オピニオン Opinion
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私、失敗しますので・・・
大学改革・・・今度こそ~~~!

 体にしみ込んだ外科医の本能は、まだ生き残っている。昨年までは、毎週、木曜日の午後9時が数少ない楽しみの時間であった。テレビの前にしっかり座って正対している。「ドクターX」の時間である。
 もう、シリーズの最期になるかもしれないが、外科医、大門未知子は、ますます腕を上げた。実際、手術のシーンをみても、手の動きは一流の外科医のレベルに達している。特に、門脈や肝動脈などの深部血管損傷に対する血管再建の技量は、見上げたものだ。
 「私、失敗しないので」の決め台詞。最後は完璧な手術、ハッピーエンドで終わる安心感抜群のドラマもシーズン7が惜しくも終了した。

 こちらは、「私、失敗しますので」の連続だ。このコラムもほぼ、失敗の連続である。最近も、アップすれば大炎上必至の原稿を書いてしまった。良識ある査読の先生や広報の皆さんが身を挺して、「殿、御乱心!」と、諭してくれて、踏みとどまることができた。これに限らず、世間知らずの総長の炎上を危機一髪で食い止めたことも数知れずある。
 とは言え、「総長」にまでなって、何を今更「失敗の人生」などと!本当の失敗や苦難の人生に比べれば、思い上がりも甚だしいと言われても仕方ない。思えば、本当に良いことに恵まれてきた。文句など言えるはずがない。

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 ただ、小さな失敗となれば、数限りない。
 例えば、床屋選びだ。
 何度も床屋を変えている。床屋は月に1回以上。年間12回とすれば、もう1000回近く、床屋に行ったことになる。これまでの人生で何人の床屋さんに散髪されたか、正確な数はわからないが、50人は下らないはずである。皆さんは、僕は人付き合いが上手いように思っているかもしれない。それは、誤解である。何度も、床屋と喧嘩別れをしてきた。

 今思えば、大人気ない別れ方をしてしまった床屋もいる。最初、たいそうウマが合って「人生の最後の散髪もお願いしよう」というような腕の良い、人柄の良い床屋さんと出会った。
 ところが、ある時、どうしたことか、「今日は顔色が悪いですね、どこか、体調でも?」あるいは、「最近、少しお痩せになりましたね」などと、こちらの健康に関するネガティブな配慮を言われるようになった。
 「」というのは、文字通り、このことである。人の健康の心配ばかりをする人間は、何と言うか、生理的に合わない。どうにもイラッとする。
 会えば、やれ、「少し痩せたね」「元気ないね」「たまには休んだら」「体重減った?」などと余計な観察ばかりを口にするのは、どういう了見かと思う。そんな心配するくらいだったら、自分の血液検査でもしたらどうなのさ!
 嘘でもいいから、「相変わらず元気だねぇ!!」「何だか、顔、緩んでるよ!」「楽してんじゃないのォ・・?」「また、肥った?」くらい言ったらどうよ!
 人間、いつかはこの世とおさらばするだろうが!!健康、健康とばかり言って、つまらない人生を送るくらいなら、太く短く生きるのが清々しい・・・・と言う具合で、拗ねてしまった。
 店を出る前に、「もう、あんたのとこは、来ないから!」と捨て台詞を放り投げてしまった。
 今思えば、相手は、思いやりの気持ちから発した言葉に違いない。お子ちゃまの僕の方は、意地を張って随分と子どもじみた馬鹿なことをしたものだ。思い出すと、今でも胸がチクチク痛む。

調髪での苦い失敗と言えば、大学1年生の夏、美容院なる場所に行ってしまったことがある。当時、何を思ってそんなことをしたのか、今でも信じられないが、思い切り、パーマネントウェイブにしてしまった。
 パーマが終了し、自分の頭を鏡で見た瞬間、ショックのあまり、美容院の椅子から転げ落ちそうになった。目の前の鏡には、あの清々しいホーキン君とは似ても似つかないパンチパーマ風のチンピラがいるではないか。もう、お天道様には顔見世できない、娑婆には出られないと確信した。
 本人のイメージは、当時のジョン・レノンのようなゆったりしたウェイブであった。これで、多少は女の子にもてるのではないかという疾しい考えがあった。おまけに、止せばいいのに、ジョン・レノンを目標として、口ひげまで蓄えていた。
 この口ひげとパンチパーマの組み合わせは、ジョン・レノンとは真逆のビジュアル効果を生み出した。百歩譲って、当時のプロボクサーの具志堅用高、一歩間違えば、今のピコ太郎・・・・。
 その日以来、毎日、少しでも強烈なパーマを解くため、3回洗髪し、大学には帽子を被って登校し、授業時間は最後部の席で、毛糸の帽子を目深にかぶり、うつ伏して時間を送った。パーマが緩むまで、人生で最も暗―い1か月余りを鬱々と過ごした。

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 大学改革も、およそ失敗の連続だった。法人化以降の20年余り、日本の大学は、僕の大嫌いな世界大学ランキングでも凋落の一途である。また、論文数や質においても、今や、インド、イラン、韓国あたりと競うレベルに低下している。
 今更、責任者をしょっ引いて、お白洲に引き出しても、失った時間は戻ってこない。あるいは、法人化以前の護送船団方式の「国立大学」に戻せば、日本の大学は間違いなくガラパゴスとなり、世界に看取られることもなく、極東の島国で、人知られず孤独死すること間違いない。
 「居飛車」「穴熊」以外知らないへぼ将棋の指し手ではあるが、「」という将棋の名言は知っている。「負け」には間違いなく理由があるが、大学改革における「失敗」の当然の理由を大学人が自律的に議論した形跡は希薄である。失敗の原因を大学人は真剣に考えなければならない*1

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 今年から数年かけて、10兆円ファンドという血税を繰り出して、大学の大きな改革が始まる。加えて、総合振興パッケージという、10兆円ファンドの恩恵に預からない大学にも財政出動がある。
 ただ、僕は、いたるところで、「総合振興パッケージ」のネーミングはいまいちと愚痴っている。コロナ禍で繰り出されたGo To トラベルとか地域振興クーポンのようなシャビ―なものを想像させる。
 愚痴はここまで。今回の大学改革、日本の大学改革の歴史の中で、法人化に匹敵すると断言できる乾坤一擲の挑戦である。死に物狂いでの「改革成功」の一択しかない。
 生まれて初めてパーマをかけて、鏡を見て腰を抜かした。その後1か月、布団を被るような生活をした。挑戦の出来栄えは、想像を超えるものがある。今回の大学改革の成果が形になるのは、きっと、僕が大学のことなど遠い昔のことと忘却している十数年後のことに違いない。是非、美しいウェイビーなヘアと知的な髭が似合うジョン・レノンになっていてほしい。

  • *1
    日本経済新聞 2022年1月11日 「国立大学の改革 自律・主体的に展望描け」 寳金清博