オピニオン Opinion
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光は北から、光は南から
----総長コラム また逢う日まで----

 3月7日、鹿児島県種子島宇宙センター。H3ロケットへの期待は、大きな落胆のため息に変わった。日本の科学技術の一つのシンボルであるH3ロケットは、残念ながら第2段エンジンが着火せず、指令破壊信号が送られ、フィリピン沖に落下したようである。

 H3の開発チームが背負っている責任と期待の大きさは想像して余りある。JAXAのH3プロジェクトの岡田匡史マネージャの記者会見は、見ているこちら側の心も痛くなるような会見であった。心が折れそうな記者会見で力を振り絞り、丁寧に今回のミッションの問題を説明する姿に、研究者としての真摯な責任感に、心が揺さぶられた。
 そして、彼ら自身の想像を絶する落胆と世間からの厳しい批判を思えば、私の個人的経験など取るに足らないものであり、比較すること自体、僭越ではある。ただ、私も研究者の端くれとして、ことを思い知らされるような辛い経験をしてきた。その辛い経験の一つを紹介する。

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 その日は、お通夜となった。
 関係者は言葉を交わすこともなく、皆、打ちひしがれていた。

 亡くなったのは人間ではない。私たちの研究が、その日、亡くなった。喪主は我々であるが、ある意味、我々自身も故人である。自分たちで自分たちの葬式を出して、手を合わせる。悲しみを乗り越えることは難しい。葬送の営みは辛い悲しみを乗り越えるために、人間が考え出した鎮魂のための儀式である。

 通夜の会場は、研究室の片隅のカンファレンス・スペースである。アルコールが入って、落胆していた気持ちを怒りに変えるスイッチが入った。
 「私、やっぱり我慢なりません!」
 「P値0.05って、科学的な根拠があるんですか?」
 「誰が決めたんですか!」
 「プライマリーエンドポイント(主要評価項目)だけが全てではないでしょうが!」
 などなど、科学者とは思えない言いがかりをつけて、全員が悪酔いした。最後は誰もが意気消沈して、三々五々のお開きとなった。

 「この薬は、くも膜下出血に効果があるはずだ」という確信から、15年ほど前に、その研究はスタートした。運よく科学研究費を手に入れることができた。基礎研究から始まり、試験管内で有効! 細胞内で有効! ラットでも有効! 怒涛の3連勝!! 研究費も順調に膨らんだ。
 そして、いよいよ、人での臨床試験となる。これが、第1相、第2相、第3相という厳しい試験があり、3連勝しなければならない。
 無傷の連勝を重ねて、ようやく私たちの仮説が認められる。最初の2戦は、勝ち抜き、最後の大一番の結果を待っていた。臨床研究は厳格なものである。本物の薬とウソ薬(プラセボ)を大規模な数の患者さんに投与する(二重盲検試験)。医者ですら、どちらの薬を患者さんに使ったのか知ることができない。小さな研究室の片隅からスタートしてから、実に15年余りの歳月が流れていた。
 結果が明らかになる前日には、記者会見を開催するとなったら何を話そうか・・・母や田舎の叔父も喜んでくれるだろうな、などと子どもじみた期待ばかりが膨らんでいた。

 しかし、最後の関門である、最終の臨床試験の結果は、私たちの夢と希望を木端微塵に打ち砕いた。結果の解析は公正な第三者機関で行われる。私たちが15年間、愛しく育ててきた我が子同様の研究は、残念なことに最終の臨床試験で落第となった。

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 私は、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の白熱教室のファンである。旅先のホテルのTVで、英語での直近の白熱教室を見ていた。最近のテーマは「同性婚やトランスジェンダー」ということで、日米、そして、中国の大学生の議論が盛り上がっていた。内容は興味があれば、そのうち再放送があると思うので、確認して見ると勉強になる。特に英語バージョンは、現代英語のショーケースであり、英語のトレーニングにもなる。是非、学生の皆さんには英語バージョンを見てほしい。
 今回の白熱教室のテーマは別として、サンデル教授のキーワードは「バイナリー(binary)」。今では高校生でも知っている単語で、「二進法的」の意味の形容詞である。ただ、ケンブリッジの辞書を引くと、もう一つの意味があり、「ものごとを単純に二つに分けて考えること」を示す形容詞とある。サンデル教授はバイナリー的なものの見方の問題点を指摘していた。
 同じように、研究結果の評価も0か1か、あるいは、イエスかノーかというバイナリー、二元的なものではない。真実は0から1の間の無限の連続のどこかに存在している。大失敗と言っても0ではないし、逆に大成功も決して1ではない。
 残念なことに、今私たちの社会は、いろいろなことをバイナリーで評価する傾向を強めている。0と1で様々な多様性を乱暴に両端に区切ってしまう考え方が強まっている。あるいは、0と1の両端であることが予定調和として認められ、その両端の中間にいることに対する寛容性が失われつつある。
 H3ロケットの打ち上げは、「失敗」と誹りを受けるであろうが、前述したとおり研究開発の成果は多くの場合、0と1の間に、無限の可能性のどこかに位置する。
 さらに言えば、科学研究の成果は、0と1の直線上に並んだ二次元的なものですらなく、もう一つ、社会的なインパクトを入れた3次元的なもの、あるいは、時間という次元を入れた4次元的なものだ。

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 私たちの臨床研究の悲しい通夜も終え、四十九日の少し前のある日のことである。もう一度、全員で冷静に振り返りが行われた。その結果、対象となる患者群について検証し直せば、良い結果が出る高い可能性が示唆された。お金もかかる、時間もかかる。しかし、光は消えていないこと。そして、その光は決して弱い光ではないことが確認された。
 「よし、もう一度行くぞ! 研究者の底力を甘く見るんじゃないぞ! 」と熱い研究者魂が蘇った。

 今回、H3の関係者は、どれほど打ちひしがれたことだろうか。物的損失や予算の損失は膨大なものであるし、何より日本の科学技術の威信に大きな傷をつけたという容赦ない世間からの批判を真正面に受けているに違いない。同情に余りあるが、是非とも捲土重来を期してほしい。
 H3の関係者の皆さんには、はるかに強い光が先に見えているはずだ。近い将来、種子島の青い空に、H3のメインエンジンの力強い推進力で、日本の新型ロケットが光を放って飛翔するに違いない。
 光は北から! そして、光は南から!

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 さて、令和4年度もいよいよ残すところ僅かとなりました。卒業式や入学式が近づいており、春も目の前です。
 このコラム、おかげ様で実に2年余りの期間、掲載を続けることができました。長くこのコラムを愛読していただいた皆様に、心からの感謝を申しあげます。出来不出来があり、あるいは筆力不足もあり、皆様にご迷惑や不快な思いをおかけしたこともあろうかと思います。この場を借りて、深くお詫び申し上げます。
 スタート当初は、大学が抱える様々な課題について、より多くの皆様にわかりやすくご理解いただければと考え、拙い表現者ではありましたが、2年を一応の目途として、月2回執筆という難行苦行を果たしてまいりました。年度末の区切りの良い時期でもあり、今回をもって、いったん終了とさせていただきます。名残り惜しゅうございますが、この北光一閃は、そのミッションを果たしたと考えております。ひょっとして、毎回楽しみにしておられた方には、残念なお知らせかもしれませんが、そう思っていただけければ、筆者冥利に尽きます。また、私に筆力が残っていて適切な時期が来ましたら、総長コラムシーズンⅡをご披露できる日もあるのではないかと思っております。
 今後は、北大のグローバル化を目指す立場から、英文による発信を強化し、世界のアカデミア・研究者・留学生に向けてのメッセージ発信を考えております。ただ、私の英作文能力を考えますと、前途多難でございます。
 今後の具体的な日程は未定でございますが、英語の新シリーズをお読みになる際には、是非、自動翻訳アプリではなく、ご自身の英語力で挑戦していただければ幸いです。世界から北大が卓越した大学だと感じていただけるような、北大の広報の取組にご期待ください。

 改めまして、長い間のご愛読、本当にありがとうございました。今後も北海道大学、あるいは、大学・高等教育への深いご理解とご支援をお願い申し上げます。