オピニオン Opinion
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お節介焼きの深情け

 同僚のK先生とは、外来の診察室を隣り合わせていた。K先生と患者さんのやり取りが嫌でも耳に入る。
 診察開始から30分は経過している。K先生は、「親切」が白衣を着ているような名医で、患者さんの評判もすこぶる良く、K先生の外来待合室は、診察を希望する患者さんでいつも溢れている。長々と一人の患者さんの診察に30分も費やすのだから、外来担当のベテラン看護師は、明らかにイラついている。
 ようやく、「では、次回は〇月〇日ですね」とK先生の診察終了の声が聞こえた。その次の瞬間、患者さんから「ありがとうございます。最後にちょっとお願いがあるのですが・・・あのー、先生、専門外とは思いますが、私の母のことで相談してもいいでしょうか?」と尋ねてきた。思わず、外来看護師の怒りが沸騰するのが目に浮かんだ。
 「母が膵臓の病気の疑いがあると近所の医者に言われたのですが、この大学病院で診てもらえませんでしょうか?」と相談された。最近の医者なら、そもそもそんな診療外の相談は受け付けないオーラを出しているので、そんなよろず相談を聞くこともないし、仮に相談を受けても「そちらの主治医に相談して」と門前払いの一択である。しかし、K先生は、患者さんの母の話を10分ほど聞いて、「わかりました!それでは、早速、僕から消化器内科の〇〇先生に伝えますから、外来に行ってみて下さい」と役場の「何でも」相談窓口も驚きの対応である。患者さんの目の前で、その教授に電話をかけているのが聞こえる。
 外来開始から45分経過である。外来看護師は、待合室に出て、診察待ちの患者さん達に「すみません。K先生、急患を診療中で、診察遅れまーす」と一人一人お詫びを入れている。詫びの声の裏側に、K先生の「親切過ぎる外来診療」への怒りがほとばしっている。その日の外来は、20時過ぎまでかかった。

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 若気の至りといえばそうかもしれないが、僕にも似たような深入り経験がある。医学部卒業1年目で、地方病院の研修医として働いていた時に、先輩にひどく叱責された出来事があった。
 治療困難な脳腫瘍に侵された5歳の幼稚園児の主治医となった。治療法のない脳腫瘍の5歳の園児は、医者に成りたての僕には、特別な患者だった。何とか、1日でも小さな命の消える日を伸ばしたいと必死だった。
 治療の甲斐なく、園児は、発病から半年で息を引き取った。臨終の病室には、親戚一同大勢が集まり、病室から溢れ、廊下まで繋がり、悲しい別れの場となった。非力な主治医だった僕も親戚とともに哀しみに打ちひしがれた。
 四十九日が過ぎた頃を見計らって、ご両親の承諾を得て、ご自宅を弔問した。どうしても、遺影に手を合わせたかった。驚いたのは、多くの親戚が僕の弔問に時間を合わせて、集まってくれたことであった。テーブルを囲んで晩ご飯まで一緒して、挙句は、誰かわからない親戚の皆さんと酒を酌み交わすうちに、故人とは関係ない世間話で盛り上がった。最後には、当時、僕が独身でもあることに話が及び、「○○さんのお嬢さんがいるんだけど、東京の女子大を卒業しているし、先生にはお似合いだな・・」という話になり、これはいよいよマズイと思い、慌てて帰宅した。こちらも情が深いが、当時は、お節介焼きのおじさん、おばさんが至る所にいた。
 翌日、診療部長に呼ばれて、こっぴどく説諭された。「これから、お前は、何十年も何百人もの患者の臨終に付き合うことになるんだ。医者と患者の関係は、ベッドサイドの看取りまでだ。深入りし過ぎ!」と一喝された。
 確かに、命に関わる脳の病を毎日扱う脳外科医が、患者の墓前でいちいち手を合わせていては、仕事にならないという理屈は正しい。それ以来、患者の弔問は一度もしていない。
 確かに、これは、医者の深情けというべきものかもしれない。深情けもほどほどにしろという理屈はわからなくはないが、近頃の薄情け、薄情はどうしたものだろう。人と人の交わりの密度の何と希薄なことか。基本、僕もK先生も全く反省していない。

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 先日、大学祭に呼ばれて、少子化という課題に立ち向かうドン・キホーテさながらの吉野正則特任教授と対談した*1。吉野先生の人懐っこい容貌はどこかK先生に似ているし、間違いなく、昭和の親切過ぎる深情けの世代である。
 少子化には複雑な要因があり、それぞれが絡まり合い、地域課題としては超難題である。そんな課題に立ち向かうには、そもそも、人並み外れたお節介焼きの深情けの精神がなければ出来っこない。
 ドン・キホーテ・吉野先生が立ち向かう地域課題の巨人「少子化」の背景の一つに、妊娠や育児を支える社会のマイクロなネットワークが壊れかけていることが挙げられる。それは、お節介焼きで深情けの小さなネットワークである。普段は面倒な話も少なくない親戚関係のネットワークであり、あるいは、近所の人々でつくられる小さいけれども強靭なセーフティネットである。自助・共助・公助の枠でいえば、小さな「共助」である。
 加えて、このコロナ禍である。コロナ禍で、田舎の親戚はおろか、身近な親戚や友人と熱意や体温を感じるようなコンタクトの機会が激減した。そして、煩わしい親戚付き合いも淘汰され、小さな家族や孤立が急増した。働き方改革で、宴会や飲み会はほぼ消滅し、職場の勤務時間外のコミュニケーションも激減した。お節介焼き達の深情けのセーフティネットは、破綻寸前、風前の灯である。

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 振り返って大学同士の付き合いを見ても、随分と薄っぺらなものになってしまった。コロナ禍で、オンライン以外で言葉を交わしたことのない学長ばかりになった。
 北大も、歴史を振り返ると、札幌農学校から帝国大学への成長過程では、東北帝国大学(現東北大学)と深い関係があり、近しい縁戚関係にある。あるいは、旧七帝大という親類縁者の集まりもあり、学士会なる組織も存在する。学士会は、会員の娘・息子の結婚紹介を目的とした「良縁倶楽部」なる活動もしており、抜群のお節介焼き組織である。しかし、薄情社会の力は、この学士会の活動にも影を落とし、必ずしも右肩上がりとはいえないように思われる。
 しかし、その繋がりも、御多分に漏れず、薄いものになりつつある。「少子化」に立ち向かうというような果敢無謀な挑戦をする以上、まず、足元から、こうした、ネットワークの価値を考え直すべきだと思う。
 早速、親戚ともいえる京都大学の125周年記念式典の招待状では「参加」に〇、僕の出身母体である北大脳外科同門会の会合にも「参加」に〇の返事を出した。もちろん、唯一の楽しみである土曜日のゴルフも諦めて、近く行われる「全国七大学総合体育大会」の開会式のために仙台出張も喜んで参加し、久しぶりに七つのQT大の総長と旧交を温めることにした。

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 そういう年齢になったということだが、ついに、我が家も町内会の役員の一つである「組長」を拝命することになった。ホーキン家は、「」と「」がそろって(一歩間違えば、反社と誤認されないか心配しています)、いよいよお節介焼きの深情け路線まっしぐらとなった。