オピニオン Opinion
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フェアプレー

 長生きしたい理由のひとつは、ゴルフである。それも、情けないくらい捻くれた理由である。

ゴルフの切れ目が縁の切れ目とも言うべき、ゴルフ以外には何の利益相反もない友人が3人いる。万が一、僕が先に旅立って、残りのこの3人が、
「ホーキンがいなくなって、寂しいよな」
 などと言いながら、伸びやかな緑のフェアウェイを歩く光景を天上から眺めることを想像すると、その悔しさは筆舌に尽くしがたいものがある。成仏などできるわけがない。彼らは、OBを連発して自暴自棄になっている僕の亡霊を晴天のフェアウェイに見るに違いない。

 とにかく、一日でも長生きして、彼らが順番にこの世から去るのを見届けて、最後の一人となって、グリーン上に立っていたいと願うばかりである。

 この3人であるが、ゴルフの同伴以外には、感心したり、学んだりすることなどない。ただ、たったひとつ、学んだことがある。それは、彼らの中でも、ある意味、人生を素人ゴルフにかけて棒に振ってきたA氏から学んだフェアプレーの精神である。

 ゴルフは、どんな状況でも、あるがまま…as it is…にボールを打たなければならない。そして、スコアは自己申告のゲームである。言い換えれば、こっそり藪の中に失ったボールをMr.マリックさながらにフェアウェイ横のラフに、「こんなところにあった!」などと、言い放つこともできなくはない。あるいは、スコアの虚偽申告も可能である。だからこそ、プロの世界では、虚偽申告は永久追放に匹敵する違反であるし、ボールの位置を1-2センチ変えただけで、数試合の出場停止となる。

 ただ、それは、アマチュアのお楽しみゴルフでは、〝少々寛容に〟などと思っていた。

 しかし、A氏曰く、「上級者になればなるほど、実は、他のプレイヤーの打数やボールの位置も正確に把握している」らしいのである。自分のスコアの記憶さえ覚束ない己を思うと、ゴルフ上級者の記憶力は、畏るべしである。

 そう思うと、これまで何人かゴルフの達人とプレーをしてきたが、きっと、僕のことを「嘘つきゴルファー」と、内心、刻印したに違いない。もう恥ずかしくて、世間を歩けないような惨めな気持ちになる。

 いや、何より、お天道様や自分の良心が、ちょっとデポ(窪地)に埋まったボールをこっそり取り上げて都合のいいフェアウェイに置いている卑怯者をしっかり見続けている。「天網恢恢疎にして漏らさず」と老子も言っている。インチキは必ず露見する。

フェアプレー」

 すでにご報告のように、大学もスコア申告の時代である。厳しい争いもある。本来、緩やかに自然の摂理を攻究し、哲学を論ずる場所であった大学であるが、数値化された様々な指標("Key Performance Index" KPIという言葉、是非、ご記憶して下さい)によって、評価されている。

 そのスコアについてのあれこれは、退屈極まりない話で、このコラムには全くそぐわない。ただ、最近は、国や社会に対して、今後6年間に向けての中期目標・中期計画なるものを立案している。これは、いわば今後6年間のお約束で、その中には、スコアのカウントのルールも決めることになる。

 前回の北光一閃でも告白したが、一体全体、誰の影響なのか皆目見当もつかないのだが、生来、の「潔い性格」というか、「約束することで、できないこともできるようになる」という「お人よし性格」は、指導者としては極めて危険な性格である。

 良く言えば、格好つけしいで妙な正義感と潔さを美徳として身に付けてしまった。

 そういうリーダーの性格は、意図せずに職員にも伝搬するのかもしれない。彼らの精勤のおかげで、これでもかと自虐的なマイナスの数値を毎日見せつけられる。これもフェアプレーである。

 来年度以降の目標設定の会議が、先日あった。

 「北大は、やはり、あるべき大学の姿を目指して、高い目標を掲げるべきだと思うな」と、まるで、昭和初期の陸軍の青年将校のようなことを言ってしまう。

 周囲は一瞬シーンとなった後、
「総長のおっしゃることは、よくわかりますが、実現が十分可能な目標に・・」
と、至極まっとうな意見が出て、風向きは変わる。やれやれである。

 どんなゲームでも、大前提はフェアプレーである。ルール作り、スコアの信頼性とそれを守るフェアプレーの精神である。賤しくも、「知の拠点」と自称している大学に、虚偽などあってはいけない。ただ、残念なことに、例えば研究不正など、ゴルフでいえば、OBをホールインワンと申告するに近い虚偽申請は、後を絶たない。「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」(石川五右衛門)は、言いえているのかもしれない。

 学生達、後輩に伝えるべき最も大切なメッセージの一つは、フェアプレーの精神と責任を取る潔さだと思う。ボールは動かさない。目標に向かって、一打一打、正直に打つ。どんな無残なスコアでも全ての打数を正確に申告する。惨めなスコアであれば、いまだに、自分では実行できていないが、猛省して、ラウンドが終了した後の黄昏のグリーンでひたすらパター練習することだ。お天道様はどこからでも見ているのだ。

 と、ここまで読んだ読者は、ゴルフに人生をかけてきたA氏はフェアプレーの権化と思われるかもしれないが、それは、全くの誤解である。

 A氏のゴルフは、バンカーに埋まったボールは動かすわ、ボールを見失えばフェアウェイのど真ん中から打つわ…、不正のオンパレードである。そして、その一方で、他人の一打一打は、監視ビデオのように記憶し、一打でも間違えようものなら、まるで鬼の首でも取ったかのように追及する。

 この世の中、反面教師の方が学ぶところも多い。こんな奴より先に死ねるはずがない。持つべきものは悪友である。