オピニオン Opinion
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休日恐怖症

 大型連休がようやく終わった。子どもの頃から、休日は憂鬱だった。子どもにとって、「退屈な休日」は、罰ゲームである。

 日曜日の朝、「鉄腕アトム」「ミユキ野球教室」「兼高かおる世界の旅」を見終わって、母親から「もういい加減にしなさい!」と小言を言われて、テレビのスイッチを切った後、翌日月曜日の登校までの時間は、まるで時間が止まったように長く感じられた。どんよりと退屈で憂鬱な日曜日の午後は、子どもにとっては過酷な時間だった。
 それでも、晴れた日は、グローブとボール、バットを持って、小学校のグラウンドに行くと、運が良ければ数人の友達に出会い、夕方まで泥だらけになって野球に興ずることができた。しかし、それは、よほどの幸運に恵まれた時で、雨や雪の日は、本当に「退屈で死にそうな」日曜日を過ごした。
 この休日恐怖症の患者は、僕だけではなく、僕達の上の世代には、そこそこの頻度でいる。昭和20年代から30年代の若い親達は、戦後まもなくの日本では働きづめで、やれ連休だの、週末だのといっても、子ども達をどこかへ連れて行く財力も時間の余裕もなかった。子どもの休日恐怖は、健全な子どもらしさの証拠であるが、「退屈な週末・大型連休」が転じて「休日恐怖症」のトラウマを子どもたちに残したと考えて間違いない。
 この「休日恐怖症」、大人になっても一向に軽快する気配はない。今でも、日曜日の午前中に、「NHK将棋トーナメント」などを見ていると、何やら、罪悪感を感じたり、あるいは子供の頃の日曜日の憂鬱の再燃を感じて、気分爽快とは程遠い。

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 周囲は僕のことを仕事人間、あるいは、仕事依存症と思っているに違いない。朝早くから夜遅くまであくせくと走り回り、机に向かって何やら書き物をしている姿を見ていれば、そう思われても仕方ない。家族は、自宅でもテレビを見ながらPCに向かって、毎晩、何やら小説家もどきをしている姿を目に焼き付けている。さらには、飛行機の機内、タクシーの車内、ホテルでも「仕事」をしている姿を何度も目撃されている。
 言うまでもないが、最近は、ZoomやWebexのおかげでゴルフ場でも仕事はできる。ゴルフ場からスマートフォンで学会の座長をするくらいはお茶の子さいさいである。

 しかし、正確を期すのであれば、僕が「仕事依存症」というのは、誤解である。僕は、生来の怠け者で、物心ついて以来、どうやってサボろうかと知恵を絞ってきた。サボリ癖は五臓六腑に染み渡っている。
 確かに、仕事をしているように見えるが、正確には、仕事と私生活の分離ができない状態であると言うべきである。そもそも、どこからが仕事で、どこからが「非」仕事かの区別がついていない。要は、「ながら仕事」であり、「ながら私生活」をしている。恐ろしい「退屈」を避けるためには、あらゆる知恵を駆使している。

 自宅で、右手で大好きなマカロンを食べながら、同じく右手でマウスを握って仕事をしていた時のことだ。右手でマカロンをつかんでいたと勘違いして、マウスを齧ったことがある。
 空港のラウンジで、眼をキラキラさせながらPCに向かって仕事をしているように見える僕を見つけても、決して、画面は覗かないでほしい。あるいは、市内のサウナのリラックスルームで何やらPCに向かって熱心に仕事をしている風の僕を見つけても声をかけないでほしい。
 大抵は、その週の中央競馬のメインレースに出走する有力馬の調教情報や直近のレース結果を念入りに調べているか、新しく発売されたドライバーの試打動画をYouTubeで見ているはずだからである。

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 この世には、上には上がいる。仕事の鬼の極めつけを紹介する。友人の結婚式の披露宴で隣り合ったT大の講師である。今から20年程前の会話である。
 T大講師「ホーキン先生は、脳外科医だから、夜も遅いんですよね」
 ホーキン「だいたい、夜は10時くらいでしょうか、食事は夜11時くらい。でも、手術が長引くと深夜になります」「先生は、何時くらいまで・・・?」
 T大講師「だいたい5時くらいに、いったん、家に戻りますね」
 ホーキン「夕方の5時、さすが、T大学ですね!労働管理もしっかりしているんだ!」
 そこで、やおら、T大講師婦人が会話に割り込んでくる。
 T大講師婦人「違いますよ!ホーキン先生。毎日、に戻ってくるんです」
 ホーキン「朝の5時・・・ですか!」
 T大講師婦人「朝5時にいったん家に戻って、10時くらいまで寝て、また、研究室です。」
 ホーキン「・・・・・・」

 聞けば、当時、彼の研究室は、ゲノム研究では世界の最先端を突っ走っていた。多くの研究者がそんな生活だったらしい。教室の教授は、ほぼ合宿の管理人状態で、研究室に寝泊まりしていた。毎朝夕に主要な学術雑誌を精読し、競争領域で先を越されていないか確認するのが日常だったらしい。一秒でも投稿が遅れれば、論文の価値が天地ほども下がるか、投稿する意味さえなくなる激しい競争の最中にいた。
 この先生、休暇で出かけた箱根でも、朝5時まで起きて、10時に起きる毎日だと婦人が教えてくれた。こうなると、ワーク・ライフ・バランスどころか、もう「ワーカホリック病」膏肓に入るというべき病状である。

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 心療内科の医師に聞くと、僕のようなタイプ(仕事と私生活がM&Aしているタイプ)の患者が、最も重篤で治療困難らしい。決定的な治療法はなく、ひたすら、「退屈」になる前に人生を終えることだと助言してくれた。救いは、仕事と私生活の渾然たる曖昧な生活様式を他人に強要しないことであると慰めてくれた。

 コロナ禍で、リモートワークが広まり、家庭や私的な場所が、一瞬にして「仕事場」に変わるという想定外のことが起こった。「家庭」「私生活」に仕事が4Gや5Gを通じて、一瞬にして乱入するようになった。
 僕達の世代のように、仕事と私生活の区切りを意図的に曖昧にしているのは自業自得である。ただ、働き方改革で、DXが日常に浸透すると、本人の意思とは無関係に、私生活と仕事の境目がなくなってしまうという事態が周りに起こっている。「ワーケーション」などという耳触りの良い流行語におだてられて舞い上がっていると、とんでもないことになってしまうかもしれない。
 DXや働き方改革が、仕事と「非」仕事の境目を曖昧にしてしまうことに比べれば、休日恐怖症など、可愛いものなのかもしれない。