オピニオン Opinion
スクロールしてご覧ください
スクロールしてご覧ください

死ぬかと思った 大学人編

 タイトルと同名の単行本があり、シリーズものになっていて、そこそこ人気がある。僕も何冊かは読んでいる。

 このコラム、相当に話を盛っているのではないかという批判があることも承知している。ただ、天地神明に誓って、いずれも事実に基づくものである。それが、年齢のせいで記憶想起力が低下した僕の頭の中で、変容した程度とご理解いただきたい。
 ただ、今回の『死ぬかと思った 大学人編』について言えば、一握りの「盛り」もなく、妄想も排除され、事実をありのままに記述したものであることを断言しておきたい。

 人生、長く生きていると、「本当に死ぬかと思った!」出来事に遭遇することは、必ずあるはずである。平凡な大学人人生を送ってきた僕にも多くの「死ぬかと思った」ことがある。その中でも、飛び切りの話を紹介することにする。
 この出来事は、これまで、墓場まで持っていくべきことと考えていて、身内にも伝えていなかった。しかし、思えば、こんなことを墓石の下にまで持参する方が料簡の狭い話で、あの世でも寝覚めが悪いに違いない。このコラムを万が一、家族が見たとしたら、腰を抜かすかもしれない。

 「死ぬかと思った」恐ろしい話をお伝えする。覚悟して聞いてほしい。

 病院長の頃、まだまだ経験値の点で一日の長があり、急なヘルプを求められることがあった。病院長室の電話が鳴って、「ホーキン先生、ちょっと、手術、見に来て下さい」と呼ばれることがあった。自分がまだ「外科医」としてリスペクトされている証だと思い込み、決して悪い気はしないものである。この深夜の「ヘルプ電話」は、むしろ、気分を高揚させるものであった。
 事件が起こったのは、そもそも、難手術で、深夜に及ぶことが想定されており、深夜に手術室からヘルプの電話が予想されていた夜であった。諸事雑用をしながら、病院長室で手術室からの電話を今か今かと待ち受けていた。午前2時過ぎにその電話は鳴った。さすがの不夜城の大学病院もシーンと寝静まった真夜中のことであった。例によって、「外科医」にするような高揚感があり、思えば、これが、この事件の背景にあったかもしれない。

 急ぎ手術棟に向かい、関係者しか入ることのできない制限区域に入った。ここには、手術部長室などの管理職の部屋と並んで、女性(医師・医学生)更衣室と男性更衣室が順に並んでいる。手前が女性、奥が男性用であることは、もう、身体にしみ込んでいてわかっていた。
 「ところが」である。いつもようにドアをあけて、靴を脱いで、自分のロッカーを探していて、「あっ!」と小さく叫んだ。何となく、雰囲気が違う。気が付いてみれば、僕がドアを開けて、靴を脱いで入ったのは、「女性更衣室」ではないか!
 瞬間、人生が終わったと思った。翌日の地方紙の一面を飾るスキャンダルの記事が浮かんだ。
 「北大病院長、女性更衣室に侵入!!」
 週刊文春であれば
 「前代未聞、北の名門大学の破廉恥病院長」
 夕刊フジともなれば、盛りに盛って
 「大学病院長、常習の〇〇泥棒か?!」
 おそらく0.5秒の間に、走馬灯のようにタイトルが駆け回り、エンドロールに僕の人生の終焉が見えた。
 ただ、幸いなことに、、この深夜、手術室更衣室には、一人の女性の姿もなかった。目撃者ゼロである。
 靴を履く時間も省いて、靴を持って、裸足で部屋を脱出した。心拍数が200くらいになり、もう心臓が止まりそうになりながら、廊下に出て、周囲を見渡した。幸い、廊下にも誰の姿もなく、「」を目撃した人間は一人もいなかった。

 しばらく、深夜の手術部の廊下で、呆然としながら立ち尽くし、やがて、手にしていた二足の靴が音を立てて床に落ちた。
 「死ぬかと思った」。

 もし、あの時、誰かと遭遇していれば、どうなっていたことか。善意の人であろうが、悪意の化身のような人であろうが、大事になろうが、笑い話で終わろうが、これまでの人生60年余り、細々と積み重ねてきた小さな善行の累積が、一瞬にして灰塵に帰すことは、間違いなかった。
 何年も出入りしてきた更衣室の場所を「」間違えたなどという言い訳が通用するはずもない。仮にそれが公に認められたとしても、その場合、当時、巷間で噂されていた「ホーキン病院長の判断力低下説」が現実味を帯び、今でもやや疑わしいと思われている「そそっかしさ」が業務遂行能力の疑義にまで及んだに違いない。
 ただ、ここで、苦しい言い訳をすれば、この男女の更衣室は、入り口に一枚の張り紙があるだけで、ドアもそっくりであった。加えて、おそらく男性では僕だけが知ることになったが、男女の更衣室の内部構造も全く相似形であった。だから、間違えても仕方ない構造的な問題があったことは事実である。
 典型的なヒューマンエラーで、リスクマネジメントの専門家であれば、早速、再発防止策を考える案件である。
 しかし、必死の言い訳が認められて、「不注意」で酌量されたとしても、「やはり、病院長、こっそり、女性更衣室に忍び込んだに違いない」という周囲の人々の内心に残滓として残る疑心を払拭することは永久に不可能である。

 しかし、本当の恐怖は今でも潜んでいる。、あの時、間違って手前の女性更衣室のドアを開けたのか・・と考える。単なる「うっかり」ではない心の闇が・・・・その先は、もう怖くて想像もできない。

 爾来、公的な施設でトイレに入る際は、昭和の時代の国鉄職員さながら、心の中で「男性、いいか!」「女性でないか!」と指差確認して、入ることにしている。トイレの前で指差確認をしている総長を見かけても、どうか、「ついに来たか」と誤解されないようにお願いしたい。

 『死ぬかと思った 大学人編』。特に、そそっかしい男性教職員は、夏の納涼の恐怖譚として下さいませ。

 『死ぬかと思った 大学人編』は、ネタ切れに備えた最後の切り札のつもりで、内心温めてきたものである。この連載、わずか17作目にして、この切り札を使う羽目になり、筆力のなさに我ながら落胆している。そこで、最近の不調に気づいた広報のEさんの諫言もあり、ここで一回、夏休みとさせていただき、次回は、9月第一週目の復帰を目指したい。
 皆様、良い夏休みを!