特集:北大は氷雪を科学する(7118 byte)

オホーツク
- 激しく流動する海 -


若土正曉(10578 byte)

北大低温科学研究所
若土 正曉の仕事




 生けるものの思惑をこえて、壮大に波と風と光が交わるオホーツク海。しかし、青い光に満ちて南下する海氷も、魚が鳥が海獣が躍動する大海原も、その表層でしかない。オホーツク海はその深層から激しく流動し、地球全体に影響を及ぼしている。その謎とされてきた海の全貌を、日本、ロシア、アメリカの科学者たちが、1997年から5年間にわたるプロジェクトで探った。その中心となったのが、北海道大学低温科学研究所である。


国際プロジェクト

 プロジェクトのテーマは、「オホーツク海氷の実態と気候システムにおける役割の解明」。観測されることが少なかったオホーツク海の実態を把握し、その大気―海洋―海氷システムをトータルに解明するのが目的だった。それまでは、冷戦という政治的な状況から観測調査ができず、オホーツク海は謎に包まれていた。なぜ低緯度で海氷が形成・発達できるのかなど、基本的な問題さえ未解決だったのである。
 このプロジェクトでは、ロシア観測船を用いたオホーツク海ほぼ全域の海洋観測、ロシア航空機を用いた冬季の大気海氷観測、砕氷パトロール船「そうや」を用いた海氷域観測などの現場観測が初めて行われた。また、研究対象が広範囲にわたることから、海洋物理学、大気物理学、雪氷学、地球化学、生態学、古海洋学など、多くの分野からなる研究者組織が構成された。国内からは北海道大学を中心とする関係機関、アメリカからワシントン大学海洋学部、スクリップス海洋研究所、ロシアから極東水文気象研究所、太平洋海洋研究所、大気観測局などの研究者、技術者たちが参加した。
 このプロジェクトにより、オホーツク海における海氷の消長・変動のメカニズム、海洋循環、オホーツク海を世界有数の高生物生産域にしている物質循環システム、北太平洋中層水の起源水の生成機構、季節海氷域での大気―海洋相互作用、古海洋復元など、多くの問題を一気に明らかにすることができた。ここでは、〈海氷〉、〈海洋〉、〈大気〉の三つの大きな分野のうち、〈海洋〉とくに北太平洋中層水の起源となる水の生成と流動を中心に、今回のプロジェクトが明らかにしたものを報告したい。


北太平洋中層水
その起源水の生成と流動のプロセスを追う

北半球冬季海氷域と北太平洋中層水域(15760 byte)

●北半球冬季海氷域(青)と北太平洋中層水域(緑)

 北太平洋には、深さ300〜800mに「北太平洋中層水」という巨大な海水の層があり、北はアラスカ、南はフィリピン沿岸にまで広がっている。その特徴は、塩分濃度が低く、低温で、酸素をたっぷり含むことである。この北太平洋中層水が、どこでどのようにして生まれるのかは、いままで謎とされてきた。その起源がオホーツク海にあることは、海洋学者の間で予測されていたが、オホーツク海のどこで、どのようにして、どれだけの量が生成し、そのうち毎年どのくらいの量が北太平洋に流出しているのかといった、多くの疑問には答えられないでいたのである。今回のプロジェクトは、それらの疑問に対し、観測データを基本にできるだけ定量的に答えてゆくことを試みた。
 私たちは、北太平洋中層水のオホーツク海における全体像を得るために、以下のような三つの重要なポイントとなる観測を実施した。

  1. 北太平洋中層水の一番の起源といわれている、冬季の北西部大陸棚の沿岸ポリニアにおける、海氷形成にともなって生成する高密度水の量的評価。
  2. その高密度水が、まわりの水とどのような混合過程を経ながら、北太平洋への出口であるブッソル海峡まで運ばれるのか。これを理解するためのオホーツク海における海洋循環の実態、とくに西岸境界流である「東樺太海流」の定量的把握。周囲の水との混合過程など。
  3. ブッソル海峡における北太平洋中層水起源水の流出量評価。
日ロ米研究者によるクロモフ号船上作(14753 byte)
●日ロ米研究者によるクロモフ号船上作業
 海洋観測に関しては、オホーツク海のほとんどがロシア領海であるため、ロシアの観測船「クロモフ号」を用いて、いままで侵入することさえ不可能だった北西部大陸棚域をも含めたほぼ全域の海洋観測を、1998年から毎年一回、季節を変えて実施した。また、2001年には、ブッソル海峡における本プロジェクトで得られた観測データが不十分だったことから、そこでの海流再測を試み、オホーツク海〜北太平洋間における信頼性の高い海水交換量を評価することに成功した。これらクロモフ航海における観測項目は、通常のCTD/採水観測のほか、流速計、水温計、塩分計やセジメントトラップ(沈降物採集器)からなる係留系観測やブイによる海流観測などにも力を入れた。これらの観測結果から明らかになったのが、以下に述べる北太平洋中層水生成に向けての一連のプロセスである。


沿岸ポリニア
海氷生産工場は高密度水生成域でもあった

明らかになったオホーツク海循環(26442 byte) space.gif(43 byte)
●明らかになったオホーツク海循環像

 オホーツク海北西部シベリア沿岸は、冬季に大陸から氷点下40度の季節風が大陸から吹き寄せるので、アムール河からの淡水を含んだ海面はあっという間に凍る。しかし、この風は風速30mから40mにも及ぶので、海氷はすぐに沖に流されてしまう。そして、顔を出した海面がまた瞬時に海氷となり、沖へ流されるというように、そこでは非常に効率のよい海氷生産が行われている。私たちの研究から、オホーツク海全域に広がる海氷のほとんどがここで生産されていることがわかった。そこで、この海氷生産工場ともいうべき場所を、「沿岸ポリニア」と名づけた。
 沿岸ポリニアでは、海はつねに大気に接しており、大気に冷やされた海水が重くなって沈むため対流を起こし、海中に酸素を取り込むことになる。また、海氷は純水だけが凍ったものなので、高塩分水が海洋中に排出される。この高塩分水を「ブライン」と呼ぶ。ブラインは高密度水なので、激しい対流を繰り返しつつ、海底にまで沈降していく。
 オホーツク海の激しい流動は、沿岸ポリニアに始まるといっていい。海氷を生産する沿岸ポリニアは、高密度水生成域でもあり、この高密度水こそ北太平洋中層水の起源であることを、やがて私たちは突きとめることになる。


東樺太海流
幻の大海流がサハリン東岸沖に見えた

 沿岸ポリニアで生成された高密度水は、複雑な海洋過程を伴いつつ大陸棚を流出し、中層水としてオホーツク海の南側に輸送され、やがては千島海峡最大・最深のブッソル海峡から北太平洋に流出してゆくことが、アルゴスブイや流速計係留観測から明らかになった。
 この海洋循環像を明らかにする過程で分かったのが、東樺太海流の存在である。あれだけの流氷が北から北海道沖まで運ばれてくるのだから、サハリン東岸沖にはきっと海流が存在するにちがいないと、昔から信じられてきた。しかし、観測が無いのでその実態は分からず、「幻の大海流」と呼ばれてきた。
 東樺太海流は二つのコアから形成されており、沖側の主要部分は、北緯49度あたりで東にその向きを転じ、低気圧性循環を形成する。一方、沿岸近くを南向きに流れるコアは、秋から冬にかけて発達し、北海道沖まで達することが分かった。海流の流量は、サハリン沖東側の北緯53度付近で、一秒間で700mにも達する。海流の幅は約150kmで最大1500mの深さまで及ぶ。日本海を北上して津軽、宗谷の両海峡まで到達する対馬暖流流量の三倍以上の大海流であることが分かった。


ブッソル海峡
オホーツク海は心臓の役割を果たしている

 高密度水は、北西部大陸棚域から基本的には等密度面に沿ってサハリン東岸沖を南下し、千島海盆にいくつも存在する高気圧性渦の影響を受けつつ、北太平洋への出口へ向かう。この出口に当たるのが、千島列島間でもっとも深いブッソル海峡である。
 この海峡で、オホーツク海の海水が北太平洋へ流出し、逆に北太平洋の海水がその北側にある二番目に深いクルゼンシュタイン海峡からオホーツク海に流入する。流出量と流入量はほぼ同じであるので、ここで二つの海が海水交換を行なっているといっていい。すなわち、北の方から高温・高塩・貧酸素の北太平洋水が流入して、北西部沿岸ポリニアを中心にオホーツク海で冷却・淡水化される。そして、ここで多量の酸素を吸入して新鮮になった水が、南のブッソル海峡からふたたび北太平洋に戻る。これを見ると、さながらオホーツク海が心臓の役割を果たして、新鮮な血液ならぬ海流を北太平洋へ送り出しているようだ。
 沿岸ポリニアでの対流によって取り込まれるのは、酸素だけではない。地球温暖化の一因とされる大気中の余剰な二酸化炭素もオホーツク海で取り込まれ、巨大な中層水に一時的に蓄えられる。海氷を誕生させるこの場は、同時に酸素や二酸化炭素を海中へと送り込み、穏やかな地球環境を支える重要な場ともなっていたのだ。


環オホーツク観測研究センター

 このオホーツク海プロジェクトで得られた成果は、2004年4月に開設された「附属環オホーツク観測研究センター」で受け継がれ、さらに発展させてゆくことが期待されている。この研究センターは、オホーツク海を中心に周辺陸域、北太平洋、北極圏のいわゆる環オホーツク地域の地球環境における役割を解明するための、国際研究拠点をめざすものである。




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