オピニオン Opinion
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「はやぶさ2」と「地上の星」

 前回登場した吉本隆明は、「詩人」でもあった。一流の知識人たるもの、「詩人」であることが最も誇らしく羨ましい才能だ。

 自分にないものを嘆いても仕方ないが、僕には、歌心、詩心が全く欠如している。ただ、誤解なくお願いしたいのだが、歌心がないというのは、音痴という意味ではない。
 カラオケに行けば、大瀧詠一のヒット曲は総じて難曲であるが、「幸せな結末」は十八番(おはこ)の持ち歌であるし、山内惠介の「スポットライト」などは「惠ちゃんより上手いわぁ♪♪」とよいしょの賛辞が上がるくらいである(歌手の山内惠介さんは、ファンからは「惠ちゃん」と呼ばれている)

 問題は、詩心、行間を読むという能力が生来欠如していることだ。読む能力がなければ、当然、書く能力などあろうはずもない。皆様にはにわかには信じがたいことかもしれないが、実際、自分でこうして書いている雑文でさえ、実は、一語一語を理詰めで精緻な数学の記述のように書いている・・・行間に甘美で官能的な緩みを持たせる技術がない。
 いつか、この生涯で、生きた証として、「一編の詩」をこの世に残してみたいものだ。「僕は、少しだけど、詩を書くんでねェ・・」などと言ってみたいが、夢のまた夢である。

 もうレジェンドになりつつある歌手の中島みゆきさんは、本学と縁が深い。お父様が、本学出身の産婦人科医であったことや、何より、北大の隣にある藤女子大学の学生として在学中から、すでにシンガーソングライターとしての才能が開花していた。当時、北大フォークソング研究会との交流があったことは良く知られている。女子学生時代から、飛びぬけたオーラがあったと我々の仲間では伝説になっている。

 思えば、僕より3学年上だから(僕は1954年9月生まれ、中島さんは1952年の早生まれ)、ひょっとすると、中島さんと北大キャンパスでニアミスをしていたかもしれない。僕が大学一年の頃、中島さんのライブを北大で聴くチャンスがあったのではないかと思うと、失った機会の大きさに嘆くばかりである。
 そして、運命の歯車が少し別の回り方をしていたら、思いがけない出会いがあって・・・などと、もう、恥ずかしくてとても他人には言えないファンタジーに酔いしれる。と言いながら、中島さんのような天才詩人と行間を読めない僕のようなデータ駆動型人間が、到底意気投合することなどないと思えば、出会いがなかったことに妙に納得する。

 中島みゆきさんの曲はどれも胸をズキズキさせる。近寄るにはあまりに言葉が強すぎて、ある種の危険な電磁波を放っていて、「私、中島みゆきさんのファンでして・・・」などと能天気なことはとても言えない。 どの曲をとっても歌詞は強烈で、少なくとも僕にとっては、癒しというよりも安寧な日常を脅かす猛毒である。「♪♪途に倒れて だれかの名を 呼び続けたことがありますか♪♪」(わかれうた)の歌詞などを聞きながら運転していると、創成川に飛び込みたくなる負の衝動にかられる。

「はやぶさ2」と「地上の星」

 最近、大阪の同窓会の皆さんに、北海道大学の未来について講演する機会があった。その中で、中島みゆきさんの「地上の星」を引用させてもらった。この「地上の星」が、またまた胸に突き刺さる歌詞である。

 この日の講演会では、大学は机上の空論的な「天上の星」「スバル」「銀河」のような浮世離れした夢ばかりを追いかけているのではないと、関西の皆さんにお伝えした。産学連携を強化して、社会連携を異次元のレベルに高めて、「知の集積装置」としての「北海道大学」が目指すのは「地上の星」であると熱く語った。

 学長のどっぷり大学経営者的な話の後に、宇宙探査で著名なY教授の講演となった。講演のテーマは、「はやぶさ2から見える太陽系の起源」というものであった。
 実は、僕自身、この話を楽しみにしていた。期待を裏切らない素晴らしい講演だった。元祖宇宙少年であった僕は、小学生の頃にタイムスリップして、目をキラキラさせながら、最後まで聞き入ってしまった。最後に、『はやぶさ2』がリュウグウから持ち帰ったサンプルを地球に帰還させ、また次のミッションに向かって、漆黒の深宇宙に去っていく動画を見ると、感動の涙が頬を伝わって落ちた。
 なぜ、『はやぶさ2』で地球や太陽系の起源が分かるのか、あるいは、目指した小惑星がなぜ「リュウグウ」でなければいけなかったのか?このミッションがどれほど困難で、それがゆえ、その成功が感動的なものか・・・などなど、引き込まれて講演を聞いた。

 おおよそ、こんな素晴らしい講演の後には、ありきたりの質問などできないものだ。オンラインは静まり返っていたが、司会者が立場上、ひとつだけ質問をした。
 「はやぶさ2の仕事は、今の私たちの生活に何か役立つことがありますか?」
 これは厳しい質問だ。さしずめ僕なら、「風が吹けば桶屋が儲かる」という屁理屈を付けて、『はやぶさ2』が浮世の我々の生活に繋がるという言い訳をしたに違いない。
 しかし、Y教授は、何事もなかったかのように、明確に答えた。
 「今の私たちの生活には何の役にも立ちません」と断言した。その上で、「でも、皆さんね、この話をすると子どもたちは、みんな目を輝かせます。視線を宇宙に向けます」と付け加えた。
 何となく、オンライン全体がシーンとなったような気がした。僕は、「詩人」だ・・・と呟いた。
 この瞬間、「地上の星」を求めて狭い了見の前座の話をしてしまった自分が恥ずかしくなり、思わずzoomのビデオをoffにして、身を隠した。
 子どもたちの目をキラキラさせ、前のめりになって聞き入らせる話など、僕には、ついぞ、できたためしがない。『はやぶさ2』の話で人生の目標を決める少年・少女もいるかもしれない。しかし、少なくとも、大学経営の話を聞いて、人生を変える少年少女はいないことは断言できる。

 畏敬する中島みゆきさんに反旗を翻すわけではないが、大学には、「天上の星」「スバル」「銀河」を追い続ける人々が必要だ。いや、むしろ、中島みゆきさんが、「地上の星」と呼んだものは、実は、小学生の目をきらきらさせる『はやぶさ2』そのものなのかもしれない。