オピニオン Opinion
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大学共通テストで「クマムシ」を知る

 夜中にどれほどゴージャスな夢を見るかという「夢自慢」で、件(くだん)のゴルフ仲間が酒の席で盛り上がった*1

 彼らの話を聞いていて、まさに自分は「掃き溜めに鶴」。実にまともな人間だなと、改めて痛感した。彼らの夢は、どれもこれも語るに落ちるものばかりであった。どれ一つを取っても、公序良俗的にこのコラムで紹介できる内容ではなかった。何しろ、低俗、下品、幼稚なものばかりであった。しかし、夢などというものは、そもそも人間の本性が剥き出しになるものだから、夢で「人格」を判断してはいけないのかもしれない。
 一方、僕は小学生の時に、国連で議長をする夢を毎晩見た。核軍縮の交渉である。ケネディ・アメリカ合衆国大統領とフルシチョフ・ソ連共産党書記長の首脳会談を小学生の僕が仕切っている。申し訳ないが、小学生の頃から見る夢のレベルが違った。

 しかし、この連中と同レベルかと思うと、あまり嬉しくない発見もあった。試験に関連した悪夢のレパートリーは、全員が共有していたのだ。しかも、ストーリーは本当に判で押したように見事に類似していた。夢の台本は基本的に以下のようなものである*2
 試験前日に全く勉強していないことに気が付き、愕然とする。夢の中で焦燥のうちに試験の朝を迎える。会場に行く途中で必死に勉強するが、もうどうにも間に合わない。試験会場で問題用紙を開いて、まず問題の量が多いのに動顚する。急げば急ぐほど、焦りは募り、底なし沼に足から沈んでゆくような、絶望とパニックの中で試験終了のベルがなる。解答用紙は真っ新(まっさら)である。
 夢の中では、「ラクダイ」の2文字で埋め尽くされた底なし沼に足を取られ、足掻けば足掻くほど、「ラクダイ沼」に沈んでゆく。苦悶の中でのたうち回る。いよいよ頭が完全に「ラクダイ沼」に飲み込まれ、息が止まって死ぬ‼ と思ったその瞬間に目が覚める。
 「一問目から、文章を読んでも読んでも、文章が終わらないんだ」
 「それそれ、焦る焦る」
 「分かる分かる。そこで試験終了のベルがなるんだよな! 」
 大変に遺憾であるが、あれほど下品な夢を見る同世代のゴルフ仲間と、受験に関しては同じ悪夢を見るのだ。この試験系悪夢は、昭和の受験戦争経験者にはあまねく共有されている。最早、人類全体が共有する悪夢である。

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 久しぶりの平和な土曜日の夕食前、以前から気にかけていた大学入学共通テストを解いてみようと思い立った。ただ、さすがに数学や世界史は歯が立たないと諦めた。そこで英語ならば、正答率9割は下らないだろうと高を括っての受験となった。
 「私、痩せても枯れても、QT大の総長ですよ。英語の試験問題など夕飯前でしょうが」と、朝飯前ではなく、夕食前などとつまらないダジャレを家族に飛ばした。これが久しぶりの自宅での平和な土曜日の夕食を台無しにした。

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 皆様、このクドクドした駄文を読む暇があれば、是非是非、今年の共通テストの英語の問題にトライしていただきたい。インターネットでいくらでも検索できる。
 使われている単語は平易。大学教員で辞書を引くようであれば、その時点で、「大学で教鞭を取る資格なし」である。大学を去っていただくべきである。語彙力やイディオムの( )を埋める選択肢問題などの単純暗記系の昭和の問題は消え去り、長文の総合的な理解力が問われている。その意味では現代国語の試験のようにさえ思えた。
 特に、今回の問6のBで紹介された「クマムシ」(tardigrade)の小論文は必見である。恥ずかしながら、この「宇宙最強の生物」について、この試験問題で初めて学んだ。その驚くべき生態を述べると、このコラムには収まりきらないが、ちょっとだけ紹介させてもらう。
 クマムシは、心底、驚くべき生物である。マイナス272℃から151℃という信じ難い極限の環境で生き抜き、真空で大量の宇宙線照射でも生き抜くことができる。クマムシをご存知ない方は問題6のBを一読してほしい。久しぶりにワクワクする論文である。
 また、クマムシの解剖図の問題の中で、「肛門」(Anus)と言う単語が出題されたのも、大学入試の英語の問題の長い歴史で前代未聞のことであったに違いない。地下鉄の中で、赤い透明シート付の単語帳で受験勉強をしていたOB・OGや元受験生には、およそ解答が難しいレベルの問題である。Anusはなかったはずである。
 悪戦苦闘の80分、途中で何度もへこたれそうになりながら、最後の問題6のBまで辿り着いた時には、もう嫌気がさしていた。しかし、「クマムシ」論文を読んで、試験を受けて良かったと心底思った。
 SNSでも、この共通テストに出題された「クマムシ」が大きな話題になったという。出題者冥利に尽きる見事な出題である。

 恐る恐るの採点結果は、100点満点の88点であった。大学入試センターによれば、英語のリーディングの平均点は、53.81点となっている。今年の英語は、大変に難解であったと評されている。
 元大学教授、現在QT大総長の面目は、際どく保たれた。しかし、英語の国際会議に出て偉そうに発表し、大学院の卒業式では、海外の留学生らを前に、格式高い単語いっぱいの美文の英語挨拶をする総長の自尊心はひどく傷つけられた。

 この共通テストの受験に挑戦した夜以降、試験系悪夢の恐怖のグレードがバージョンアップした。
 最高学府の大学院博士課程の修了式では、総長は英語による挨拶をする羽目になる。その挨拶の途中、会場の学生から
 「総長の英語、発音悪すぎない・・」。
 「何言ってんのか、わかんなーい」。
 「共通テスト、ギリギリの合格だったらしいよ」
 小さな声が少しずつ共鳴し合い、やがて連呼となり、ついには盛大なブーイングとなる。学生達は挨拶の途中から会場を出て行ってしまい、会場は人っ子ひとりいなくなる。
 Y理事が、背中から僕を慰めてくれる。「総長、仕方ないですよ。総長はよく頑張った。、共、最

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 共通テストは、かくも着実に進歩している。我が身を振り返ってみると、百年一日のごとく、相変わらずの試験を出し続けてきた。もう時効でもあり、懺悔する。「過去問」のリストから、捻くりだす程度の努力しかしてこなかった。
 共通テストでさえ、「クマムシ」のようなワクワクするような出題ができるのだ。試験により、学ぶ喜び、知る楽しみを与えることが可能なのだ。こんな問題が出題されると、私達の試験系悪夢は、毎晩でも見たいゴージャスな夢になるに違いない。
 現役の教員の皆さん、大学入学共通テスト、是非一度は挑戦して下さい。