オピニオン Opinion

総長コラム

「大吉」

新年早々、「大吉」を引いた。
ただ、少々懺悔すべきことがある。

 新年の年頭挨拶で、「今年も大吉を引いた」と書いている。もうお気づきかと思うが、これは「嘘っぱち」である。そもそも年頭挨拶は、年が明ける前に書いている。「大吉」の神籤を引く前に書いているのだから、細木数子かユリ・ゲラーでもない限り「嘘」に決まっている。

 子供の頃から、「嘘」が言えない性分である。「嘘」をつくと、犬にも忽ちバレる。口元が歪み、声は上ずり、視線は宙を泳いでしまう。気づかれないはずがない。実際、かつて犬を飼っていた頃、心ならずも、その気もないくせに「お散歩は後で」と言ったが、愛犬は、ご主人の「嘘」を簡単に看破し、吠え続けた。

 今でも家族などを前にすると、もう「嘘」の前のちょっとした触りの部分の言葉の不自然さでバレてしまう。普段、大学では、壮大な構想を滔々と語り尽くすことができるくせに、家族の前に立つと自分でも「嘘」だとわかるような姑息な作話能力しかなくなってしまう。蛇に睨まれた蛙とはこのことである。

 今回の年頭挨拶も年末に書き上げてから罪悪心に苛まれ、心穏やかになれず、新年早々の懺悔となった次第である。ただ、「大吉」案件は、「嘘」と言うのは不正確かもしれない。必ず「大吉」を引き当てるカラクリがあるだけである。

 ご想像の通り、「カラクリ」などと言えるほどの手の込んだ話ではない。例年のことであるが、正月の神籤は「大吉」が出るまで引き続けるだけの話である。詳細は別の拙文を見ていただけばわかるが、面倒なベイズ統計学の知識などなくとも、「大吉」を引くに決まっていることは自明である。[1]

 運拙ければ5本も10本も引いて、ようやく残り物の「大吉」を引くことになる。一本300円だから、毎年、小銭をポケット一杯にして出かける。

 今年も準備万端、密集を避けて、夕闇に紛れて毎年初詣をしている近場の小さな神社を訪れた。例年の3分の1程度の人出である。

 「ところが」である。総長になると、きっと何かが降臨するのであろう。今年は、何と、本当に最初の引きで「大吉」を引き当てたのである(これは、目撃者の妻がいるので正真正銘の事実である)。「大吉」の確率は、15分の1程度と言われている。神がかっているとはこのことである。僕は、「持ってる」のかもしれない。

 とにもかくにも、今年も「大吉」を引くことができた。10年以上も「大吉」を引いているのだから、一端(いっぱし)の「大吉」評論家になっている。「大吉」にも、はっきりとランクがある。最近は、ランキングの大流行である。サッカーのJ1、J2、J3などと同じで、文科省もさっさと大学(University)をU1、U2、U3とランキングする決意をした方が良いと思っている。同じように、大吉 (Daikichi) にもD1、D2、D3がある。

 今年の「大吉」は、スーパー大吉。大吉の中の大吉。D1の中のD1である。「大吉」人生の中でも、特筆すべき大大「大吉」D1である。短い言葉に今年の幸運が凝縮しているので、是非、ご一読して頂きたい。皆様とこの強運を共有して、今年一年を過ごしましょう。

令和3年元旦 「大吉」

「全体運:万事、大海原を渡る風のごとく、遮るものなく、爽やかに吹き抜ける一年なり。風は、海の力を受け、大空の光を浴び、やがて、豊かな大地に吹き渡たり、教育・研究は春の満開の桜のごとし」

「金運:己の財は減ずるとも、皆々の財は、泰山のごとく、見上げるまでになること必至。贅を控え、倫に順ずれば、財は、いずことなく寄り集まり、北の光に照らされるなり」

「健康運:贅を控え、慎ましく食すれば、五体に力は漲り、心は輝き、疫病は去り、新たな日常となるであろう」

「事業運:万事よし。就中、年半ばからは、小なることも大なることも、須く、神がかりて、功を遂げん」

「出会い運:富める者、貧しき者、官なる者、私なる者、鄙なる者、異国語を語る者、あらゆる者と出会う、これすなわち、エンゲージメントなり」

後日談

広報担当者
「総長、何だか、嘘っぽい『大吉』ですね。「北の光」とか「疫病」「新たな日常」やら「エンゲージメント」って、どこかで聞いたことがあるような…出来過ぎですよ」

総長
「滅相もない!最初に引いた神籤がまさにこの大吉であって…」

広報担当者
「総長…口元、歪んでいます。眼、泳いでいますが…」