オピニオン Opinion
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外科医魂

 この職についてから、人生40年以上続けてきた外科医の生活から離れることになった。医科大学の学長であれば、監督兼選手として、医療現場にもそれなりに関わることもできるだろう。しかし、この規模の総合大学となると、そもそも、総長は、出身部局の色を打ち消す方向が求められるところがある。
 「ルーツ」を消して、公平に大学全体を大所高所から見るべきである、という無言の圧力が、総合大学にはあるように思う。「兎追いし、かの山」の故郷を捨てた裏切り者である。

 この数か月、「元」脳神経外科であることを表に出さず、隠れキリシタンさながらに生きてきた。とは言え、40年もの間、体にしみ込んだこの脳外科医としての刻印は、隠しようもなく、時々「お里が知れる」というか、本性が露見することがある。いや、正確に言えば、禁断症状が現れる。

 きっかけとなったのは、久しぶりにある病院を公務で訪問した際に、ちょっと手術室に立ち寄ったことである。更衣室で術衣に着替えるあたりから、何やらテンションが高まる。ほぼ8か月振りに入った手術室は、冷房が効きひんやりして、規則正しい心電計の音を背景音として、外科医と手術担当の看護師の静かな業務上のやり取りだけが室内に響く厳粛な現場であった。人命を扱う特別な空間の緊張感は、特別なものである。

 その夜、妙に気持ちが昂り、寝つきが悪く、また悪夢の三連発ロードショー になるかと心配しながら、うとうと浅い眠りに入った。

外科医魂

 浅い眠りの中で、米倉涼子*2演ずるドクターXこと大門未知子が、目の前で世界最高のカール・ツァイス社製の手術顕微鏡を操作している。「大門先生、手術、上手ッ!!!」「さすが!!!」などと、大門をヨイショするあたりは、夢の中とはいえ、情けない。
 大門未知子は万能の外科医であり、脳外科医としても神の手を持ち、シーズン4では、脳の最深部にある最高難度の脳幹部腫瘍摘出に成功している。
 ガラス越しに西田敏行演ずる悪徳病院長「蛭間重勝」が見ている。何故かそこに、田宮二郎演ずる白い巨塔の財前五郎教授が現れる。西田敏行こと蛭間病院長が、田宮二郎こと財前五郎に、恭しく「メロン」の木箱を差し出す。そこに、太地喜和子演ずる財前五郎の愛人が現れ、メロンを奪い取ろうとする。そのとたん、手術をしていたはずの米倉涼子がこちらにワープして、「五郎ちゃんは私のものよ!」と言って、手術用のメスを投げつける。
 「危ない!」と身を挺して財前五郎こと田宮二郎を庇ったその瞬間、なぜか、場面が北大の教育研究評議会の会議の真っ最中に替わる。
 名前は伏すが、論客である某研究院長そっくりの人物が、「総長は手術にうつつを抜かし、大学運営業務をおろそかにしている」と、僕を非難している。演説が終わると、地鳴りのような拍手が沸き上がる。これに対して、冷や汗を流しながら、「私は、総長の本務はおろそかにしてはいません」と強弁しつつ、口がもつれる・・・もつれる・・・。脳梗塞だ・・・と自己診断を付けて、急いで、脳血流を改善するための開頭手術を自ら開始する。夢の画面が、微小な血管をつなぎ合わせるシーンに替わる。
 以前から不思議に思っているが、夢というものは、最悪の状況か、あるいは、この世のものとは思えない至高の幸せがもう一歩で実現する直前で終わる。この日も最悪の状況で、ようやく、この荒唐無稽な大団円の夢から目が醒めた。

 お国の違いはあるが、米国の某大学病院の幹部である僕の友人は、メンタルコーチを付けて、パフォーマンスを上げている。マスターズで松山選手が大きな仕事をしたが、コーチによるメンタルサポートが大きな飛躍のきっかけになったように思う。
 こんな夢を見るとなれば、僕にも臨床心理士によるコンサルテーションが必要かもしれない。とは言え、財政難の大学が、夢見の悪い程度の総長のためにメンタルコーチを雇用できる余裕はどこにもない。単に、僕が米倉涼子と田宮二郎のファンであり、脳外科医への先祖返りを妄想して、それが夢に表出しただけのことだ。ただ、夢の中とは言え、田宮二郎こと財前五郎教授をわが命を賭して守ったというのは、僕が、白い巨塔の世界にすっかり毒されてきたことを暗示しているのかもしれない。

 外科医の性格を一般化することは難しいが、総じて、慎重であり、聡明な臆病者である。そうした用心深さがなければ、まともな外科医として世に処することなどできない。その一方で、覚悟を決めて、大きなリスクと破滅的状況を百も承知で、「突入」しなければならない場面も多い。「成功」は慎重さだけからは得られない。「覚悟を持った勇気」は、外科医にとって必要不可欠なコンピテンシーだと思う。
 これまでも、用意周到な万全の準備の上で、最終的には患者の命に関わる大きな賭けに近い手術も行ってきた。

 大学運営は、合意形成に時間をかけて、慎重な議論を重ねることが前提である。しかし、現在の法人化以降の大学では、重大な組織改革や、予算執行、人事案件の決定などを猛烈なスピードで実現しなければならない。

 中央の審議会などで有識者の発言を見ると、確かに、大胆な改革案など、耳を傾けるべきものが多い。大学の運営責任者に対して、「覚悟を持った勇気」が足りないという檄を飛ばされているように思う。
 「世界に伍する大学」を実現するためには、世界に伍する勇気と覚悟、外科医で言えば、医師生命を賭すくらいの覚悟がなければならない。当然、有識者の方々も、それに見合った覚悟と責任をもってメッセージを伝えなければ伝わらない。命を懸けている患者に対して、他人事の乾いたインフォームドコンセントをしても気持ちが通じないことを外科医は知っている。「覚悟と勇気」を持った話をして、初めて伝わるものがある。

図1

 沁みついた外科医の性は抜けない。脳外科医になった理由の一つは、頭蓋骨の美しさに魅了されてきたこともある。頭蓋骨の絵を毎日描いた時期もある(図1)。こんな、完璧な機能美を持った造形物はそうそう見つけることはできない。会議中、ふと気が付くと、隣の理事の頭部を見ながら、その下の頭蓋骨を想像して、開頭術の白昼夢に浸っている。やはり、脳外科医は辞められない。