オピニオン Opinion

受験百景2:総長も受験生

 今でも悪夢を見る。この年齢になると、大脳辺縁系といわれる古い記憶の中枢の容量も低下する。悔しいことに、夢までもがステレオタイプとなり定番化してくる。三つの定番悪夢がある。

 第一の悪夢。これは、大事な試験(私の場合は、大学受験や医師国家試験など)の前日に、全く勉強していないことに気づき、愕然、呆然となっている夢。焦れば焦るほど頭は回転せず、試験の朝を迎え、ジタバタと苦しみ、窒息しそうな苦悶の中で目が覚める。

 第二、第三の悪夢のコンテンツは、後日紹介の機会があればお伝えするが、体調が悪いと一晩にこの定番の三大悪夢がインターバルなく連続で放映され、まさに悪夢の三連発ロードショーとなる。

 なかでも鉄板は第一悪夢である。実人生では、曲がりなりにも難関大学に現役入学し、長い人生で運転免許の仮免許試験以外では落ちたことがない、試験の勝ち組である。それにも関わらず、落第の恐怖が定番化した悪夢になるとは、改めて、受験のトラウマが無意識に大脳辺縁系に刻印されていることに驚く。振り返って、私は、団塊の世代の直後であり、受験はそれなりに狭き門であった。倍率10倍以上の一発試験である。18歳の僕の心の奥に深い傷を残し、50年近い時を経て、今なお、蘇るというのは、その重圧たるや恐ろしいものである。この世に惜別を告げる臨終の場でも、この悪夢が最後の夢になるのではないかと考えると、これがまた悪夢のタネになる。

 入学試験に代表される「試験」の元祖は、言うまでもなく、1,500年以上の歴史を持つ中国の「科挙」である。「科挙」の過酷さは、様々な研究がなされているが、我々の浅薄な想像を絶するものである。今でいえば、語学、倫理ばかりでなく、理系の科目もあり、時には、体育の実技もあった。現代の試験より優れていたかもしれない。倍率は、3,000倍を超えていたこともあるという。文字通り、人生をかけ、一族郎党の命運をかけ、まさに命をかけた受験であった。

 科挙の例をあげるまでもなく、学力試験の中核にあるのは、小中学生から高校生までの若年層である。

 高校生以降、つまり、大学の学部生、大学院生、そして、その上の社会人、あるいは、自分を含めて広く中高年齢の教育レベル・学力レベルの調査が行われたとは、不勉強にしてあまり知らない。初等教育と高等教育の接点となるべき重要なパーツがまさに「大学」である。今更ながら、「リカレント教育」といわれる社会人の再教育の重要性が強調されている。これほど「入学試験」に神経をとがらせている大学であるが、そのアウトプットである大学の卒業後の学力にあまりに無関心であるように思われる。

 資源や広大な国土を持たない極東の小国である日本が、世界の先頭集団であり続けるために必須の条件は、言うまでもなく、この一億余りの国民全体の知性・理性の総和である。子どもから高齢者まで、重層的で分厚い「知」が確固たる基盤として存在してこそ、ユニコーンとして、世界を驚かせる学術が生まれる。破壊的なイノベーションや、コペルニクス的転回が薄っぺらな教育から生まれるはずのないことは、歴史が証明している。

 その分厚い「知」の地層の中心となるべき大学であるが、実は、大学も科挙にも勝る試験・試験の「競争社会」で生きている。一般の方には馴染みがないと思うが、この試験のご本尊ともいえる大学にも、法人としての数々の試験がある。毎月とは言えないものの、2ヶ月に一度くらいは、「評価」やら「プログラム・オフィサー」というお目付けが現れ、試験が襲ってくる。

 そして、この受験の総大将は、まさに、学長・総長である。

 最近、本学は、その数多ある試験の中でも最も重要な文科省の法人試験とも言うべき試験「客観・共通指標」(大学共通テストみたいなもの)で、残念な成績を残している。この試験、恐ろしいことに、落ちるとお小遣いどころか生活費にまで響く。落第は笑いごとでは済まされない。正真正銘のパイの奪い合いゲームである。あるいは、これでもか!と言う「改革」の苛烈さを競い合うチキンレースかもしれない。

最近、私の第一悪夢が、一気にバージョンアップした。ご想像通り、「法人試験」が加わった。入学試験、医師国家試験に連続して、「法人試験」に落第するという、史上最恐最悪の悪夢である。この悪夢の朝は、もう、本当にベッドの中で息が絶えていてもおかしくない。

 加えて、この試験、前作で述べたようなマサイ族の視力も無力であり、私が得意としていた一夜漬けもまるで役に立たない。

 受験生の皆さん、保護者の皆様、北大総長もお受験に追われています。科挙まがいの試験制度が間違っていると吠えていても始まりません。まずは、今年はだめでも、来年の「倍返し」を目指して捲土重来を期しましょう。