全学教育におけるグループディスカッションと論文指導
1. グループディスカッション中心の授業
この講義は,「環境と地域社会」という講義題目のもと,1年生を中心とした理系の学生たちに対し,環境の問題を地域社会の視点から考えることを目的とした講義である。そして,この講義の特徴は,全体の4分の3程度の回でグループディスカッションを行なったことにある。
たとえば,ある回はこんなことをやった。沖縄の海と瀬戸内海で起きた紛争を扱ったNHKの番組の一部(20分)を見せる。漁業者とダイビング業者,あるいは漁業者と釣り業界との間に,海を利用する権利をめぐって紛争が起きている。これを見せて,学生たちに解決法を考えさせる(この授業は,講義全体の6回目に当たり,それまで学生は,自然を守ることとはどういうことか,自然を守るための地域のしくみとはどういうものか,について,やはり議論の中で学んでいる。それを踏まえてのこの回の議論である)。まず,一人ひとりが「はがせるシール」に1枚1項目で「こんな解決方法がある」「解決へ向けてこの点が大ことだ」といったことについて書き込む。次に,4人程度のグループになり,各グループで,シールをA3用紙に貼ったりはがしたり,議論しながら並べ直したりしながら(つまりはKJ法によって),解決法を考える。グループディスカッションの際,学生には,「遠慮せず,互いに批判し合いながら議論する」「“誰がそれをするのか”に注意しながら議論する」「それが本当の解決になるのか,をつねに意識する」など,いくつかのアドバイスをする。そして最後の15分ほどで,いくつかのグループの解決法を,資料提示装置を使って発表してもらう。最後に,私から,コメントをするとともに,次回講義の予告をする。
グループディスカッションのテーマは,「解決法を考える」のほか,問題を「解く」パターン(たとえば「田んぼは自然か?」),キーワードを考えるパターン(たとえば「自然を守るための社会的しくみについて4つのキーワードを考えよう」)などがある。もちろんグループで話し合うだけでなく,一人でじっくり考えることも意味があることなので,回によっては,グループディスカッションのあと,個人で考えて「答え」を出す,という形式をとる回もある。
大学で学ぶことは,答えのない問いを追いかけることであり,答えよりむしろ問いを探すこと,問いを深めることであろう。1年生中心の全学教育で,グループディスカッション主体の講義を組むことの意味はまさにそこにあり,そのことは,つねに学生にも意識させるようにした。
当初私は,「答えのなさ」に学生がとまどい,場合によっては不満感をもつかもしれないと思っていたが,あにはからんや,そうではなかった。学生たちは,グループディスカッションの中で,「答えのなさ」のおもしろさにわりあい早い段階で目覚めるようである。
2. 「論文指導」について
この講義は,同時に「論文指導」の講義でもあった。実はグループディスカッションのプロセスと,論文執筆のプロセスは似たものがある。学生たちにそれを意識させながら,資料・文献の集め方,アウトライン(構成)の作り方,文献挙示のしかた,を講義の中に織り込んだ。資料・文献から何を読み解くか,レポートのアウトラインをどう作るかは,グループディスカッションのプロセスと同じである。そのことを喚起しながら,5月に論文を探し出してくるという宿題を出し,6月には中間課題として,期末レポートへ向けてのアウトラインを作らせ,論文・レポートの組み立て方を理解させていった。アウトラインを作る作業と,授業でグループディスカッションを深める作業とが,学生の中でパラレルに進行すれば,この講義は成功である。
(講義の配布物などについては,http://reg.let.hokudai.ac.jp/miyauchi/socio-room.htmlに載せていますので,ご覧ください)