オピニオン Opinion
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Love and Hate 大好きで大嫌い

 先日、久しぶりに、同級生数人と一緒にAと会う機会があった。もっと、正確に言えば、会う羽目になった。

 最初から、なにやら、ツンツンして、喧嘩腰である。理由は、おおよそ、見当がついていた。僕が北大の総長だからだ。僕の顔には「大学」と書いてあるらしい。僕を見ると無性に腹が立つというのである。
 彼は、長く北大の教員をしていた。しかし、教授になることは叶わなかった。結局、大学での自分に対する評価の低さに我慢ならず、見切りをつけて、大学を退職し、他の職場に移動した。Aにもう少しの忍耐力があれば、大学でしかるべき立場が与えられたはずだった。残念至極である。とにかく、「正義」と「正論」が手術衣を着て歩いているような外科医だ。

 「だいたいだ、いつまで経っても、一流半にもなれない田舎大学だろうが・・・どうにもならんわ!」と、最初から、宣戦布告である。それが、ネチネチと延々と続くので、堪らない。その日は、酒の勢いも手伝って、その攻撃のしつこさがスケールアップしている。
 こちらは、生来、性格温厚、「和を以て貴しとなす」の性格である。ひょっとして、自分は聖徳太子の生まれ変わりではないかと思うことがある。声を荒げて、どなったことなど、本当に子どもの頃以来皆無の人生である。しかし、あまりに母校のことをかくも悪し様に言われて、ついに、堪忍袋の緒が切れた。
 普段、我慢の限界で踏みとどまっている浅野内匠頭のような人間が、キレると、どうにも手に負えない。周りが振り返るような罵声を上げてしまった。「お前こそ、一流どころか、二流以下の外科医だろうがぁぁ!!」「このタコ!!」「このタコ野郎!!」とQT大の総長などが決して使ってはいけない、はしたない、汚い日本語が口から飛び出した。言ってから、自分でも驚いたほどである。
 そこから先は、もう、語るに落ちる子どもの喧嘩である。幸い、慌てた他の同級生が割って入って、松之廊下のような刃傷沙汰にはなることなく、事なきを得た。

 しかし、私は今でもAのことを尊敬している。人生で、A以上の技量を持った外科医に出会ったことがない。論文も発想も研ぎ澄まされ、なにより、語学力が飛び抜けている。コイツ、大学を間違えたのではなく、生まれる国とタイミングを間違えただけである。僕が聖徳太子なら、Aは時代と国を間違えて生まれたスティーブ・ジョブズか坂本龍馬である。

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 かく言う僕も、北大に恨み節を抱いた時期がある。一時期、北大の教授に選考されることが叶わず、他の大学に職を得た経験がある。その時の心境は、このAのような「ひねくれ男」と少しも変わりなかった。いや、むしろ、スター・ウォーズのダース・ベイダーに匹敵するくらい、暗黒エネルギーの大きさの点では、彼を上回っていた。
 「あの田舎大学、北大はどうしようもない!!!」というように、母校に対して、まっこと、子どもじみた敵愾心を持つに至った。幸い、新しく赴任した大学では、その屈折したエネルギーが良い方向に作用した。加えて、非常に良い環境と仲間に恵まれた。まさに、夜討ち朝駆け、24時間働けますか!を実践し、手術と研究と教育に明け暮れた。おそらく、母校、北大で安閑として甘えていては絶対に成し得なかった業績も挙げることができた。
 その後、大人の事情で、結局、あろうことか、北大に出戻りすることになった。この間お世話になった大学には、心底、感謝している。いかに大人の事情とはいえ、事実としては「恩を仇で返す」ことになってしまった。もう一昔前のことであるが、水に流すことは無理としても、この場を借りて、お世話になった皆様にお詫びしなければならない。

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 愛する者に拒絶され、裏切られた時、それは、強い憎しみに変わる。それは、北大だろうが、東大だろうが、ハーバード大だろうが、同じである。愛が大きければ、その分、負のエネルギーも大きい。愛に破れた多くの人間は、大学を離れ、流浪の旅に出る。しかし、時には、怨嗟に近い感情をもたらし、ストーカーか、あるいは、手に負えないモンスタークレーマーを作り出す。
 「渋民村を追われた啄木だな・・・」と、自分は、聖徳太子の輪廻転生というより、むしろ、現代の石川啄木なのでは・・・と自分に都合の良い偉人を探し回る。古来、貴種流離譚と言うではないか。能力ある選ばれし者こそ、祖国を追われ、流浪の旅に出、諸国放浪の後に、やがて祖国に帰るという、日本古代史にも出てくるあのロマンスだ。この貴種流離譚、祖国に戻れると、ハッピーエンドである。しかし、Aのように、物語はそう上手くいかない。
 大好きで、大嫌い。Love and Hateという点では、全く、恋愛そのものだ。LoveHateは、その本人でさえ、自分がいまどちらの状態にいるのか、区別つかないことがある。恋愛の行く着くなれの果ても随分と見聞してきたが、人と大学や職場の恋愛のもつれも、大変な騒ぎとなる。
 人は自己実現の場所と愛する場所が一致した時、幸せになる。そんな幸運に恵まれる人間など、数えるほどだ。多くは、愛する場所をついに見つけることができず、むしろ、愛する場所から突き放される。大学や職場は、本来、そういうところだ。

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 やや、しばらく経って、ある日、寄附を担当する部署から、時代と国を間違えて生まれたスティーブ・ジョブズこと、希代の外科医Aから、大学に高額の寄附があったと連絡が入った。その直後、僕にメールがあった。
 「ホーキンへ・・・先日は酒に酔って、暴言、失礼した。これは、慰謝料ではない。いつまで経っても一流半にもなれない田舎大学への手切れ金だと思って、受け取ってくれ。面倒な感謝状など不要。まして、銘板に名前など入れたら、金輪際、付き合いはないと思ってほしい。ホーキンは、どうにもならない母校を一流半にするために、頑張ってくれ」と書いてあった・・・。

 すぐに返信をするのは、悔しいので、しばらくしてから返信した。
 「元気で何より。あんな暴言は許しがたいが、手切れ金はありがたく受け取ることにした。そのうち延長戦を受けてやるから飲みに行こう。前回を上回るような大学への毒舌を放っても構わない。そのうえで、二度目の手切れ金を払ってもらいたい」
 同級生はいいものだ。
 Love and Hate、僕とAもそうだ。今度Aに会う時は、もっと煽ってやろう。Aから究極の暴言を引き出し、さらに大きな手切れ金をゲットする作戦に向けて、寄附金担当は悪知恵を巡らせている。