オピニオン Opinion
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センセー達の憂鬱な日々
-----「グリーン・DX・大学」対「医療・福祉・年金」-----

 どうした風の吹き回しであろうか、永田町からお声がかかった。周囲は、「先生、そりゃあ、ガス抜きですよ」と醒めている。少しばかり声の大きい田舎の学長の憤懣がメディアなどあらぬ方向に向かって暴発しないように政府与党から先手を打たれたという読みである。
 生来、人見知りのくせに、講演のオファーがあれば、東奔西走、世界の果ての数名の集まりにも尻尾をプルプル振って、〝ノコノコ〟と馳せ参じる習性である。
 以前、臨床で目が回るほど多忙だった頃、親友の同級生からお声がかかった。鄙びた田舎での講演会を設定してくれた。ただ、この同級生から「家族も一緒に来てよ!」という誘いを聞いた時の悪い予感が的中した。この講演会、僕の30年余りに及ぶ講演会人生でも忘れがたいものとなった。
 千秋楽の元横綱白鵬のように自らの頬を2度ばかり平手で打ち、気合を入れて、会場に足を踏み入れた途端、腰が砕けそうになった。目の前には、場末感満載の畳敷きの宴会場があり、座布団が10枚ほど敷かれていた。聴衆は、講演会の仕掛け人である同級生と地元病院に勤める彼の同僚が2名、そして、他は何と “サクラ” として我が家族(一番下の娘は、当時幼稚園児)の7名だけが座布団に座っているではないか!
 これまで田舎芸が繰り広げられたと想像される緞帳のある低いステージが、この日の僕の晴れ舞台であった。にわか仕立ての白い布が今日のスクリーンとして会場に張り付けられていた。今思えば、日夜、手術に追われていた僕の有様を見て、心優しい同級生が、家族との時間を作ってくれたに違いない。
 そんな田舎の旅館での聴衆7名、しかも、ほぼ全員身内という講演。引退寸前の売れない演歌歌手さながらの舞台でさえ引き受けた筋金入りの講演マニアである。花の大東京、しかも、永田町の自民党本部からのお誘いとなれば、どこを探しても断る理由を見つけることのできない申し出であった。

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 国会開催中の忙しい朝の時間、あるいは、昼休みの合間を縫って、様々な勉強会が永田町では繰り広げられる。会場の部屋の入り口から、選挙区の関係者や霞が関の官僚が溢れんばかりの会場もあれば、閑古鳥が鳴いている会場もある。
 何と言っても、「医療」「福祉」「年金」などは、いつも人気の中心である。地元のステークホルダーである有権者や生活者にとって、テッパンのテーマである。ドブ板選挙を勝ち抜いてきた議員のセンセー方にとっても、どうにも外せないテーマに違いない。
 以前、病院長の頃、医療関係の勉強会で永田町に呼ばれた時も、「大学改革の勉強会」は、閑古鳥が鳴いていた。今回、僕が呼ばれた「日本の科学技術・大学に関する勉強会」は、今一つの盛り上がりであった。
 思うに、こういう「大学」だの「科学技術」だの天下国家を論ずるような勉強会に顔を出す議員さんは、きっと、選挙区では地盤がしっかりしていて、いつ「解散・総選挙」があっても、「どんと来い! 」という余裕があるに違いない。あるいは、この任期を最後として、次回の選挙では引退が決まっていて、すっかり毒気の抜けた議員さんなのかもしれない・・・などと、下衆の勘ぐりをした。いやいや、そんなはずはなく、「科学技術の将来」を憂いている、真の憂国の士に違いない。

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 「グリーン・DX・イノベーション」「大学改革」などの高邁なテーマにとって、会場が溢れんばかりの関係者で埋まり、立錐の余地もない「医療」「福祉」「年金」のテーマは、まともに太刀打ちできない難敵である。我々にとって大学の問題は「喫緊の課題」であるが、国民から見れば、目の前の除雪の問題やら目減りする年金の問題の前では、そんな話など霞んでしまうのが、リアルワールドだ。
 タクシーの運転手さん、すし屋の大将、田舎の親戚にしてみれば、ホーキン・センセーの「科学技術」の話など、戯言だ。象牙の塔の迷路の果ての出口のない部屋で浮世離れした沈思黙考をしている仙人の繰り言。「先生の言うことは、難しくて・・・」と一蹴されて、「はい、チャンチャン」で終了である。

 先日も東京で霞が関に向かうタクシー。最近少なくなったが、たまにいる自説を展開する強面の個人タクシーの運転手さんであった。
 「センセー方が日本はすっかり駄目になったというけどさ、オイラは、金はないけど、命の心配をしないで、なんだかんだ毎日平穏に暮らせるじゃないですか・・・日本って! 日本はそんな悪い国じゃないですよ、グリーンとかDXとか何とか言ってるけど、一体何を変えるんですかね・・・センセー」と言われた。なんだか、とても居心地の悪い気持ちになった。
 「地域の課題を解決する」と意気込んで、地域に行くと、農家の日常、漁業の現実に触れる。人口がこの50年で半分に減った町がある。地域を繋いでいた鉄道が廃止になった町がある。
 「そこそこ、そこにこそ、グリーン・DXが必要なんだよ、ホーキンセンセー! 」と天の声が響く。そうなのだ。ゼロカーボンやDXを実現させるのは、霞が関だけの話ではなく、人口減少、過疎化の農村、漁村にこそ、グリーン・DXが必要なのだ。
 しかし、そこで「デジタル田園都市国家構想」を声高に話すことは、僕を含めたセンセー方にとっては、とてもつらい仕事である。見れば、地域の首長さんや議員のセンセー方、漁協や農協の役員の皆さんの胸元にも、確かにSDGのバッジが光っている。しかし、バッジの意味と地域の生活との関係は果てしなく遠い。

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 「デジタル田園都市国家構想」は、最近では、担当の内閣府の官僚の間では「デジ田」と呼ばれている。「デジデン」となると、もう何やら、どこかの電車の路線の名前か、JK、JC(女子高校生、女子中学生)の使う流行り言葉のようにしか聞こえない。
 先日、科学技術に関する国際会議に出席していた。会場は、「グリーン」「イノベーション」「デジタル」「ゼロカーボン」など、聞き心地の良い言葉で溢れんばかりであった。どの分科会の会場に行っても、「地球の限界」が声高に叫ばれていて、へそ曲がりの学長は、ある種の飽和感を通り越して、うんざり感さえ感じてしまった。
 実際、地方の政治では、その場しのぎの「官製補助金」をどれほど獲得し、雇用を確保し、今の生活を守るかということに腐心している。その本質的な重さは、全く軽視できないものだ。それは、ある意味、世界の底流に岩盤のように存在する反知性主義の重さであり、今でも、世界を揺り動かしているポピュリズムにも繋がる。

 タクシーの運転手さんの言葉は決して軽いものではない。改革の道は、半端なく、険しい。