オピニオン Opinion
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風通し良好!!

 とにかく、この夏、会う人毎、「暑いですねぇ」の乱発であった。「暑い、暑い」と声に出すことが、体感温度にどんな生理的好影響を与えるのか分からないが、言葉に出さずにいられない有様であった。今年の日本で「暑い!」という言葉は、数億回、あるいは、兆のレベルで発声されたであろう。オリンピックで極東の島国、日本列島に来ていた世界のアスリート達は、間違いなく「アトゥイデスネ、ʌtwui desune」という発音の日本語だけは覚えて母国に帰ったに違いない。

 僕の人生三大暑さを挙げるとすれば以下のとおりであった。
金メダル:8月上旬の九州熊本市の暑さ(これは、天草湾からの猛烈な湿度で、街全体がサウナ風呂となる)
銀メダル:言うまでもなくアメリカのデスバレー(これは、驚愕の暑さで、炎天下に無防備でいると数分で悶絶する)
銅メダル:ヨルダンの死海(どんどん干上がって、塩分濃度が上がり、生物が存在しない)であった。
 「であった」というのは、この夏、この鉄板の3大暑さを押しのけて、何と、私が長く暮らしている札幌の暑さが、ヨルダンの死海を押しのけて、3位になったからである。これはあくまで、「個人の感想」であるが、順位に変更が起こり、札幌が堂々の銅メダルとなった。
 首都圏などの方々からすれば、「札幌?何を甘ったれたことを言っているのか!」というお叱りもあるかもしれないが、なにしろ冷涼快適な北海道の夏で蝶よ花よというようなひ弱な環境で生育された私にとって、この夏は、単に気温が高いばかりでなく、その暑さが延々と何週間も続いたことで、すっかり「へたれ」となってしまった。

 日頃、カーボンゼロを公言し、二酸化炭素排出を親の仇のように言い続けている以上、真夏と言えども、CO排出の結果生まれる電力を消費する環境の敵であるエアコンなどは、まかりならないと自宅では主張してきた。公的場所では「グレタ世代と共に」とこぶしを振り上げ、眦を決してきた手前、そうそう自説を曲げることなどできるはずもない。
 エアコンを持たないSDGs生活を家訓としている我が家にとって、今年の夏は過酷であった。窓という窓を全開にして網戸を張り、日差しの強い部屋を避け、奥の部屋に引き籠った。部屋の明りも温度を上げるはずだという全く科学的根拠のない確信に基づいて、夜でも蛍光灯を消して、真っ暗な部屋となる。その暗闇の中、オリンピック放送がオンされているテレビから漏れる薄暗い蛍光に照らされて、半そで、短パンで扇子をバタバタとさせている男の横顔には、鬼気迫るものがあったに違いない。
 窓を全開にすると、風通しがよくなり、天然のエアコンだ!などと強がりが言えるのは、せいぜい、外気温が25度くらいまでである。30度を超えると、単に熱風が部屋を吹き抜けるだけだ。この感覚、三大暑さにわずかに及ばず第四位になったモロッコのサハラ砂漠の熱風だな・・・などと暑さで思考停止した頭で考える。

 この盛夏、夜半まで続く蒸し暑さに耐えかねて、ゴルフクラブを数本抱えて、自宅前にTシャツ、短パンで飛び出す。エアコンのある家とない家が一目瞭然に分かる。一目瞭然という表現は正確ではなく、一「耳」瞭然と言うべきである。やせ我慢の程度に差こそあれ、エアコンがない家は窓を開けるし、エアコンがある家は窓を閉め、密閉体制になる。
 窓が全開の家からは、家族の話声、子供のはしゃぐ声、テレビの音、冷蔵庫を閉める音、洗面の音・・・まさに生活音そのものが漏洩してくるから、耳で分かる。日常のど真ん中にいるこの昭和の感覚は決して悪くない。
 日本選手が金メダルを取った瞬間など、家の外でドライバーを振っていても、時差なくわかる。「わー!やったー!」という喜びの叫びが一斉に漏れ出すのだから、一耳瞭然である。あるいは、例えば、男子サッカーの準決勝で、スペインが日本のゴールネットを揺らした瞬間は、四方八方から「あ~~~っ~~~」という落胆の声がご近所全体にこだまして、日本中が落ち込んでいることが実感された。

 振り返って、我が家の様々な生活音も、とてつもない勢いで周囲に漏れているのだと、改めて震撼した。
 先日も、夜、あるテレビの報道番組を観ていて、あまりにお粗末なコメンテーターの発言に腹を立て、「このタコがぁぁ!」と、大学では決して口が裂けても言えないハラスメント用語を思わず、大声で発声してしまった(ちなみに、「タコ、蛸」は、僕が心許した人にのみ使う俗語で、丁寧な言い方をすれば「愚か者」、古語で言えば、「痴れ者」の意味で、蛸には随分と失礼な言葉である)。
 その時、たまたま、我が家の前を愛犬と御散歩のご婦人が通り過ぎていた。Tシャツ、短パン姿で扇子をばたつかせながら何やら品格を疑う汚い言葉を発している男に驚いて、足早に立ち去っていくのが見えた。
 「やっちまった!!」と思ったが、後悔先に立たずである。このご婦人、「タコがぁぁ!」男の正体が、某大学の総長であることを知らないのを祈るばかりである。

 「風通しが良い」というのは、間違いなく誉め言葉である。言い換えれば、「風通しが悪い」と言われるのは、何につけ、よろしくない。特に、大学のような大きな組織では、しばしば、「風通し」の良否が議論される。
 組織の風通しは、情報の拡散性の高さ、特に職位の下の教職員から上への情報や意見の広がりが良いことや、悪い情報や批判がきちんと上位者に繋がること(いわゆるリスク・コミュニケーション)が重要である。ただ、良いことだらけのように思える「風通しの良さ」であるが、一方でエアコンのない我が家の教訓を出すまでもなく、「情報管理の脆弱性」と紙一重である。
 猛暑の中、家の窓という窓を開け放っていれば、風通しはこの上なくよろしい。しかし、「タコ!!」も漏れるし、「やったー!!」の歓声も漏れる覚悟が必要である。SDGs生活は、とにかく甘いものではない。
 最近、いろいろな外部の方々から、「最近の御校は、風通しが良くなっていて、スバラシイ!」とお褒めの言葉を戴くことが多い。こんなお褒めにあずかって悪い気がするはずがない。
 いやいや、用心用心!こんな甘言に浮かれているようでは、早晩、裸の王様になる運命が見えている。こういう甘い誉め言葉に四方八方囲まれてしまうこと自体、「風通しの悪さ」に違いない。
 でもなぁ・・何だか、随分とひねくれた人間になっちまった・・・。

 おそらく、皆さんのお褒めの言葉は、コロナ禍で、「職員の皆様、換気の時間です」と頻繁に業務放送が流れ、ドア、窓を開け放って、実際に風を通しているまさに物理的「風通し」を指しているに違いない。つい最近も、会議中に突風がふいて、重要な書類と情報が散逸した。

 まこと、「風通し良好、スバラシイ」。