オピニオン Opinion
右にスワイプしてご覧ください
スクロールしてご覧ください

妖怪の棲む砦:
Positive Deviance

 他大学から赴任してしばらく経ったA先生が、所用があって総長室に来てくれた。
 「どうですか?北大には慣れましたか」
 「はい、もうすっかり慣れました。良い方ばかりです」
 「本当ですか」(作り笑い)
 「大学って、妖怪のような人が必ずいるんですよ。でも、北大では、まだ出会ったことはありませんねぇ・・」
 「妖怪ね・・・・・・」と言いながら、(いるんだよな、北大にも)と内心呟いた。

 彼の話では、前任地をはじめ多くの大学には、世の中の常識からはるかに外れ、風貌も行動も妖怪のような教員が棲息していたらしい。
 研究室の並ぶ廊下のずっと奥の行きつくところに日の光が届かない部屋があり、そこに、爆発した髪を振り乱し、牛乳瓶の底のような丸眼鏡をかけ、寸法が全く合わない白衣を着た“研究者”が必ず棲息しているらしい。僕自身も40年の大学生活で、通常社会では間違いなく疎外されると確信できる奇妙な教員や学生に出会ってきた。

妖怪の棲む砦:Positive Deviance

 卒業してから、某研究施設に短期留学をした頃、講座の奥におそろしくかび臭い大部屋があり、そこで“暮らしている”B研究員がいた。何年も清掃したことのない二重ガラス窓から、うす暗い光が射し込んでいた。一体どこから侵入したのか、触れれば一瞬で脆くも砕けてしまいそうな、命日も不明な気の毒なハエや蛾、あるいは、博物学にはとんと縁のない僕には全く名前も分からない手足の長い昆虫が干からびた標本のようになり、二重ガラスの狭い隙間のスペースで、ミイラとなって死んでいた。運の悪いことに、新人の僕には居場所がなく、とりあえずこの部屋の片隅に机が置かれた。
 部屋への引っ越しの作業をしていると、講座の生き字引とも言える事務職の女性がやってきて、表情ひとつ変えず助言してくれた。
「あの部屋の洗面台では、“決して”顔を洗ったらだめよ」
設置以来、一度も磨かれたことがないと思われるホウロウの洗面台は、異様に黄ばんでいた。様々な使用法がなされたことは容易に想像できた。
 重ねて言うが、この話はもう40年も昔のことであり、僕の妄想の中で膨らんで、事実を正確にトレースしているとは限らないことを承知していただきたい。清潔・衛生を旨とする現在の大学では、決してあり得ないことである。

 白い巨塔の教授職であった頃のある日、変人の評判高いC先生が、突然、僕の部屋を訪ねてきた。寡黙を通り越した無口ぶりは噂に聞いていたが、彼は研究をしたいと言い、挨拶もそこそこに、満を持して温めてきた研究テーマを語りだした。寡黙という前評判とは異なり、実に饒舌であった。そして、驚いたことは、彼が独学としては驚異的なレベルの数理データサイエンスの知識を持っていたことである。僕が見たこともないようなデータ解析手法で、脳血管障害に関する主要な論文に対して独創的な解析を見せてくれた。関連の論文は全て読みつくしており、話はさらに展開し、それを元に、まさに独創的な方法による「ある難病」の治療方法の提案にまで至った。
 2時間ほどの彼の話を聞き終わる頃には、図らずも彼の信奉者になっていた。

 このような人間に、私ごとき凡人の小賢しい「指導」など無用である。「凡人が天才を殺す」という言葉をどこかで聞いたことがあるが、一面の真実である。出る杭は打たれる。尖がった天才を世の中に五万といる凡人達が寄ってたかってバッシングして、炎上死させている。凡人の指導など、天才には百害あって一利なしである。指導教員は別の教室の先生にお願いした。天才の指導には天才が相応しい。

 その後、この先生、その異才ぶりを遺憾なく発揮して、言葉に尽くせないエピソードを残してくれた。とにかく、周辺からは
 「あの先生、変わってるよな」
 「頼んだ書類がいつまでも滞っていて、連絡もつかないのですが」
 「研究室には、真夜中しか姿を見ません。日中は何しているんですか?」
 「しょっちゅう、ワニの動画見てるんですけど・・」
 というクレームと無視の嵐となった。事実、僕自身、連絡するのに苦労した。携帯電話のある時代において、彼はしばしば音信不通となった。
 一度、怖いもの見たさで彼の机を見に行ったことがあるが、パーテーションで全面が包囲され、山積みの本の僅かな隙間からデスクとパソコンが見えた。待ち受け画面は、野生のアリゲーターの画像であった。
 そのパーテーションで囲まれた砦さながらのデスクとアリゲーターの画像で、一度学会で訪問したアメリカ南部を思い出した。デイヴィッド・クロケットが憤死したアラモ砦もかくや!というスペースに、ミシシッピ川の湿地帯に棲息する寡黙な鰐のような彼は“籠城”していたらしい。何年か前に見た二重ガラスに囲まれた狭い隙間のことを思い出した。

 研究には当然タイムリミットがあり、一応“指導教官”であった僕の方が焦っていたが、彼にはそもそも時間の観念がなかった。人の倍以上の時間と大学院の授業料がかかったが、無事、彼は卒業した。もちろん、最初に僕に提案した研究計画は、何度か挫折し、練り直しが必要となった。しかし、独創的な論文を残して大学を去った。彼の去った後には、1%の無関心な理解者と、彼に愛想を尽かした99%の人間が残った。

 専門家は、Positive Deviance「逸脱者」と呼称するらしいが、他とは全く異なる生存手法を体現し、しばしば混迷の中で、群れを離れて成功を収める人々や組織がある*1。言わば、通常の組織では、「変人」「変わり者」と言われる人間と集団である。彼らの生き方の中に、危機を乗り切るイノベーションのヒントを見出すことができる。
 社会組織には、最低限守るべき規範が必要であり、それは、大学のような研究組織でも同様である。それを守る範囲であれば、標準偏差から外れた人々を許容する寛容さが大学には必要である。
 中央値から大きく外れた「奇人」「変人」「天才」を受け入れるには、リーダーの覚悟も必要である。「多様性」は、今や水戸黄門の印籠であり、僕も入学式の挨拶で頻用した。こうした特異な性格や行動様式、あるいは集団生活への不適応なども含めた「Positive Deviance」を受け入れることも「多様性」である。とは言え、「奇人」「変人」「天才」を包摂するinclusive な社会は、実際には、なかなか“イタイ”ものだ。

 イノベーションなどという並外れた偉業は、凡人にはできっこない。アインシュタインもエジソンもキュリー夫人も美談で語られるが、研究者によれば、間違いなく図抜けた変人・奇人であったらしい。天才ニコラ・テスラも今を時めくイーロン・マスクもさっさと大学を中途退学している。あるいは、そもそも大学などに入学しなかった天才も少なくない*2

 変人、奇人だけが集まった社会がどうなるのかと思考実験をしてみた。おそらく、1万人の変人、奇人があつまると、社会を成り立たせるために、やがて、大多数の穏やかな変人・奇人が、その偏移ぶりを自然に是正し、言わば凡人化してゆき、社会を成立させ、全体として正規分布を示すようになるのではないか。一度、文化人類学者、社会学者に聞いてみなければいけない。

 とにかく大学は、知の変革拠点である。天才を潰してはいけない。

  • *1
    Positive Deviance (ポジティブデビアンス):学習する組織に変化する問題解決アプローチ  リチャード・パスカル他 東洋経済新報社 2021年
  • *2
    世界を動かすイノベーターの条件 メリッサ・A・シリング 日経BP 2018