オピニオン Opinion
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ゼロサムゲームかチキンレースか

 北海道の寂れた海岸の小さな町をめぐる3日間の墓参で、短い夏季休暇が終わった。ヨーロッパの脳神経外科の友人達が、南仏、プロヴァンスで優雅な休日を楽しんでいる頃*1、休日恐怖症*2の僕は、息も絶え絶えに、深夜、総長室に舞い戻った。

 見れば、総長のメールボックスは溢れんばかりの郵便物である。SNS全盛、メールの時代になっても、連日、総長宛に多くの郵便物が届く。内容は、切々たる要望、公私入り混じった情報提供、ご批判、そして、極々まれに、お褒め・激励の言葉が届く。
 中には、「地球防衛軍(仮称)」のメンバーや、「UFO支援世界機構(仮称)」からの科学的エビデンスに基づいた詳細な情報も送られてくる。決して、侮れない精細なコンテンツである。あるいは、平和ボケの大学総長に対して、「エネルギー問題の破壊的解決のイノベーション」の提案や「COVID―19による国際的謀略」に関して、警鐘を鳴らすような長文も頂く。どれも、時間を見て、精読させてもらっている。
 そうした郵便物の中で、諸先輩や同窓会など、OG・OBからの郵便は少なくない。応援メッセージ、叱咤激励から厳しいご批判まで、様々なお手紙が届く。今回の話題は、こちらの方だ。

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 卒業大学に対する先輩諸氏のご批判は、2種類に分けられる。一つは、「大学は、さっぱり変わっていないどころか、建物は古色蒼然となり、教育改革・研究改革は遅々として進んでいないのは、けしからん!」という改革を促す先輩の諫言。
 もう一つは、「今般流行のSDGやイノベーションなどはほどほどにして、我が大学の150年になんなんとする伝統を守るべし!」という不易流行を旨とする保守本流の批判である。ただ、どちらも、「金太郎飴」のような、画一化された似た者大学にはなってほしくないという熱い思いがある点では共通している。

 残念なことに、こうした先輩諸氏の熱い思いに反して、日本の国立大学は、法人化以降、それぞれの独自性を伸び伸び発展させるというよりも、似たり寄ったり、中身は似たような大学になりつつある。
 これには、様々な理由がある。最大の理由は、大学の改革努力を測る尺度が決まっていて、その中で、資金を奪い合う「ゼロサムゲーム」の仕組みである*3。国民の血税を投入している以上、評価のための基準となる尺度が必要なことは当然である。
 しかし、そのゼロサムゲームの予算規模が年々拡大し(令和3年度は1000億円)、競争で奪い合う予算額が半端ないものになれば、どうしても、大学改革はクローン化に向かう。独自性を出そうとする場合でも、このゼロサムゲームで勝ち残ることが、資金確保の観点から必須である。こうした状況の中で、唯一無二の無双の大学を目指すことは、大変な難題である。
 大学のクローン化は、世界中で起こっている。欧米の大学制度研究者が使っている言葉であるが、日本語訳にすると「ハーバード化(Harvardization)」「バークレー化(Berkeley envy)」という言葉がある。これは、話せば長いことながら、大きな基金形成を基盤として施設、研究、人的な優越性を極限にまで高め、社会連携や産学連携から莫大な資金流入を促すという勝利の方程式である。この経営手法により、他大学を圧倒し、エスタブリッシュメントに支えられ、次代のエリートを育成するというものである。
 大学制度改革に少し興味がある方なら、10兆円ファンドという新しい仕組みが生まれたことをご存知かと思う 。こちらは、ゼロサムゲームではない。独自性を引きだすことも可能かもしれない。ただ、思い切った統治体制の変革やハードルの高い外部資金の増加見込みなど、並々ならぬ勇気と決断が必要で、これは、ゲームのカテゴリで言えば、「チキンレース」である。万全の準備の上、ひとたび、スタートを切った以上、眦を決して、最期までアクセルを全開で踏み続け、チキンレースを勝ち抜く覚悟が必要である。
 今の大学改革の中で、真に独自性を伸張させることは、難題である。特に、すでに、長い歴史があり、その独自性のベクトルがある程度変えられない大学では、それはさらに困難である。

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 こうした厳しいゼロサムゲームやチキンレースの大学大競争時代に、長閑で田園風景的な「150年の伝統を守り、比類なき大学、唯一無二の大学」などというキャッチコピーを掲げて、寝ぼけたことを言っているホーキンにこの大学を任せていいのかと真剣に心配されている学内関係者も多いのではないだろうか。
 「唯一無二」と言えば、最近その雄姿を見ることのないドクターX・大門未知子先生が勤務する東帝大学の応援歌を思い出す。「♪♪唯一無二、並ぶ山はなし♪♪」で始まる『唯一無二』の応援歌である。東帝大学は、ガバナンスはハチャメチャ、霞が関とのよからぬ関係を生き残り戦略にしている不埒な大学であるが、応援歌だけは、「唯一無二の大学」と日本の大学が本来目指すべき志を高らかに歌っているあたりは笑えないアイロニーだ。

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 短い夏休み、1年ぶりに田舎の遠戚の人々に会った。1年という歳月を経ると、子ども達は急に身長が伸び、年寄りは、一段と足腰が衰えたように思えた。
 かくいう私も、先日、2年ぶりに、かつての同僚の看護師さんに出会った。「先生、細くなりました?」と言われて、大人げなく不機嫌になった。以前もこのコラムに書いたように、長年懇意にしてきた床屋さんから外見や健康状態ばかり指摘されて、大人げない罵詈雑言を言い捨て、絶交した筋金入りの未熟者である*4
 「細くなりましたね」という言葉の真の意味は、「年、取りましたね!」の言い換えに決まっている! ここまで人の暖かい誠意を曲解できるようになれば、「ひねくれ者」も本望である。
 しかし、久しぶりに会った人の目は、いつも真実の一面を見抜いている。

 今月末には、「大学のお彼岸」と私が名付けている「ホームカミングデー」がやってくる*5
 先輩諸氏は、久しぶりに母校を訪問して、その外観あるいは教育・研究の変貌を見て、どう思われるだろうかと気になっている。
 そんな先輩に、「大学、痩せたね」「なんか、大学、年取ったんじゃない」などとは決して言われないようなホームカミングデーにしたい。

追記
 「地球防衛軍(仮称)」や「UFO支援世界機構(仮称)」の話を楽しみにしていた読者には申し訳ないことをした。いずれ、小生が本職を辞して、執筆の時間でもあれば、披露する機会があるかもしれません。それまで、お待ちください。