オピニオン Opinion
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北海道弁
「なまら、がさいから、バクッテくんないカイ?」

 言われた相手がキョトンとしている。
 「このオール、なまら、がさいから、バクッテくんない?*1」と後輩のボート部員が、主幹校のマネージャーに、練習用に借りたオールのことで苦情を伝えた。周りが一瞬凍り付いて、次の瞬間、爆笑に変わった。善意で貸してくれたオールのことでため口をきいただけではなく、これ以上はないという北海道弁のエッセンスに僕たちは言葉を失った。
 もう、40年以上前、ボート部の遠征で埼玉県の戸田市の漕艇場の近くで合宿をした時のことである。埼玉県人にとって「なまら」も「がさい」も全く意味不明であった。「バクル」になると、最早、日本語であることさえ、疑わしかったに違いない。「なまら、がさいから、バクッテくんないカイ」は、北海道弁の粋の最高峰で、ほぼ、外国語に等しい。

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 方言に対して、多く地域の人が、どこかコンプレックスを持っている。僕は、頭のてっぺんから足の先まで、100%道産子である。長大な家系図があり、それを信用すれば、新潟県の最西端の現在の糸魚川市がルーツで、江戸時代の後半から明治の末期までは、北陸人であった。それ以後は、生粋の北海道人である。
 時々耳にする北海道弁は、どこか品に欠ける方言と思っていた。自分の第一言語である札幌人の言葉は、日本の標準語すなわち「」と信じていた。しかし、北大に入学して数日、自分の同級生の半分以上が北海道外の出身者という状況になって、事態が一変した。
 自分が「訛っている」ことを発見したのである。関西人や東北人のように明らかに違う語彙と音韻を持っている仲間とは「違い」は明確であった。大きな違いの方が、むしろ受け入れやすいことがある。
 厄介だったのは、首都圏の小洒落た関東人であった。自分の話す言葉と東京から入学した同級生達のアクセントには、微妙であるが確かな違いがあるのだ。
 大きな、明確な差で生まれる多様性は、ある意味、対応は難しくない。難しいのは、こういう「微妙だが確かな違い」である。

 大学1年生の頃、同じクラスの東京人が、札幌の女の子とデートをした翌日、半ば、唖然としつつ、言外に北海道人に対する軽蔑と愛着を交えて、前日のデートでの出来事を吹聴していた。
 「デートの途中でさぁ↖、『コワイ、コワイ』って言うんだ」「俺のことが、恐いのかと思ったら、どうも、疲れたっていう意味らしいんだ、これが!」
 聞いていて無性に腹が立った。「違うよ、それは、お前の下心が見え見えで、その女子大生の彼女、本当にお前のことが恐かったんじゃないか!」とムキになって言い返した。「さぁ↖」と語尾が妙に跳ね上がり、「何々だ」と「ぜ」をつける石原裕次郎を気取った気障な言葉に苛ついた。さらに北海道の言葉に対する蔑視の匂いを敏感に感じ取ったからだったかもしれない。

 故外岡秀俊さんの「北帰行」によれば、北海道の言葉は、とにかく比重が重い。厳しい寒冷なこの地での生活は、今でも容易でない。多様な地域からの移住と、急速な人口増加と拡大。そして、今は課題先進地域と言われるようなアップダウンの激しいジェットコースターの150年を過ごしてきた。この間、多様な人々が生きてゆく過程で、その心情を共有するためには、比重の重い言葉とやや荒っぽい粘り強い音韻が生まれたというような趣旨を外岡さんは述べている*2
 AIで僕の話し言葉の音韻分析をすれば、
----ルーツは北陸から新潟にかけての沿岸。幼少期以降は札幌市を中心とする地域---
 と解析されることは間違いない。僕の言葉も、重い北海道の音韻を内蔵している。お里はばれる。
 音韻だけではない。「ゴミを投げておけ」と言われてゴミ箱ごと放り投げた九州出身の大学院生の話を聞いたことがある。似非「標準語」を自称している僕であるが、このゴミを「投げる」という驚愕の北海道方言を、未だに日常的に使ってしまう。

 若い頃、東京の学会に参加する前、ある先輩教授から、さんざん吹き込まれた教訓がある。
 ホーキンは、典型的な北海道人だ。言葉が訛っている。とにかく、朴訥で口が重く、思ったことの10分の1も話すことができない。それに比べると、東京人、関西人は、学会などでは、丁々発止、言葉で圧倒する。だから、学会に出たら、東京人の10倍くらい発言するくらいで丁度ヨロシイ!!と言う具合だ。
 その教授のお言葉であるが、正統派の函館弁訛りだった。

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 北海道大学は、学生の出身地の多様性では、世界でも屈指だと確信している。北大は、新入学生のうち、地元出身者は全体の3割程度で、北海道外の出身が7割。全学生のうち、外国人も1割おり、国も100カ国を数える。
 彼らが、それぞれのネイティブな言葉や方言を話せば、この大学では、想像を絶する多様な日本語方言と外国言語が飛び交っていることになる。この国で、限られたキャンパスでこれだけの多様性が密集している大学は、さすがに世界一という確証はないが、日本一であることは間違いない。
 「大多数」がいない大学。どこか恥ずかしくて、どこか甘酸っぱい、マイナーなお国言葉を遠慮せずに堂々と話すことができる大学だ。

 大学の政策も「首都圏方言」である標準語だけで語られていいはずがない。これは、言葉の問題ではなく、地域に根差した事実や意見が交錯すべきである。北大総長も「なまら、がさい政策は、バクルべき」と勇気を持って言わなければならない。「おしゃべりな東京人」、「重い言葉の北海道人」、「寡黙な東北人」、「笑いを取る関西人」がそれぞれの自分の言葉で話をするのが、好いんでないカイ!

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 母によれば、曾祖母は、「どちらいか」という美しい方言を使っていた。「どちらいか」は、四国地方の方言(阿波弁)で、標準語では「どういたしまして」になる。北海道弁としても知られているが、ルーツは阿波弁と考えるべきである。
 このことが、僕のファミリーヒストリーにミステリーをもたしている。寳金の姓は、実は、わずかながら、四国地方の現在の徳島県にも存在している。
 家系図によれば、自分のルーツは、糸魚川周辺となっている。しかし、母の曾祖母が発したこの四国方言は、この仮説を根底から揺るがす。壇ノ浦で敗れた平家一族の中に「寳金」がいて、落武者として四国の深い山邑に潜み、やがて、そこからも、八つ墓村の落ち武者のように石もて追われ、流浪の果てに、遠く糸魚川に流れ着いた・・・伝奇浪漫は拡がる。

  • *1
    標準語では、「すごく、良くないので、交換してくれませんか?」の意味
  • *2
    外岡秀俊 『北帰行』 河出書房新社