オピニオン Opinion
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学者の賃上げ闘争

 それは幸運だったのか、不運だったのか、とにかく、お金に縁のない境遇で育ってきた。ただ、持って生まれた鈍感さは身を助けてくれた。幼稚園には通っていないが、小学校、中学校、高等学校では、ただの一度も「ひょっとして、僕は金に縁がないのではないか」と危ぶむことはなかった。
 一方で、健全な金銭感覚を身に付けることができなかった。金がないくせに、薄いお財布を叩いては、人に振舞ったり、お勘定書きを握って、真っ先に支払いに立ったりする。「いいよ、いいよ、またの機会に」などと、格好つける悪い癖はどこで学習したのだろう。金銭リテラシーは、人生のリスク管理の上では、最も重要なコンピテンシーの一つである。その欠如は、時に身の破滅をもたらす。
 大学生の頃、イカシタ車を衝動買いしてしまった。その車は、当時の世界最高のエンジンであったロータリーエンジンを搭載していた。
 信号待ちしていると、隣に、車高を目いっぱいに下げたウィング付きの改造トヨタ・セリカがバリバリとエンジン音を響かせながらピタリと並んだ。見ると、運転手は、リーゼント・ヘアを決めた暴走族のツッパリお兄さんであったが、僕のロータリーエンジンの敵ではなかった。
 ただ、リーゼントお兄さんのセリカに勝つことはできても、車のローンは許してくれない。ボート部の部活動が緩む冬期間には、週5日のアルバイト生活を送るハメになってしまった。幸い、家庭教師のアルバイト先に恵まれた。それでも、車の支払いは重くのしかかり、札幌駅の地下にあった書店の深夜バイトにもホイホイと出掛け、さらには、ススキノで朝まで営業しているバーのボーイの仕事まで二つ返事で引き受けた。
 そんな生活をしていたにも関わらず、金銭リテラシー、健全な金銭感覚はついに育つことはなかった。しかし、今、僕の周りにいるIQの高そうな研究者の中にも、実は、金銭リテラシーが欠落していると思われる人々をしばしば見かける。大学には、似なくてもいい特性まで似た者が集まる。

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 その僕が、すくすくと成長し、金銭リテラシーの欠落した研究者になって15年くらい経った頃、つまり今から20年くらい前の話が、今日のお題である。今さら、恨み節をくどくど言うつもりはない。ただ、事実はこうだ。
 ある企業の新薬の臨床治験で、深夜まで患者さんのデータを集めていた。日常の診療を終えてから、入院患者さんにお願いして、特別な画像検査をお願いした。それも、数か月に及んだ。辛いことのない画像検査なので、患者さんにはそれほど大きな負担ではなかったことだけが救いだった。
 大変なのは、研究者である。草木も眠る丑三つ時の深夜である。大変な手術を終えてから、心身とも疲労困憊の体に鞭打って、画像検査室に向かい、フーリエ変換などを駆使して、データ解析を開始する。人気のない薄暗い深夜の検査室で、術衣のブルーのキャップを被った僕の顔をスクリーンの反射光が蒼白く照らしている。その姿は、鬼気迫るものがあったに違いない。時には、データ解析が一段落する頃には、東の空がわずかに明るくなっていることもしばしばあった。その日の午前中の外来診療で、あろうことか、外来患者さんの診察中に寝落ちしてしまった。「センセー、起きて下さい・・大丈夫ですか」という患者さんの声に励まされたことがある。
 良い記憶は薄れてしまうことを差し引いても、間違いない事実がある。それは、この過酷な研究の対価として、僕自身は金銭的報酬を得ることはなかったことである。大学を通じて、私の属していた脳神経外科の講座に研究費として入金され、全体で使用する仕組みであった。少なくとも、あの深夜の研究に対する個人的な対価はゼロであった。
 時代の空気というのは、恐ろしいものである。まさに、己が命を削るような深夜の過酷な作業ですら、それに対して個人的な対価を求めることなど、研究者としては、恥ずべき行為だと信じていた。
 実際、その研究は素晴らしい結果をもたらし、僕は、その後多くの研究者に注目される一編の英語論文を第一著者として世に出すことができた。今でいえば、TOP1%論文であった。また、その治験薬は、僕が解析したデータの追加も大きなエビデンスの一つとなり、見事、薬事承認を得ることができた。今思えば、何百億、いや、もうひとつゼロのついた収益をもたらした。

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 僕がリーゼントお兄さんのセリカと争っていた頃、「産学連携」は、悪しき学術資本主義(アカデミック・キャピタリズム)の象徴であった。しかし、時代が遷り、金銭リテラシーの希薄な研究者が学長になった今では、大学で最も活躍している組織の一つとして「産学連携推進本部」が挙げられる。
 大学教員は、今、多くの産学連携を進めている。そして、その産学連携の多くは、研究者が教育や研究に費やす時間にプラスアルファの〝エフォート〟を持って成し遂げられる。それに見合う知の対価の制度作りも、ようやく最近進んできたが、世界や他の産業に比べれば、周回遅れと言って間違いない。
 先日も、ある公的な会議で、「この国は、いつから、かくも、知的な活動の価値を軽んじるようになったのか!」と檄を飛ばしているセンセーがいた。お気持ちはよくわかる。しかし、責任の半分は、何の疑念もなく、夜中に身を削りながらその対価なしで働いて、失われた30年をけん引してきた僕を代表とする研究者の側にもある。
 よく知られているように、日本の給与は、この30年間、上昇することなく泰平の時期を享受してきた。研究者が手にする月給もべた凪のように低く安定して、国際的にはダントツの低水準となった。
 それには様々な要因があり、日本の労働者全体の給与が上がらなかったことが根っこにあり、決して、研究者の給与だけが伸びなかったわけではない。ただ、研究者に限れば、日常の業務に負荷される産学連携などの知的労働に対する「対価」については、アカデミアがあまりに無邪気で世間知らずのお人よしであったことが原因の一つである。
 大学では、今、教職員に対して、現代の大学人としての様々なコンピテンシー教育を行っている。情報リスク管理、研究倫理、ハラスメント研修などなど・・・挙げるとキリがない。そこにまた新しい研修を加えるのは忍びないが、「金銭リテラシー」「知の対価」について、ちょっとお勉強をお願いすることになるかもしれない。

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 信号待ちで、三千万円は下らないメルセデス・ベンツGクラスが横に停まった。こちらは、小ぶりで慎ましやかなエコカーである。怖いもの見たさに、横目で見ると、40年以上前、改造セリカに乗っていたツッパリのリーゼントお兄さんと瓜二つの男がハンドルを握っている。左手には、一目で最高級のロレックスとわかる時計をつけている。男は、ニヤッと笑って、信号が青になった瞬間、エコカーをいとも簡単に振り切って、遥か彼方に消えていった。

 お金に縁がないのは、年を経ても変わらない。