オピニオン Opinion
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4番サード・大学♪♪

 小学生の頃、決して運動神経が良い方ではなかった。しかし、どういう風の吹き回しか、担任の先生から、野球大会の選手に指名されてしまったことがある。しかも、あろうことか、4番バッターに自分の名前があるではないか!今思えば、担任の先生が、普段、生意気ばかり言って思い上がっている小僧をちょっぴり懲らしめようと与えた罰ゲームだったのかもしれない。

 こう見えて、実は繊細な子どもだったらしい。大会の前日は、ほぼ一睡も出来なかった。小学生にして、生まれて初めての不眠を経験した。明け方の微睡の中では、三振もしたが、ホームランも打ち、クラスで一番人気の転校生のY子ちゃんが「ホーキン君、格好いい!!」と駆け寄ってくる・・・・。そこで、朝を迎えた。
 当日、自分の打順を待っている際に、寝不足と緊張のあまり、目の前が真っ白になった。仕掛け人の担当の先生もさすがに慌てて、「大丈夫だ、ホーキン、しっかり頑張れ」と励ます始末となった。頭は真っ白、遠のく意識の中で、打席に呆然と立った。なぜ、そんな選択をしたのか今でも解せないが、初球の超悪球に手を出し、ボテボテのピッチャーゴロとなり、駆け出した瞬間、前のめりに転倒した。起き上がった時には、ピッチャーからの送球はすでに一塁手のグローブに収まっていた。
 「何やってんだよォ・・・!」、「ひっこめ、ホーキン!!」、「勉強が少しくらいできるくらいねェェ・・・」「ガッカリだわ、ホーキン君」。チームメートの少年達、応援のクラスメートの少女達から容赦ない言葉の暴力と屈託ない失笑を浴びた。少女達の最前列で、一番人気のY子ちゃんがクスクス笑っている姿が見えた。
 僕の人生でたった一度、最初で最後の4番バッターは同級生の罵声と嘲笑の中で終わった。昭和の少年少女達は、かくも残酷だった。
 今でも、人生で消し去りたい思い出のベストテンに入る。

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 野球のルールにあまり詳しくない方でも、3番と4番バッターが、チームの主力であることはご存じかと思う。昭和の人間であれば、読売ジャイアンツの「3番ファースト王、4番サード長嶋」。令和の皆さんであれば、東京ヤクルトスワローズの「3番セカンド山田、4番サード村上」という具合で、チームを牽引する主力である。
 日本を野球チームで例えると、昭和から平成の半ばくらいまでの間、間違いなく4番バッターは「経済力」。昭和の企業戦士達が築いた「経済力」は、国際競争力でも世界の1,2位であり、日本の国力の根源であった。
 今、冷静に振り返ると、僕が研究者として米国カリフォルニア州にいた1980年代、カリフォルニアの主要な銀行は、California First Bankか、Sumitomo Bank Of Californiaという具合で、いずれも日系の銀行であった。アメリカ人の友人からは、「バンカメ(Bank of America)」は早晩破産するから、決して金を預けてはいけないと真顔で忠告されていた。当時の日本の4番バッター「経済力」は、世界でも十分に通用していた。これに対して、研究力や高等教育は良くて9番バッターか、代打程度であった。
 それが、令和の時代になって、突然、政府の成長戦略のど真ん中に「ゼロカーボン」「グリーン専門人材」「大学10兆円ファンド」「デジタル田園都市国家構想」など、「研究力」に関わる言葉が揃い踏みとなった。研究力がチーム・ジャパンの4番バッターに指名された。4番バッターばかりではない。エネルギー、食糧生産、防災・減災力など、研究力に関わる打者もスターティングメンバーにズラリと入っている。

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 振り返って、昭和から平成の約30年の間に、日本の研究力は、世界でのランキングを大きく落とした。ピーク時には、世界の3強に入っていたが、現在は、10位から12位くらいで、どう見てもBクラスに転落してしまった。
 当然、この30年間、政府も手をこまねいていたわけではない。「研究力低下」に歯止めをかけようと、文科省と財務省の間で厳しい議論が交わされてきた。この間の竜虎(文科省VS財務省)の戦いにはさらに内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)という強面が加わり、乱戦となった。その経緯、単純にまとめると以下のようになる。
 結果的には、財務省、CSTIはそれでもまだ不十分と思っているかもしれないが、「大学改革」は大きく前に押し出された。「競争原理」が大幅に導入され、「選択と集中」が徹底された。経営の自立化を目指して、伸びようとする大学に投資を集中することで、日本の研究力の再生を目指した。
 大学の基盤的資金である税金の総量(約1兆円)が増加しないゼロサムゲームとなった。競争的な資金が全体の10%にまで増額された(中には、1兆円を全て競争的にというご意見もあった)。大学間の競争が誘導され、奪うか奪われるかの日常となった。この奪い合いは、毎年行われ、配分結果に一喜一憂する仕組みが作られてきた。
 その行き着いた先は、世界トップレベルからBクラスへの転落である。
 ただ、財務省は、この「競争原理導入」をしてきたおかげで、研究力低落がと考えているかもしれない。言い換えれば、大学や文科省の言うがまま、はずだと考えているかもしれない。
 「選択と集中」「大学間競争の加速」作戦が、ランキング低下を最小限に押しとどめたのか、いやいや、ランキング低下を加速したのか否かは、正直、難しい評価である。ただ、研究力を伸ばして真の4番バッターに育てるには、投入される資金の総量を大胆に増やさなければ無理だったことをこの失われた30年で私たちは学んだ。

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 「大学を起点に地域創生を!」「大学から起業・スタートアップを!」「社会変革のためのデジタル・グリーン人財を!」という叱咤激励を受けている。政府や関係機関からは、大学に対して、打率3割、ホームラン30本、打点100点以上の期待が寄せられている。
 いよいよ、私達大学の時代が来たかと思う一方で、「ちょっと待ってください」と言いたくなるような心細さである。小学生の頃の悪夢が蘇る。気になっていた転校生のY子ちゃんに笑われる程度では済まされない話である。

 こう見えて、実は繊細な総長であるらしい。小学生の時、4番バッターに指名された時と少しも変わりない。日々、その期待に応えよう、その期待に押しつぶされないように、毎晩、熟睡している。毎晩ぐっすり眠る技術だけは、小学生の時に経験したおませな不眠から会得した。