オピニオン Opinion
スクロールしてご覧ください
スクロールしてご覧ください

親の心子知らず 子の心親知らず

 前日から寝付きが悪く、鬱々たる目覚めでその日の朝を迎えた。夢の中では、何故か、オンラインに僕の母が登場して、息子のコロナ対応の失策を理路整然と批判し、総長の僕はしどろもどろになり、さらに、オンライン全体に参加者の怒りの顔が広がり、恐ろしくなりミュートにしても、今度はチャットにさらに痛烈な批判が次から次へと噴出する。そこで、目が醒めた。

 その日の午後、「総長と保護者の懇談会」がオンラインで設定されていた。
 「ステークホルダーとの対話」を公約に掲げた以上、授業料を払っていただいているステークホルダーの代表である保護者の皆さんと話をするのは当然だろう!と乗り気でない関係者に啖呵を切ったのが、数か月前のことである。
 子どもが大学生にもなった「保護者」と総長との懇談とは、過保護にもほどがある!情けない!という批判があることも承知している。しかし、最近、親と子どものコミュニケーションは、このコロナ禍で危機的な状況になっている。高い授業料を出して、雪深い北国の大学に送り出した保護者が、帰省も遠のき、音沙汰の絶えた我が娘、息子の心配をするのは当然である。長い夜と寒く暗い朝で気持ちも沈みがちになる季節、さらに、このコロナ禍の中である。元気でいるのかと心配になる親心に対して、大学も応えるべきと思ってのイベントであった。

 いざ、その日を迎えると、朝から、こんな質問が来たらどう答えようとか、モニターの向こう側に親の顔をしてどこかの学長が潜んではいないかと疑心暗鬼になっていた。さらに、今や、小中学校を席巻している「モンスターペアレント」が乱入したらどうしようなどと、不安ばかりであった。
 しかし、実際に、恐る恐るオンラインでの「総長と保護者の懇談会」を開始してみると、予想に反して、お世辞ではなく、保護者の皆さんからは建設的なコメントやご質問ばかりであった。予定時間を30分以上過ぎて、こちらも本来の調子が出てきて、もっと話したい!という有様になってしまった。何しろ、ライブのオンライン懇談である。あまり喋らせると、調子に乗った総長の失言が飛び出す危険を察知した事務方が、「お話しも弾んでいるところですが、そろそろお時間です」と割って入った。いやいやもっとお話ししたい!と言う気持ちを抑え込んで、「退室」の赤いバナーを名残惜しく押した。

 めでたく卒寿(90歳)になった私の母は、今でも事ある度、「総長の仕事は無事に進んでいるのか?他人様に迷惑をかけていないのか?」とあれこれ心配の種が尽きない。母から見れば、小学校一年生の頃、毎日、悪童にランドセルを奪われて泣きべそをかいて帰ってきた弱虫の小僧と北大の総長は直線で繋がっている。
 こちらも還暦を過ぎ、人生60年の華も嵐も踏み越えてきた大人である。多様な人々とのコミュ力は鍛えられているので、以前のような子どもじみた反発は自制できるようになり、母の回りくどい話を最後まで聞く忍耐力は養成されてきた。その分、母親の話の長さは、さらに間延びしてきた。
 とはいえ、この年齢になっても、母からの「小言」はどうにも苦手である。学生や研修医の頃は、母親の忠告は「鬱陶しい」もので、長々しい諫言など振り払って、多忙を理由に話の半分も聞かずに逃げ回っていた。その習性は是正が難しく、結局、今でも母の小言は罰ゲームのようなものである。月に数回は、この罰ゲームに耐えることを覚悟している。

 論語にある40歳の不惑の年齢など20年以上前の忘却の彼方、50歳の天命を知るべき時期も10年以上前に目にも止まらぬ速さで通り過ぎ、いよいよ、人格完成の境地に至り人の言うことを素直に聞くことができるはずの「耳順」の60代も半ばを過ぎてしまった。
 40歳にして不惑、50歳にして知命、60歳にして耳順、ようやく70歳にして従心とは、孔子も随分と人格形成に手間隙のかかる成長の遅い凡人を想定したものだと思っていた。しかし、いざ、わが身を振り返ってみると、いよいよ耳順の年齢を過ぎても、未だに母親の小言さえ満足に聞けない己の人格形成の未熟さに愕然とする。
 孔子の言葉は、やはり、“君子”のレベルの人間にしか当てはまらない。10年毎にステップアップできるのは、聖人君子のレベルなのだ。僕のような凡人では、この成長のサイクルを15年くらいにしないとダメではないかと悟った。
 孔子がスタートとして定めた志学の年齢は15歳であり、サイクルはおよそ10年であるため、論語における人格完成の最終到達レベルは、「従心」の70歳である。これを15年サイクルにして再計算すると、従心への到達は90歳になる。90歳と言えば今の母の年齢ではないか!
 しかし、あの母にして従心の境地には程遠く、煩悩に追われ、世の中の理不尽に対して罵詈雑言をまき散らす様を見ていると、到底、耳順(60歳)にも達していない。この親にしてこの子ありだ。親子そろって、どちらも不惑にすら辿り着ける見込みはない。

 葛飾北斎は、70歳を過ぎてから、あの富嶽三十六景の神奈川沖浪裏を描いている。天才を評論するなど失敬千万であるが、波の描写も晩年になればなるほど研ぎ澄まされてくる。よく言われているように、神奈川沖浪裏の波涛の先端の描写は、デフォルメではなく、現在の超高速写真が一瞬に捉えるフラクタルのアルゴリズムが表現されている。北斎が70歳を過ぎてどのようにしてあの瞬間撮影の領域に辿り着いたのか、謎である。
 はっきりしているのは、70年以上波を描き続けて、ようやく到達したことである。ご存知のように、北斎は長命で、90歳を超えるまで第一線で活躍した。臨終に当たっても、「もう10年、いや、5年長生きできたら、本当の画家になれたのに」と未完の己を悔やみ、未練がましくこの世を去っている。
 いやはや、何たる成長の遅さ。

 総長も、オンラインでお目にかかった本学の学生の保護者の皆さんも、そして、日々、浮世への不満をエネルギーに変えて100歳を目指して両足に2.5キロのウェイトを巻いて筋力維持に執念を燃やしている僕の母も、孔子から見れば、人格成熟の道半ばである。まして、子どもたち、学生たちに至っては、人格形成のスタートラインにすら立っていない。

 親の心子知らず、子の心親知らず。親も子も、発達途上で未完成である。