平成5年11月から平成7年3月の1年4ヶ月間、第35次南極地域観測隊に参加し、気水圏隊員の一人として南極氷床の研究にたずさわることができました。この際に経験した野外研究の醍醐味と危険、自然の底知れない不思議についてお話しいたします。
●頑張りすぎるとロクなことはナシ
我々、35次気水圏隊員に与えられた最大の任務は、昭和基地から1000km内陸に位置する標高3810mの地点に氷床コア掘削のためのドームふじ観測拠点を建設することでした。平均気温マイナス60℃、夏の最高気温でもマイナス30℃程度にしか上がらない極寒の地で、4ヶ月にわたって建設作業を行いました。これはこれで良い経験だったのですが、我々は研究者として禄を食んでいるわけですから、研究をしないわけにはいきません。結局、昼は建築作業、夜に研究のための野外調査となるわけです。南極では夏は陽が沈みませんので、夜でも作業は可能です。黙々と雪を掘り、断面の構造を観察しました。寝る間を惜しんで作業をするわけですが、さすがに身体は正直で、疲れと共に野帳に記す情報もだんだん正確さを欠くようになってきます。現地では気づかなかったのですが帰国後、ノートを整理すると、頑張った日ほど使えない情報が多いことに気づきました。
教訓1:無理してデータを取っても使えない。
また、ある時、こういうことがありました。採取した貴重な雪氷コアが大嵐で雪に埋まってしまいました。寒さと手の冷たさを我慢して、5人で必死になって掘ったのですが、降り続く雪でどんどん埋められてしまい、掘っても掘ってもキリがありません。それでも失うのが怖くて、堀り続けていると、最初は冷たかった手も次第に感覚がなくなり、痛みもなくなってきました。2時間ほどの作業でようやくサンプルを回収し、雪上車にもどって手袋をぬぐと、手の指が白蝋色に変わっており、テーブルをたたくとコツコツと固体のぶつかる音がしました。しまった!と思いましたが、時すでに遅し、カチンカチンに凍った指は感覚もなければ痛みもありません。結局、昭和基地に戻って医師の手当を受け、血管拡張剤を飲み続けた結果、激痛とともに血が通いはじめ、ようやく1ヶ月ほどして指はもとの状態に戻りました。
教訓2:無理して掘ると指を失う。
●それでも頑張りつづけると見えてくるもの
誰にも聞いたことがない自然現象を経験したのも南極でした。足下に3000mの厚さの雪と氷が横たわるドームふじ観測拠点に近づいた時のことです。雪上車から用を足しに外に出て数歩歩いた時、突然、大音響と共に地面が沈みました。クレバスか!と思い、急いで近くの橇にしがみつきましたが付近を見回しても割れ目が見あたりません。こんなことが何回も繰り返されましたが、結局、その原因は後の雪の観察によって明らかになりました。南極の内陸では夏にはマイナス20℃程度まで雪温が上昇しますが、冬にはマイナス80℃近くまで温度が下がります。このような激しい温度差は、降り積もった雪を昇華させ、水蒸気が積雪中を移動して凝結します。その結果、積雪中にはスカスカの層と、密度が高く硬い層が交互に現れることになります。スカスカの層は空間的に広がっているため、雪の上を人間が歩くというほんの少しの衝撃で、この層が潰れ、大音響と共に地面が数センチ沈むのです。とっても人騒がせな現象ですが、積雪中の水蒸気の移動は、積雪中の過去の記録を乱してしまうため、雪氷コアの研究にとって、今もっともホットな話題となっています。
我々の先達、中谷宇吉郎先生も「新しい所にいけば新しい現象に出会う」とおっしゃったそうです。無理をせず、未知なる自然に向き合う謙虚な研究者でありたいと願っています。