オピニオン Opinion
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祝1周年 総長コラム
「死ぬかと思った 大学人編パート2」

 この総長コラムの読者の皆さんの中には、ホーキンが、思いのまま好き放題の文章を書いていると想像されている方もいらっしゃるのではないだろうか。中には、そのうちホーキンが地雷を踏んで、大炎上するに違いないと期待を膨らませながらご覧になっている性格の悪いファンもいるかと邪推している(最近、つくづく性格がねじ曲がってしまった)。

 残念ながら、その想像も邪推も、「ブー!!」である。
 ホーキンの周りには、支援してくれる応援団チーム、正確に言えば、厳しく「チェック」している有能な頭脳集団が存在する。大学ガバナンスの観点からは、総長との間にはある種の緊張関係は必要であり、こうした広報活動でもそれは同様である。本学には、総長が思いつきで、荒唐無稽な文章を世間にまき散らすことができないようにしっかりしたガバナンスがある。

 チームは、この世間知らずの総長のコラムが炎上しないように細心の注意を払っている。最近のご時世では、軽率な一言や不注意なSNSの一行で、「一発アウト!!」になる事件が頻発している。チームがピリピリするのも当然である。
 実際には、筆者の意図を尊重してくれるので、さすがに繊細な文章のタッチまでは、あれこれ言わない。しかし、しばしば「ダメ出し」が入る。このチーム、K先生やY先生などの識者、挙句は文学の専門家までが校閲している。この総長コラムは、大学人の知の総合力の結晶であり、筆者は「総長」ではなく、正確には「チーム・総長コラム」と言って間違いない。
 もちろん、毎回の「カワイイ総長アバター」イラストも、この広報チームのSさんの手作業である。加えて、時代考証さながら、大学の生き字引とも言えるI室長が、総長の大学の歴史や仕組みに関する知識不足による誤った記載をやんわりと指摘してくれる。

 例を挙げればキリがないが、例えば、No.20の「宴会ネタ」*1では、かなり際どい話題が潜んでいる。「総長、これ、ダメです」と言われることを半ば覚悟しながら、返信されてきた校正の原稿を恐る恐る見た。
 何と、訂正なし! つくづく、慣れとは恐ろしいものである。人間は、グループを作っていても、徐々に「免疫寛容」が起こるのかもしれない。おそらく、この「オンライン宴会」が総長コラム第一回目であれば、間違いなく「ボツ」になっていたはずである。

 総長コラムのような自身の発信について言えば、ツイッターもフェイスブックもアカウントは持っているが、10年近く利用したことはない。別に、反米主義者で、この米国製のコミュニケーション・ツールに対して、幼稚な敵愾心を持っているわけではない。
 SNSやメディアが苦手となったのは、「死ぬかと思った大学人編 パート2」事件が引き金になっている。事件は以下のようなものである。

 脳外科の教授だった頃、ある日、秘書が青ざめた表情をして、教授室に駆け込んできた。秘書室から教授室まで、わずか10歩くらいの距離であるが、「はあ、はあ・・」と息が上がっている。
 「先生~~~!、週刊文春の記者を名乗る女性から電話です!」

 「週刊文春」・・・・。
 言うまでもなく、悪徳政治家、当代一の芸能人、人気絶頂のスポーツ選手、そして、果ては田舎の代議士、地方大学の大学教授まで、奈落の底に突き落としてきた日本の4つ目の権力である。
 「文春!!」と聞いた瞬間、物心ついてからのかれこれ60年余りの人生を振り返り、数多の悪事が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。自分を完全無欠の人間などとは思っていないが、世間の極悪人に比べれば、かなり聖人君子寄りの善人と自負している。
 とは言え、人間、一つや二つ、脛に傷を持っているものである。高校生・大学生の頃の到底口に出せない悪行の数々が瞬時に浮かんだ。若気の至りではすまされないものもある。更には、脳外科医として、いつ証拠保全の請求が来てもおかしくないリスクの高い手術も10件くらい思いついた。研究論文の中には、データの解釈の点で、多少強引な結論ではないかというご批判があるものも承知している。
 それらは、全部まとめて、トランクに入れて墓場まで持っていくつもりであった。しかし、「お天道様は見逃さない」と言うではないか。

 心拍数が200くらいになると、本当に座っていても息が上がるものだと初めて経験した。「はあ、はあ」言いながら、秘書に促されて受話器を取ると、確かに若い女性の声が聞こえる。
 「科学記事を担当している週刊文春の○○ですが、ホーキン先生でしょうか」
 科学記者か・・・。瞬間的に、女性記者の狙いは「研究不正」・・・に絞られた。
 「は、はい、ホーキンです。あのーー、ご用件は?」
 この時点では、すでに過呼吸のために意識朦朧となっている。
 ほんのわずかの沈黙があったが、それは人生でもっとも長い沈黙と感じた。

 「先生が研究されている脳梗塞の細胞治療について、ネットで発表されているので、詳細を伺い、できれば患者さんのために、記事にしたいと思いまして・・・」
 脈拍数が一気に60くらいに低下して、一瞬、気を失いそうになった。おそらく、血圧も急降下したに違いない。
 「言ってよね!!前もって、脳梗塞の治療で話を伺いたいと一報入れてよね!」と文春の女性記者に心の中で罵声を浴びせた。その後は、どんな会話を交わしたか全く覚えていない。
 余談であるが、この記事は、文春に掲載されることはなく、未だに、あの電話の主が本当に「文春」の記者であったのかも疑わしい。
 いずれにしても、事程左様に、幸い、この「文春事件」は平穏に終わった。
 死ぬかと思った。

 この事件の前まで、自分でも時々、SNSで自身の研究やコメントを発表していた。あるいは、地元のメディアの取材も進んで受けるイケイケの教授であった。しかし、この日を境に、SNSを含め露出に対して、すっかり臆病になった。「文春」と聞いただけで怖気付くような「へたれ」であったとしか言いようがない。

 その「へたれ」が、総長就任から2月後、今からちょうど1年前に、総長コラム執筆などという蛮勇を奮い起こした。これは言うまでもなく、総長コラムチームのおかげである。
 このチーム、ゴルフで言えば、名キャディ集団である。実力をわきまえない素人ゴルファーの誇大妄想を静かに嗜め、何も言わず、冷静にグリーンを狙わず手前の池の前にレイアップショットを打つように、ピッチングウェッジを手渡ししてくれる。
 マスターズでも通用するような名キャディに恵まれ、SNSの恩恵を受け、総長コラムなどという贅沢な発信媒体をもらった人間が、少し文章の修正をされたくらいで、文句など言っていいはずがない。
 とにかく、無事、炎上もせずに、OBも連発せずに、総長コラム1周年を迎えた。応援してくれた読者の皆様とチーム・総長コラムに感謝。幸いこの一年、「文春」さんも「新潮」さんも、「フライデー」さんからも電話はない。