文系部局

○ 演習 法学研究科・教授・藤原 正則

1.最初に余計なことを書かせていただきます。このような形での授業評価の利用については,私は個人的には賛成できません。授業評価は教員各人が,自分で参考にすべきものと信じます。かつ,学生さんの授業評価は「多少とも,そのとおり」であり,大体は自分でわかっていることが多いと考えます。さらに,例えば,300人の学生さんが受講可能性のある授業で,わがままな授業をやり30人を残すと(「お宅」のファンばかりで)評価は高くなります。反対に,全員が出席するよう授業運営すると,必ず評価は下がります(その意味で,授業評価に逆上する先生方の気分は,私には若干理解しかねる部分があります)。

2.学生さんに小職の授業を評価していただくのは,名誉で喜ばしいことです。しかし,このゼミは,1年生のときからボランティア授業で,小職と何人かの教員が司法試験対策をやり,答案練習を小職と過去に小職が教育した司法試験合格者で実施し,その参加者の中から選抜した学生で構成されていました。したがって,この授業評価は以上の企画(過去約10年間の司法試験対策,ちなみに,10年位前は,北大は司法試験の合格者が2人ということもありました(そのうち1人は経済学部卒業生))の結果と考えます。ただし,以上の企画・教育方法に対しては,法学部の中でも大学教育を歪めるという強い批判があります(その批判には,全面的には承伏しかねますが,理由のないことではないと考えております)。小職も何度も個人的に非難されております。さらに,法科大学院の開設で,ボランティア授業を継続するのは不可能であり,要するに,この授業評価は,良かったのか悪かったのかは不明で,かつ,継続不可能な試みの結果と思っております。

3.授業の形式は,答案練習です。2問の問題に報告が2名,参加者全員が予め質問書を用意して討論するという至って単純なものです。ただし,全員が毎週答案を1通提出,小職が添削し,提出された答案の欠陥に応じた解説を付し,次週に返却しました。要するにそれだけで,極めて平凡なものです。しかし,先述のメンバー構成ゆえに,意欲は高く,参加者から,旧司法試験に3年時に1名,4年時に3名が合格しました。その1人は論文試験が全国1位,他も成績上位でした(法学部の主席と2位は,その中の2人です)。正直言って,この成果には,東大・京大でもそうはいかないだろうと,一応は満足しております。もっとも,小職の希望的観測では,更に2名(合計6名)が合格予定でした。ところが,1人は法科大学院進学ですが,もう1人は司法試験の受験自体をやめてしまいました(もっとも,それが本人にとって良いか悪いかは別問題です)。これを見ても,勉強するのは学生で,教員はスポーツコーチほどの威力もないことがはっきり分かります。

4.私は学生さんに具体的な目標,しかも,「遠い目標」と「近い目標」の二つを持てるよう教員が協力すべきだと考えます。多くの学生にとって,この目標は職業選択であり,学問に対する抽象的な情熱を持つよう期待するのは不可能だと考えます(かつ,法学部にとって一番効く薬は司法試験の受験勉強だと考えております)。小職自身も論文を書く目的なしに,真剣に研究できる自信はありません。さらに,研究と教育は一応は区別すべきだと考えて授業運営してきました。もちろん,研究の裏づけがあって始めて十分な授業もできる。しかし,自分の「現在進行形の研究」を授業に持ち込むのは無理で,若干傲慢ですが,学生相手の授業ですぐに分かるようなことは,自分は研究していないつもりです。若干でも参考,又は,(一定の方針を採用すれば,必ず反面の問題は出てきますから),批判の対象となりそうなことは以上であります。


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