オピニオン Opinion
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思い出し笑い

 涙は、堪えることも可能だと思うし、目にゴミが入ったという「武士の情」でごまかすこともできる。ただ、「笑い」を堪えることは、僕にはかなり難しい。「笑い我慢力」という点では、余人は知らず、僕は恐ろしく低い能力しかないのではないかと思う。

 休日の夕刻、時々こちらに視線を投げてくれるクラーク先生の肖像画に見守られながら*1、面倒な書類や陳情に頭を抱え込んでいると、何やら、その必死な姿を外から見ている自分が現れ、ニヤニヤしている。

 これまでの人生でも、大事なところでこの「笑い」を抑えられないがために、何度か、取り返しのつかない失態を冒してきた。

 最初の悲劇は中学生の頃のことである。僕の通っていた中学校は、進学校とはとても言えない「荒れた」公立中学校で、僕は生意気な優等生と見られていた?らしい。
 ある日、数学の授業で、先生が明らかな間違いをして、それに気が付いて、さらに先生が間違えを繰り返した際、全く、悪意なく、「クスッ・・」と小さな笑い声を漏らしてしまった。
 その瞬間、教師の鋭利な視線が突き刺さってきた。今振り返っても人生で最大音量の罵声を浴びせられ、教室からの退去を命令された。これは、今でも鮮明に思い出すことがあるが、先生も僕も悪くはない。僕の「笑い」が悪いのである。

 もう一つは、総長などという大役を引き受ける遥か、遥か、遥か昔、30代の頃の話である。
 東京行きの飛行機に乗る直前に、新千歳空港の書店で、「クレヨンしんちゃん」シリーズの一冊を買ってしまった。この頃「クレヨンしんちゃん」に嵌っており、我が家の本棚にはシリーズが並んでいた。
 フライトが盛岡上空あたりで、浅い眠りから目覚めて、「しんちゃん」を読み始めてしまった。最初は笑いを押し殺すことができた。しかし、仙台上空あたりでは、笑いを堪えるに必要な腹筋の力にも限界が来た。ついに、あろうことか、「ぐふ、ぐふ」と苦悶の声に近いうめき声を発するようになった。
 まずいと思い、咄嗟に「しんちゃん」を閉じて、目を瞑った。もう、この本は、東京に着くまで読んではいけないと自分に言い聞かせる。
 しかし、人間には、「思い出し笑い」という恐ろしい能力がある。「思い出し笑い」は、最初の衝撃の二倍の強度となって人間を襲う。さらに気色悪いことに、周囲には、これが理由なき笑いになるのだから、不気味極まりない。
 その「思い出し笑い」を堪えて「ぐふ、ぐふ」をやっていると、異常を察知した、キャビンアテンダントがやってきた。
 「お客様、どこかお加減でもお悪いのでしょうか」「いや、ちょっと・・・だ、大丈夫です」と言って、咄嗟に、気分の悪い時に使用する紙袋に顔を埋めて、「ぐふっ、ぐふっ、だ、大丈夫です」
 あのキャビンアテンダントさんはどう思ったのか、考えると恐ろしい話である。

思い出し笑い

 いちいち書くのも憚れるが、その後も抑えられない「笑い」のために、大変な失態を冒してきた。特に深刻なのは、「おかしい場面」の「笑い」ではなく、で衝動的に起こることである。

 大学のボート部で〝青春〟していた頃、東北の石巻のレースでの出来事である。当時、僕は、あろうことか、ボート部の主将であった。死物狂いでゴールしたにも関わらず、順位は予選を超えることができなかった。ボート競技のゴールは、やった者でなければ分からないが、完全な燃え尽き症候群状態である。息も絶え絶えのクルーと自分を見て、なぜか「笑い」が抑えられなくなった。当然ながら、いわば青春を賭してきたメンバーからは、「ホーキン主将、あり得ない!!」という大ブーイングを浴びることになった。これには返す言葉もなく、土下座するしかなかった。
 ただ、必死になればなるほど、その姿は滑稽に見えてしまうのは、僕の中に何か捻くれたものが潜んでいるからに相違ない。
 あの時のクルーには、この場を借りて、再度、伏してお詫びする。

 正直、国立大学法人の社会的責任の大きさ、それに関わる教職員のことを真剣に考えると、額に皺を寄せて、頭を抱え込む毎日である。眠れない夜もある。そんな時、そんな自分をどこかで「クスクス」笑っている自分がいる。本当にけしからん話である。
 この規模の大学が本来の使命を果たしながら、しかも、成長してゆくのは、半端な仕事ではない。僕のレベルで、大学の使命や成長を語るには、百年早い。苦労も能力もまだまだ駆け出しである。
 とは言え、生来のこの「笑い我慢力」の低さは如何ともしがたく、その自分の生真面目さに対してさえ笑いが出てしまう。最近は、少し経験値が高まり、何とか、その場違いな「笑い」を抑えることができるようになり、人間観察力が抜群な人でない限り気付かれないようになってきた。

 春が訪れ、日が長くなってきた。明るさが残っている夕暮れの仕事帰りの道すがら、思わず緊張感が緩んで「笑い」を堪えている総長を構内で見かけても、不審に思わないでほしい。

 いよいよ、新入生登場である。額に皺を寄せて、眦を上げてばかりでは新入生にも好かれないに決まっている。「比類なき大学」には、「比類なき総長」が必要などと意気込むと、また、クスクスと笑いが・・・。