オピニオン Opinion
スクロールしてご覧ください
スクロールしてご覧ください

旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る

 冒頭の句は、松尾芭蕉の辞世句である。さすがの芭蕉も、自分の死期を知るシックスセンスは持ち合わせてなかったらしい。この句を詠って数日後、希代のツイーターであり、バックパッカーであった芭蕉は、旅の途上、世を去った。
 旅に病むのは、芭蕉ならずとも、辛い経験である。

----------------------------------

 いつの頃からか、腎結石をもっている。長時間の立ち仕事をする脳神経外科医の勲章のようなものだと甘く見ていた。事実、石が腎臓に留まっているうちは、何の症状もない。しかし、結石の小さなかけらが、何かの拍子で尿管に落下して途中で留まるやいなや、耐え難い痛みをもたらす。
 世の中には、世界3大何チャラというのがある。愚作のシリーズで言えば「美食三昧」*1で、世界3大スメル食材の話をしたが、その系統の話である。さて、痛みで言えば、世界3大痛みの一つが、尿管結石による痛みである。七転八倒、悶絶の痛みである。「筆舌に尽くしがたい」と言う言葉は、この痛みの説明のためにある。ちなみに、諸説あるが、残りの2つの痛みは、痛風と出産という説がある。この説が正しいとすると、出産の産みの苦しみとは、途轍もないものだ。赤ちゃんを何人も産んだ女性は、この3大痛みを何度も経験していることになり、それは心底、驚くべきことだ。

 20年ほど前の話である。それは、新千歳空港発ソウル行きの機内、なにやら軽い腹部の違和感で始まった。大惨事の始まりは、いつも日常的な軽い違和感と相場が決まっている。最初は、機内食で供された辛い韓国食のせいと思っていた。それは、見た目も美しいプルコギだった。生来の口卑しさ故、コチュジャンのチューブを最後まで絞り出して、キムチをめいっぱいに混ぜ、一気にかき込んだ。そのせいで、ヘタレのお腹が軽い苦情を言っている程度、そのうち治まると高を括っていた。
 何とか、ソウル市内にある南大門近くのホテルに辿り着いた頃には、もう、居ても立ってもいられない鋭い痛みになっていた。ベッドに倒れこみ、お腹を抱えて、トイレに引き籠りとなった。籠城したトイレで、到底ここで詳細を述べるわけにはいかない方法により、お腹と胃を空にした。しかし、最早、痛みは耐え難い。
 こう見えて医者の端くれである。胆石による胆管の急性閉塞が真っ先に浮かんだ。あるいは、急性膵炎・・・いや、すい臓がんの初期症状が腹部の激痛であることも教科書に書いてあった記憶が蘇る。ドス黒い不安は、否応なしに悪い方に膨れ上がり、痛みを内部からさらに増悪させた。
 やがて、痛みは徐々に右の下腹部に限局してきた。その時点で、これはあの有名な「尿」ではないかと思い至った。それは、すぐに確信に変わった。常備していたロキソニンを限度量ギリギリまで服用したが、効き目などあろうはずもない。水分摂取が良いはずだと、冷蔵庫中のビールや飲料を一気に飲み干したが、急激なアルコール濃度上昇でさらに気分が悪くなった。
 脂汗、冷や汗、滴る汗、あらゆる種類の汗を流し、1時間あまりの悶絶の時間が経過した。「いよいよダメだ」と判断し、救急車を呼ぶためにホテルのフロントへの電話機に手をかけた。このままでは痛みでショック状態となり、芭蕉と同じように、異国の地で枯野を駆け巡る夢を見ながら、ホテルの部屋で不慮の客死を遂げるのは目に見えていた。
 電話の前に、最後の力を振り絞り、トイレのある浴室でスクワットとジャンプを繰り返した。何故か遠のく意識の中で、あのジャイアント馬場さんが若い頃、ヒンズースクワットで足腰を鍛えた逸話を思い出した。スクワットの姿勢から、「ジャンプ!」と振りぼるように声を上げて、思い切りジャンプして着地した瞬間、浴室の滑りやすいタイルの床に、したたかに尻餅をついた。文字通り、目から火花が飛んだ。その直後、急に尿意に見舞われた。
 「チャリーーーン!!・・・」と乾いた音を立てて、小さなモノが、便器のホーローに転がった。拾い上げてみれば、小さな宝石のような結石だった。痛みはウソのように消えた。

----------------------------------

 ソウルでの尿管結石事件は、こうして、ジャイアント馬場さんの教えにより、異国での救急車騒ぎを免れることができ、ハッピーエンドとなった。その拾った命の分、旅先に向かう飛行機の機内では、人助けもしてきた。「機内で病人が発生しました。どなたか、お医者様はいらっしゃいませんか?」という場面に何度も遭遇した。
 最初は、まだ30代の頃だった。クアラルンプールからの帰路、高度1万メートル上空の機内で、後部座席にいた修学旅行の女子高生一人が、癲癇を起こし、座席から崩れ倒れた。JKであろうがなかろうが、逡巡などあろうはずもなく、仮に100人の医者が機内にいたとしても、押しのけてでも診療にあたるべきと、後部座席へ駆け付けた。
 今となっては、家族からも全く医者とは思われない有様になってしまったが、当時は、ピカピカの救急医療の専門家であった。少し自慢させてもらえば、脳外科医の救急対応力は、医者の中でも随一である。
 幸い、心肺停止というような重篤な状態ではなく、抗けいれん薬の筋肉注射で対応でき、無事、関西国際空港までバイタルサインの測定を行い、空港内クリニックに引き継ぐことができた。降機の際には、CAさんが謝意を伝えに来た。
 「ありがとうございます。助かりました。」
 「とにかく、大事に至らず良かったですね」と言いながら、ポケットの中に手を入れ、名刺を探し始めている。
 「御礼をお伝えしたいので、よろしければ、お名刺をいただけますか?」
 「いえいえ、勘弁してください」と言いながら、ポケットの中の名刺をしっかり掴んだ。
 「そこまで仰るのであれば・・・。どうか、お心遣いなきようにお願いします」とすでに手にしていた名刺を渡した。我ながら、いかんともしがたい俗物である。

 それから、しばらく、我が家では、空前のハイテンションの日々が続いた。毎日、航空会社からの郵便物---それは、必ずや書留であるべき---が届くのを待ち続けた。
 そして、1週間後、ついにその日が来た。しかし、それは期待に反して、書留郵便ではなかった。ハワイ往復のペア航空券が入っているはずのやや厚い封筒を開くと、航空会社のロゴ入りボールペンが一本だけケースに入っていた。「まさかでしょうが?!」と思いながら、ケースの中を懸命に捜索したが、ハワイ往復航空券どころか、ホテルのお食事券すらも発見されなかった。

 善行薄謝、善き善き!

----------------------------------

 腎結石はその後も消えるはずはなく、今年の全身CT検査でも、立派な結石が腎臓に居座り続けていた。いつか機会を見て、ソウルでのリベンジを期し、ご主人様を悶絶の客死に至らせる念願成就の機会を覗っているに違いない。何時間もかけた海外への航空機での移動は、僕にとっていつも芭蕉の最後の旅だ。
 それでも、もうじっとはしていられない。世界の大学は、この空白の3年間に私たちのずっと先に行ってしまったに違いない。もうこれ以上、日本の大学が世界から離されるわけにはいかない。
 腎結石よ、どうか、大人しくしていておくれ。そのうち、アメリカに行く機会があれば、機内でシカゴに向かう米倉涼子さんにでも会えるかもしれないし、あるいは、マレーシアから帰りの便で、またまた、急病の女子高生を救えるかもしれないではないか。再び、日本の大学のために、世界行脚、芭蕉の旅に出るご主人様をしばらくは優しく見守ってほしい。