに建てられていますね? 小村 天然芝の養生にはどうしても光が必要なので、日が射し込むように南向きに設計しています。この球場は、プレー中も選手側からファンの顔がものすごくよく見えるそうです。バッターボックスからベンチまでの距離が、普通の球場よりちょっと長いんですよね。「三振した時にどうして下を向くのか」と選手に尋ねると、「歩いている間、ファンの(残念そうな)表情が見えるので・・」と言っていました。 寳金 スタンドから選手がよく見えるということは、選手からもよく見えるということなんですね。これだけの素晴らしい球場ですから、他球団も興味を持たれているのではないでしょうか。 小村 確かに、見学に来られる方はとても多いです。今後、新球場をつくる構想を持っている球団もあるのかもしれません。 寳金 とはいえ、これほどの広さの土地を確保するのは容易ではありません。先ほどのお話にあったように、北海道の人たちの受け入れる力も成功の要因の一つだったように思います。 小村 そのとおりですね。そして、「北海道」という大きな魅力があるからこそ、これほど多くの方が足を運んでくださっていると思っています。これはもう「唯一無二」ではないでしょうか。国際空港からも近いですし、本当に魅力的な場所ですね。 北海道大学との連携
寳金 小村社長は、北海道ボールパークFビレッジとエスコンフィールドHOKKAIDOを運営する「株式会社ファイターズ スポーツ&エンターテイメント」の代表取締役社長も兼務されていますが、観光地化を含め、すでにビジネスとして成功しており、日本中から注目されていると思います。今後のビジョンをお聞かせください。 小村 目標は、Fビレッジを「行ってみたい街、また来たい街」にすることです。そのためには、人材が欠かせません。ファイターズ スポーツ&エンターテイメントには、それぞれに目的をしっかり持った社員が集まっていて、これが大きな強みです。彼らのエネルギーには本当に驚かされます。実は、社員の約1割が北大の卒業生なんです。人材が豊富な北大から、今後も一緒に働く仲間が増えていくことを期待しています。 寳金 2021年10月には、ファイターズ スポーツ&エンターテイメント、クボタ、北海道大学で三者連携協定を締結しました。 小村 三者連携協定に基づいてFビレッジに建てられた「クボタアグリフロント」は、子どもたちに人気が高い施設です。それぞれがボトムアップでアイディアを出し合い、共同創造空間をつくっていけたらと考えています。完成することなく、常に進化し続けていきたいです。その意味では、まだまだ満足していません。ムーブメントを起こすことで、街づくりが産業づくりへと広がり、エンターテイメントのさらに先にあるものが見えてくるのではと考えています。
寳金 協定を結ぶずっと以前、私が北大病院の院長をしていた時にも、当時監督だった栗山(英樹)さんと選手の皆さんにひまわり分校(院内学級)を訪問していただき、子どもたちがとても喜んでいました。この球場内にある「ペンハローダイニング」は、選手が食事をするスペースとのことですが、札幌農学校(北海道大学の前身)で教鞭をとっていた、D・P・ペンハローの名を冠していただき、大変うれしく思っています。 小村 ペンハロー氏が札幌農学校の学生に野球を教えたことが、北海道の野球の始まりとされているそうですね。彼の末裔の方は、そのことをご存じなのでしょうか。どこかにいらっしゃると思うので、ぜひ球場にご招待したいです。 寳金 小村社長は、昨年、大病を克服されたと伺いました。その前と後で、ご自身の意識の上で変わった部分はありましたか。 小村 昨年6月、仕事中に球団事務所でバタンと倒れて、クモ膜下出血でした。14時間に及ぶ手術を受け、4日間意識がなく、目覚めた時には体じゅう管だらけでした。やはりどこかで、自分の体力を過信していた部分があったのだと反省しています。回復後は毎日リハビリに励みました。親からは、「助けてもらった命なのだから、死んだつもりで皆さんにお返ししなさい」と言われていまして、僕自身も同じ気持ちでいます。復帰した際には、ファイターズファンの方々からも球場で温かいお声がけをいただきましたし、サポートいただいた皆様に、心から感謝しています。 寳金 手術から半年ほどで現場に戻られたとのこと、本当に強運だと思います。最後に、今シーズンのファイターズの雰囲気は、いかがでしょうか。 小村 選手会長の松本剛が、「今年は優勝を目指す」と明言していました。昨年の2位という成績が、力になっているんだなと感じますね。僕が選手との契約の際に必ず伝えているのは、「ファンサービスを大切に」ということです。チームはファンの応援があってこそ成り立っています。それを忘れずにいてほしい。ぜひ優勝して記念旅行にも行きたいですし、何より、北海道のファンの皆さんの前で優勝パレードができたら最高ですね。 寳金 ファンの一人として楽しみにしています。本日はありがとうございました。
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