グループディスカッション中心の授業をどう組み立てるか
大学の講義における教授法については,すでに浅野誠(1994),古宮昇(2004)といったすぐれた本が出ていて,体系的に議論されている。私が授業において気をつけていることの大半もそうした議論の枠を大きくははみ出るものではないが,以下では,実際の授業に即して紹介・議論してみたい。
専門科目「比較地域社会学」のこの年のテーマは,「発展途上国における諸問題――南北問題,貧困,民族問題」であった。発展途上国の問題は,多くの学生にとって“遠い世界”の問題であり,そこをどう議論させるかがなかなか苦労するところである。そこで,この授業では,ほぼ毎回,具体的な事例,しかも発展途上国の人々の生活の様子や具体的な問題が出ている事例を,ビデオ,写真,新聞記事,文献,などで提示し,その上で,グループディスカッションをする,という形式を軸に据えた。
たとえばある回は,90年代,日本のナタデココ・ブームに踊らされたフィリピンのある生産地の様子を描いたビデオを見て,「何が原因でどういう問題が生まれたか,想像力を働かせながら,自分なりの図を書いてください」と,まず連関図を書かせ,その上で,「この問題はなぜ生まれたか」をグループディスカッションさせ(1グループ4〜6人),最後に各人に「ナタデココ問題は……問題である」という100字程度の文を作らせる,という授業の組み立てにした。また別の回は,1994年のルワンダの大虐殺についてのビデオを見せ,まず,「何がこの民族虐殺を生み出しのか,図式化せよ」と図式化させ,その上で,グループに分かれ,各人の図を披露しあいしながら,(1)なぜこの虐殺が生じたのか,(2)いったい「民族」とは何なのか?,について議論する,というやり方をとった。その翌週には,「民族」について,さらにいくつかの事例を新聞記事等で読ませ,その上で「民族とは何か,そして民族は今後どうあるべきか」についてグループディスカッションし,最後に各自で200字程度の文章を書く,という作業をさせた。(講義の配布物などについては,http://reg.let.hokudai.ac.jp/miyauchi/socio-room.htmlに載せていますので,ご覧ください)
グループディスカッションのテーマは,明確な「答え」がないものをわざと選ぶ。いや,どんな「ネタ」でも,設問のしかたによって,答えのないテーマに変身する。そして,効果的な筋道さえつければ,学生たちは非常によく議論する。実は学生たちは議論好きだったのだ。「学生相互の教育力」が思った以上に大きいことにも気づく。
こうしたグループディスカッション主体の講義を組むに当たって注意すべき点は,さしあたり以下の3つくらいだろう。(1)議論になりやすいテーマ,しかし安易な議論には流れなさそうなテーマを設定する。(2)今なぜこのテーマでのグループディスカッションか,講義全体の中での位置づけを学生に意識させる。(3)ただディスカッションを繰り返すだけでなく,各自で図や文章を作るという作業と組み合わせたり,グループで「答え」や「報告」を出させるグループディスカッションをする一方,「答えを出さなくてよい」という指示のもとにディスカッションさせるやり方をとったり,とそのやり方にバリエーションを持たせる。
しかし,こうした授業形態の困難もまた,いくつかある。さしあたり以下の2点を挙げておこう。
第1に,議論を喚起するような素材やテーマを探し出し,それらをもとに授業の組み立てを考えるのは,非常にたいへんな作業である。私たち文学研究科のように講義数が多い部局の教員にとって,すべての授業でこれを実践するのはほぼ不可能と言わざるをえない。このあたりをどうするかという課題がまずある。
第2に,グループディスカッション主体の授業に限らず,授業にいくらか工夫をすればするほど,「週1回90分」という“伝統的”な(しかし根拠のない)講義の形態が桎梏になる。たとえば1セメスターを3つくらいの期間に分けて,集中的な講義や実習が行なえるようにするなどの工夫がありうるだろう。この点は,全学的な議論を期待したい。
浅野誠, 1994, 『大学の授業を変える16章』大月書店
古宮昇, 2004, 『大学の授業を変える:臨床・教育心理学を活かした、学びを生む授業法』晃洋書房