私が南極観測に参加したのは、第41次日本南極地域観測隊(1999年11月〜2001年3月)で、北大の事務職として第一号の参加でした。
職務は主に報告事項の取りまとめと、物資の搬入や除雪で使用するブルドーザ、パワーショベル、クレーンなどのオペレーターです。
昭和基地の生活は、想像していたのとは違い、意外と快適で、基地内の温度は発電エンジンの余熱を利用し、常に20℃前後に保たれ、部屋は個室、共同トイレは洗浄機つきの水洗です。その他は、ホームシアター、バー、ビリヤード台などもあり、食事はプロのシェフの手により、大変美味しく、殆どの隊員が太ってしまうほどでした。
昭和基地から片道約600kmの「中継地点」までの内陸旅行では、雪上車を氷点下50℃、風速20数メートルの中で、凍傷になりながら整備したことや、中継拠点で氷点下59・2℃を記録し、目標の60℃にわずかに達せず、残念だったことを思い出します。
南極には、太陽が沈むことなく一日中見えている時期と、太陽が水平線から出てこなくなる時期(5月末〜7月上旬)があります。一日のうちわずか1時間ほどが薄暗くなるだけで、あとは真っ暗な日が続きますと、何となく精神が不安定になってきます。そんな時、夜空を彩るオーロラや星空に心癒されたものです。
今、振り返ってみると、昭和基地の生活がいかに快適だったとはいえ、氷に閉ざされた極寒の地に隔離された中で、大きなトラブルもなく、職務を遂行できたことは何よりの事です。その厳しい環境の中で貴重なデータを蓄積している南極観測事業に参加し、類い稀なる体験ができたことを誇りに思います。是非、今後とも途切れることなくこの観測事業が続いていくことを、心から願うものです。