授業の目的は、社会で生活している人間、そしてそういった人間たちが作る社会について考えるにあたって、いくつかの全く異なるアプローチがあることを理解してもらい、また、同じ社会現象や人間行動を異なる観点から眺める複眼的思考を可能とするための基本的な知識と態度とを身につけてもらうことにある。そのために、まず授業の最初の3週間ほどをかけて、受講生がこれまで教育やマスコミを通して身につけてきた、社会と人間についての「常識」を打ち壊すための「ショック授業」を行う。その後、心理学的な人間理解と社会科学的な人間・社会理解とに関する基本的知識を学んでもらい、最後に、現代社会と、現代社会を生きる人間が直面する問題についての複眼的理解を促進するための「コツ」のようなものを示唆する。
この授業に関して、特に取り立てて紹介するような授業実行上の工夫はない。ただひとつあげるとすれば、受講生に本当に身につけてほしいこと――たんなる知識ではなく、人間と社会についての見方――に集中して授業を進めることだと思う。このようなタイプの授業が普遍的に望ましい授業だとは思わないが、私はたまたま、知識ではなく考え方を身につけてもらうのが私の使命だと考えている教師なので、少なくとも一つの授業はこのようなやり方で通すことにしたいと思っている。
今回(2006年度)の評価では、「黒板、教科書、プリントやAV機器等の使われ方」についての評価がずば抜けて低かった。これは、知識そのもの覚えることにエネルギーを使うのではなく、話の内容と流れに注意を払ってもらいたいと思ったからだ。ただ、学生によるこの評価を無視して良いものかどうかに関しては、確信があるわけではない。そこで2007年度には、授業内容の要点をパワーポイントにして提示し、またファイルをプリントアウトして配布することにした。これで多分、学生による授業評価の点数は向上すると思うが、それが本当に受講生にとって望ましい効果をもたらすかどうかはよくわからない。そういった「理解を促進する」方法を用いることで授業内容を容易に理解した「つもり」になってしまい、話についていくために強要される知的努力が放棄されてしまうことになるのではないかという心配があるからである。評価室から、評価項目間の関係の分析結果を提供してもらえれば、こういった疑問について考える上で役に立つと思う。