オピニオン Opinion
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四谷怪談 異聞

 真夏の蒸し暑い夜。お中元代わりに愛の納涼譚を。

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 夕方のWeb会議の開始直後、画面に映っている自分の顔を見て、「おやっ・・・?」と思った。
 見た目6割のWeb会議である*1。他人はいまさらホーキンの顔などに何の興味もないに違いないが、本人は、ビジュアルをかなり気にかけている。白状すると、Web会議中に視線を向けているのは、発言者2割、自分の様子8割といった比率である。これ、自己中などと思わないでください。寝不足の髪の毛が爆発していないかとか、あるいは、万が一にも寝落ち寸前の呆けた顔を見せたくないという見栄と矜持である。
 そんな訳で、この日もオンライン画面のひな壇に並んだ自分の顔を見たところ、左目の瞼が赤く腫れあがっているではないか! 他人がどれほど僕の顔など見ていないかを思い知らされた。それは、もうその日の夕方近くである。朝から何人もの人と会っているし、秘書室の中を何度もうろついていたはずである。しかし、誰一人として、この時間になるまで、ホーキンの顔の一目瞭然の異変を指摘していないのである。要するに、誰もホーキンの顔など少しも気にしていないか、眼中にないのだ。「フン!!」とイジケた。
 オンライン画面に映っている四谷怪談の「お岩さん」一歩手前のわが顔を見て、小心者の体から血の気が引いた。慌てて、じっくりと鏡を恐る恐る見た。お岩さんほどの痛々しい怨念を孕んだ腫れではないが、左目の内側の瞼が、赤く不気味に腫れあがっている。
 Web会議をそこそこに退出して、自己診断を開始した。家族は、僕の自己診断が誤診の百貨店と言ってもいいほどの外れまくりで、自らの藪医者ぶりを証明してきたことを知っている。とはいえ、僕は、今は亡き橋本龍太郎厚生大臣の名前で発行された立派な「医師免許証」を持っている医師の端くれである。
 生半可な医学の知識は人を不安に陥れるだけである。鏡の中のプチお岩さんを見て、素人さんには思いもつかない病名が10個くらい、瞬時に頭に浮かんだ。
 まず、①悪性リンパ腫を先頭に、②帯状疱疹の重症型、③皮下膿瘍、④内頚動脈-海綿静脈洞瘻、④クインケ浮腫・・・などが頭の中をメリーゴーランドのように回りだして、めまいがした。特に、内頚動脈-海綿静脈洞瘻を思いつくあたりは、さすがに元脳外科医の片鱗が垣間見える。オタクな診断名だな! などと妙に納得した。「瘻」だの「膿瘍」だの、病気の名前は、難しい漢字が満載である。
 お岩さんを襲った病気は、三叉神経第一枝領域の帯状疱疹の重症型であったと考えている。片側の額、眼の周囲を中心とする三叉神経第一枝領域に発生する水泡を伴う痛々しい浮腫、そして、皮膚の脱落を伴う脱毛(櫛で梳くと、髪の毛がバサッと抜け落ちる症状)は、水疱形成の帯状疱疹の症状として少しも矛盾しない。現在では、特効薬・ゾビラックスがあり、ほぼ完治する。しかし、お岩さんの時代には、何かの祟りか怨念が顔面に現れたものと恐れられたに違いない。ゾビラックスがあれば、お岩さんをかくも不幸にはしなかったと悔やまれる。
 「これは、一刻の猶予もならない。」という病気恐怖症が一気に噴き出した。居ても立っても居られず、困った時だけ図々しくお願いしている、眼科の名医であるS先生に電話し、タクシーで駆け付け、診ていただいた。

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 「アレルギー性眼瞼炎ですね。」名医ともなると、検眼鏡で僕の眼を見るなり、一瞬で診断を言い放った。
 「最近、眼の周りに何か、塗っていませんか? まさか、お化粧なんかしてませんよね? 」と名医がクスクスと笑った。「アイシャドウとか化粧品のアレルギーが多いんですよぉ・・・」と畳みかける。
 いかに、「見た目6割」と公言していても、Web会議前に、ドーランを塗ったり、アイシャドウを入れたりはしていない。また、正直に白状するが、女装について言えば、もう25年近く前に、医局の忘年会で、「モーニング娘。」の石黒彩さんとマリリン・モンローの女装を、2年連続でしたきりである。
 思いつくのは、前日の日曜日のゴルフの前に、入念に塗り付けた日焼け止めクリームくらいである。少々ケチって、安いクリームに変えたところだった。それが原因らしい。敏感なホーキンのお肌には、高級な日焼け止めが必要なのだ。
 「先生、化粧はしていません。多分、日焼け止めクリームだと思います。」と真顔で反論した。
 名医のS先生、クスっと笑って、
 「いえいえ、別に言い訳しなくてもいいですよ。人にはいろいろありますから(!!!)」と言った(こちらは「えーーっ!! ちょっと待ってよ!!」と内心叫んだが、すぐに男性が化粧をしてもおかしくはない時代になったと思い直した)。
 「それでは、ホーキン先生、ステロイド軟こうを処方しますから、まず、これを試してください。」と一件落着となった。
 持つべき友は名医である。軟膏を塗った翌朝には腫れが軽減し、プチお岩さんが、プチプチお岩さんに軽快した。翌々日には、完全に治癒した。

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 やれやれと思っていた、数日後の朝のことである。唇の横に本物の水泡が出ているではないか。これは、帯状疱疹の親戚で、単純性ヘルペスという疾患である。長々しい医学的説明は省略するが、帯状疱疹ほど重症化しないが、唇の横が腫れて、水泡、痂疲化して、治癒するまで、2週間ほど憂鬱な気持ちで過ごすことになる。このウィルスは、体の中に潜んでいて、ストレスなどで免疫能が低下すると、もぞもぞと頭をもたげるウィルスである。
 子どもの頃から、ひ弱で、ヘタレであり、ちょっとストレスに晒されると、この体に潜んでいるウィルスが「おひさー!」と挨拶に来る。この僕の人生の伴侶である単純性ヘルペスウィルスを「ご自愛ウィルス」と勝手に名付けている。心身がへばっている時に、「ご自愛ください」と注意してくれるご親切ウィルスだと思っている。大学改革やら、日常的に試験を受けているような様々な評価やら、外部資金獲得のためのインタビューだの、ストレスがハンパない。病弱な総長に「そろそろ、ご自愛の上、少々休養を」とのサインを送ってくれる愛のウィルスである。
 四谷怪談では、伊右衛門殿の悪だくみの果てに、耐えがたい心労とストレスが重なったお岩さんは帯状疱疹に罹患したのかもしれない。ヘタレの総長をあまりイジメるとお岩さんになって祟りますので、くれぐれもご用心のほど。
 皆さん、酷暑の夏、ご自愛ください。

後書き
 コラム執筆に先だって、お岩さんのお墓がある巣鴨の妙光寺でのお祓いは叶わなかったが、近所のお寺で、お岩さんのご冥福を祈ったことを付記する。