オピニオン Opinion
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嗚呼‼花の応援団*1
-----愛しき絶滅危惧種-----

 町内会の組長の仕事は、それなりに骨の折れる仕事である。各種行事案内の配布、会費徴収など、町内会の各家庭を回らなければならない。
 新米の組長さんは遠慮がちにピンポンを鳴らす。「ごめんくださいませ・・・。」と語尾を下げる。
 「間違っていたら、大変申し訳ないのですが、○○様のお宅でしょうか?」とドアホン越しに尋ねる。室内のモニターには、魚眼図のように膨らんだ組長さんの顔が映っているはずである。
 その家には、表札がないのだ。○○様かどうかの確信が持てないために、こんな面倒な話になる。

 この年齢になると、地域社会のお仕事も大切。日頃、口を開けば、二言目には「社会連携」「社会共創」と言っている人間が、ご近所の仕事にそっぽを向くわけにはいかない。とは言っても、当の本人は休日もない有様で、とてもご近所のお世話などできるはずもない。
 そんな次第で、我が家には総長と組長がいる*2。もちろん、反社会的勢力ではないので、我が家に若頭はいない。
 恥ずかしながら、そこで初めて知ったいくつかの日本の驚愕の変化がある。その一つとして、日本から「表札」が消えつつある。現在、日本の半数程度の家は表札がないらしい。我が町内会の名誉のために補足するが、私のご近所は、むしろ表札は多い方で、7~8割の家には表札がある。
 長閑な新年会もなんとか開催される。マジックショーや漫談など、昭和レトロなアトラクションまで供されている。そんなコミュニティの基盤が維持されている我が町内会である。そこでも、どなたのお宅かを確認するのは一仕事である。表札が減り続ける中、町内会の存続の道は険しい。

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 表札が消えるのだから、年賀状を届ける郵便局員の方々のご苦労も察するに余りある。年賀状も絶滅危惧種である。
 北大本部には、鋳物と思しき堂々たる表札がある。しかし、総長室に届く年賀状は近年激減である。以前話題になった「地球防衛軍」や「UFO支援世界機構」の皆さんからも手紙は絶えて久しい*3
 普段、さして気にしていない儀礼的な音信であるが、それが途絶えた時に「ハッ!」とさせるアラート効果は高い。「ガッタンゴットン」の規則正しい、心地よく振動する電車で居眠りしていた人が、その電車が停車した瞬間に目が覚める、アレである。
 そんな訳で、年賀状が来なくなると、「地球防衛軍」のことが妙に心配になる。ひょっとして、この世界を支配する闇の支配者によって、組織ごと抹殺されたのではないか?あるいは「UFO支援世界機構」との確執に忙殺され、疲弊し、隊員の激減、絶滅の危惧に陥っているのはないかと、ふと気にかかってしまう。

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 北大でも、関係者が心配している絶滅危惧種がある。「花の応援団」である。応援団は、コロナ禍以前、体育会系の大会、入学式、卒業式における応援と演舞で活躍していた。しかし、このコロナ禍で、すっかり活躍の場を失ってしまった。今や団員は、片手で足りるほどになってしまったと聞く。間違いなく絶滅危惧種である。

 浮世離れした大学の応援団は、旧制高校から繋がる伝統ある大学の象徴だった。年季の入った羽織袴姿は、明治・大正時代の旧制高校・大学予科の学生をモチーフとしている。横溝正史の金田一耕助のいで立ちと思えば、当たらずと雖も遠からずである。
 その精神は、言葉にすれば「弊衣破帽(へいいはぼう)」である。いわゆる西洋かぶれの「ハイカラ(high collar)」に盾突く意固地な「蛮カラ(バンカラ)」である。思想などと偉ぶるのはおこがましいが、明治時代から戦前まで、大学生特権、粗野、傍若無人さが許容された時代のユルーイ精神を表している。
 しかし、100年超の歴史を誇る北大応援団は、歴史あるQT大の応援団の中でも、服飾カルチャーの点で異彩を放っている。団長のコスチュームに至っては、「弊衣破帽」などといった小賢しい書生の屁理屈のレベルを遥かに超えている。
 強いて言えば、秘境で隠遁生活を送る仙人である。あるいは、深山幽谷に引き篭もり修行を重ねた「修験者」の姿である。しかし、どんな理屈をつけようとも、道教、山岳信仰、修験道と大学とを結びつけることには無理がある。
 羽織袴は、いくつかのQT大の応援団でも見られるが、基本、正装としてお洗濯された清潔そうな羽織袴である。これに対して、俄かには信じがたい話であるが(事実確認済)、北大応援団のボロ羽織の中には、50年以上にわたって受け継がれてきたものもあるという。コスチュームの「ぬか床」と言っても過言ではない。平素、清潔なお洒落を旨とする私などは、袖を通す勇気が湧かない。
 加えて、高さ20センチはあろうかという巨大な高下駄。首からぶら下げた横綱のしめ縄と見紛うような綱。そして、全く意味不明の巨大な法螺貝、長大な巻物、団長が持つ得体の知れない杖など。これらの前衛的な異形のオブジェは、一体、100年の歴史でどのように生まれたのか、謎は深まるばかりである。

 入学式、卒業式、応援団対面式などで、この仙人風の奇矯な一団をもう何十年も見慣れている北大関係者は、「あれが普通の応援団」と思っているかもしれない。しかし、あの「弊衣破帽」を超えた北大の「花の応援団」は、全然「フツー」ではない。この大学の独特のカルチャーである。思えば東京六大学の応援団を見ても、男子学生はせいぜい学ラン、団員はスマートないでたちである。それに加えて、最近は応援団といえば、チアリーダーの方が目立っている。あれこそが普通の応援団である。
 北大応援団は、そうした今風の応援団とは別の境地にいる。あのアバンギャルドさは、服飾の観点から見ても、パリコレやミラノコレクションに出展しても注目を浴びるに違いない。こんな破天荒な前衛的カルチャーを持つ応援団は、日本はおろか、世界でも唯一のものである。

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 表札が消え、町内会も縮小し、年賀状が減り、「地球防衛軍」の消息も途絶え、「花の応援団」も絶滅寸前、風前の灯。このコロナ禍で、多くのことが絶滅の危機に瀕している。あるいは、思うだけで恐ろしいことであるが、すでに絶滅したことさえ、気づかれないことがあるに違いない。ここは一肌脱いで、大切な伝統芸能の保存のために、「応援団」を「応援」したくなるのが人情というものだ。
 まずは今年の入学式で、「花の応援団」が晴れの舞台に復帰すると聞いている。今年の入学式、北大100年の伝統芸の復活に乞うご期待である。いつか、ユネスコの無形文化遺産に登録される日が来るまで、この伝統芸を保存したい。