インタビュー

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パーソナリティ/ナレーター 蒲田 健さん (1991年、文学部卒業)

浪人生活で進路と
真剣に向き合い
北大を再スタートの
舞台に!

現役で東京近郊の大学を受験したのですが、見事に落ちまして…。浪人生活で進路について真剣に考える中で、誰も知らないところに行って、これまでの自分を、理想とするものに作り変えるには、ゼロからスタートした方がいいかなと思い、縁もゆかりもない場所へ行きたいという思いが第一にありました。志望大学を調べる中で、「Boys be ambitious」のフレーズで知られる北大が、再スタートを切るのには最適なのではないかと思い、本格的に北大を目指すことにしました。

北海道は広大なので、北大のキャンパスも、もちろん大きいんだろうなと想像していました。もう一つ、応援団に象徴されるような“バンカラ”のイメージもありましたね。おしゃれで洗練されたというよりは、泥臭い感じで、自分の趣味嗜好に方向性として合致している部分があると感じていました。

入学後、まず思ったのが「ホントに広いところに来たな~」ということ。身も心も解放された感覚がありましたね。

大学時代に何か打ち込めるものが欲しかったので、入学案内の体育会系の冊子を眺めていたところ、いくつか気になる部活を見つけたのですが、最初に惹かれたのが、“バンカラ”の象徴でもある応援団でした。日本では大学から始めるのが一般的なアメリカンフットボール部も、いろいろなタイプの人間が活躍できるスポーツなので、面白そうかなと。もう一つ、気になったのが「君も日本一にならないか」というキャッチフレーズのボート部。この3択で迷った末、ボート部に入り、2年留年したので、結局6年間もボート部に所属していました。学生時代=ボート部というほど、熱中していましたね。厳しい練習で足腰も鍛えられたし、あの時代があってこそ、今があると思います。

パーソナリティの
夢を実現し
一期一会の感動を胸に、
日々前進

僕が卒業した1991年は、バブル真っ盛りの時世。ですから、浪人も留年もしている僕でも、内定がバンバン決まるという夢のような世界でした(笑)。もともとラジオが大好きで、いつかパーソナリティになりたいという夢は抱いていたのですが、新卒ですぐにという道はないと思ったし、社会勉強のつもりで5年を目途に一般企業に就職しようと。広くいろいろなものを知れる商社がいいなと考えていたところ、三越の札幌支店で部長だったボート部の先輩から「百貨店も店舗を持っている商社みたいなものだよ」と言われ、何社か内定をいただいている中から、三越に入社を決めました。8年間働き、一通り、社会のことが見えてきたので、退社し、次の道を歩き始めました。

現在は、ラジオのパーソナリティを軸に、幸いなことに好きなスポーツの現場に携われる仕事もあり、レギュラーでは、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉のスタジアムDJを2001年から担当させていただいています。そこでの活動を見聞きしてくださった方が、別の現場のDJとして呼んでくださるようになり、その流れの一環で、フィギュアスケートなど別のスポーツの現場からも声をかけていただけるようになりました。人づてに縁がつながり、プロスポーツの仕事の幅も徐々に広がっている状況です。

もう一つは、テレビCM、NHKの番組紹介などのナレーションの仕事。

自分の中では、ラジオのパーソナリティ、スポーツ、ナレーションを仕事の三本柱として大切にしています。もちろん、お声が掛かれば、何でもやりますけどね(笑)

この仕事はやり直しができない一期一会のもの。同じものが二つとしてないので、それぞれに印象的なことが多いのですが、直近では、ラグビーのワールドカップの準決勝、決勝のスタジアムDJをやらせていただいた時のことが、最も印象的でした。超満員の横浜総合国際競技場で行われる世界大会のファイナルの運営の一部に携われることに感動しましたし、海外のお客様が大半を占める中、私が日本語でアナウンスすると、会場全体からド~ン!と圧倒的なリアクションが返ってくる。思わずこちらもアドレナリンが出るような得難い経験でしたね。

現場の大小に関わらず。こちらのアクションに対して、お客様がリアクションしてくれる瞬間は、カタルシスを感じるというか、その都度、快感を覚えるものです。

今の仕事は、これまでつながってきたものがどんどん派生してきたイメージなので、この先どう広がっていくかは自分自身でも楽しみ。どういう広がりがあり、どういうところに新しい舞台があるのかは、ご縁や環境次第で、自分ではコントロールできないのですが、何かチャンスを与えてもらった時は、食わず嫌いにならないようにしたい。「これどうですか?」と言って出されたものは、必ず食べる。そういう姿勢を貫いていきたいと思っています。それがまた面白いことにつながればいいなと。何でも食べて、時々、お腹を壊すこともありますけど(笑)

北大は大きな
鐘のような存在
大きく撞けば、
大きな音が響く

北大時代に過ごした札幌は、僕にとって第二の故郷。今は札幌に自宅はありませんが、北大の出身者である僕は、札幌が帰れる場所と思っているんです。札幌の真ん中にどんと構えている北大に身を置いていたことは、僕にとって誇り。貧乏学生生活でしたけれど、北大でいろいろな経験をさせてもらったからこそ、今があると、さまざまな場面で感じることがあります。ちょっとのことではくじけない磨かれ方、鍛えられ方をしましたから。

北海道大学への思いは、今も入学を志した頃と変わらず、「Boys be ambitious」というクラーク先生の教えは大きく、大志を抱かせてくれる環境であり、そういう人材がいる場所だと思っています。北大は、まさにアンビション。大志を持って臨めば、より大きなものが返ってくる。大きな鐘のように、とにかくこちらが大きく撞けば、必ずそれ以上に大きな音を返してくれる、懐の深さが魅力です。学生のみなさんには、それを信じて、ぜひいろいろなことにトライしてほしいですね。

北海道テレビ放送エグゼクティブ ディレクター 藤村 忠寿さん (1990年、法学部卒業)
パーソナリティ/ナレーター
蒲田 健 さん
(1991年 文学部卒業)
1966年、東京都生まれ。株式会社三越を経て、1999年からパーソナリティ、ナレーター等の活動をスタート。ラジオ番組のパーソナリティをはじめ、テレビ、ラジオ番組、CMのナレーション、ジェフユナイテッド市原・千葉、FUJI XEROX SUPER CUP、ラグビーワールドカップ日本大会等のスタジアムDJなど多方面において活躍している。