インタビュー

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日本科学未来館館長/宇宙飛行士 毛利 衛さん (1970年 理学部卒業)

進むべき道を
模索しながら
何事にも全力投球した
学生時代

私は札幌北高校出身で、北大は地続きのように近く、しかも北海道で最も規模の大きな大学ということで自然と志望しました。もともと理系ではあったのですが、このまま理系に進み、技術系を極めるべきか、それとも新たにビジネス的な学問を身に付けるべきか、自分の中で迷いながら、理Ⅰを受験。入学後、理系の中でも、よりビジネスに直結する学問を学べるのではないかと思い、工学部に進みました。

高校時代はラグビー部だったのですが、北大のラグビー部には北高出身の先輩たちが数多くいらっしゃったので、頻繁に練習試合をさせていただいておりました。みなさん筋肉隆々の堂々たる体格をしていたので、私にとって北大といえば、“地獄の特訓”という印象が強かったですね。先輩たちは手ぐすねを引いて待ち構えていたのですが、大学ではいろいろとやりたいことがあったので、ラグビーは体育会ではなく社会人のチームに。

そのほか、北大の旅行、テニスと2つのサークルを掛け持ちしていました。旅行サークルでは年に数回、道内を巡るツアーを開催していて、1年目は利尻・礼文島へ。これが、1日目は礼文島1周、2日目は利尻富士の登山、3日目は利尻島1周という計100㎞ほど歩くという鉄人レースのような内容でした(笑)。登山ではメンバーの一人が足を負傷し、背負って下山する途中、救助隊のお世話になるというハプニングも…。体力的にはキツかったのですが、今でも当時のことを思い出すほど記憶に残っている出来事です。

大学院では生体工学の分野で人工臓器の研究室に入り、なかでも私は「膵臓の血糖値センサー」というテーマに取り組んでいました。修士論文も書き上げて推薦をいただき、将来はドクターになる選択肢もあったのですが、いろいろと悩んだ末、最終的にはビジネスの世界に進むことを決意し、リクルートに入社しました。

新規事業開発からIT業界へ
企業に“売れる仕組み”を
提供する

最初に配属されたのが人事。大学院で学んだことが全く役に立たない領域からスタートしました(笑)。その後自己申告で通信系の事業部の営業へ異動となり、そこでの実績が認められ、新規事業の開発担当に。1996年に当時商用化されたばかりのインターネットを使った新規メディア事業に着手し、IT製品を売るベンダー(メーカー)と、その情報システムを買う企業のマッチングサイトを立ち上げ、3年ほどで黒字化を実現。その中で、IT製品によって実現できる世界、お客様の課題解決ができることの幅広さを知りました。メディアはお客様の出会いを創出することしかできないので、より深く顧客満足度を得るためにIT製品を活用できるビジネスをやりたいという思いが強くなりました。当時は、海外のIT企業の日本進出が始まった時代。その外資IT企業のソリューションを日本市場で立ち上げるビジネスに携わりたく、IT業界へ転職。3社のジョイントベンチャーの立ち上げに関わらせてもらいました。

その後は、大手のIT企業の中での新規事業を手掛けることに。もともとコールセンターの会社だったのですが、デジタルマーケティングの事業を立ち上げました。そして、縁あって出会ったベンチャー企業へ。COO(最高執行責任者)として経営側の立場から事業運営を行うことになりました。当時は社員が100人程度でしたが、6年ほどで順調に利益を創出し、3倍の規模まで成長させることができました。

現在、代表取締役会長兼CEOを務めておりますサンブリッジは、ベンチャーキャピタルとして1999年に創立された会社。2000年にSalesforce.com, Inc.というアメリカの会社と合弁会社を設立し、「セールスフォース・ジャパン」を立ち上げました。セールスフォース は今ではご存知の方も多いかと思いますが、営業管理・顧客管理のしくみをクラウド/サブスクリプション形式で提供するビジネスを世界で最初に始めた会社です。私がサンブリッジの経営に参画した2009年当時は、まだオンプレミスのSI事業を中心に多角的にビジネスを展開しておりましたが、このセールスフォースというクラウド事業の今後の市場成長性を強く感じまして、代表になったタイミングでこのプラットホームを使った事業にフォーカスすることを決めました。現在もクラウド製品を使って企業の営業管理、マーケティングの仕組みなどを構築する支援事業、それと同時に弊社独自のアプリケーションを開発し、お客様に提供するビジネスを展開しています。

セールスフォースは、もともと営業支援の領域で強いソリューションを持っている会社です。企業対企業の取り引きで何か新しいことを導入する場合、インターネットの出現によってそのプロセスは大きく変化してきました。例えば、マーケティングというフェーズでは、お客様は営業マンに直接会うことなく、自分でインターネットを介して探す時代。この活動をきちんと“見える化”し、お客様に適切なアプローチを提案するための仕組みを「マーケティング・オートメーション」と言います。こういったさまざまな仕組みが企業活動には必要なのですが、これらを統合し一元管理できる “売れる仕組み”を作って提供する、それが私たちの目指すところです。さらに世の中の変遷に沿って、マーケティングの領域、CRMの領域などをすべて統合して提供することで、お客様の利便性、顧客満足度を高め、何より売上、生産性向上をご支援できる体制を作り上げてきました。もちろん自社でもこの仕組みを導入しており、実際にマーケティングからの売上が3年で10倍も伸びたんですね。自分たちが実践し、成功経験を持って、お客様に提供する――。そんなビジネスです。

今振り返ると、ITという業界を選択したことはよかったなと実感しています。当時はまだITという言葉はなく、インターネットもクラウドも存在していない時代でしたが、研究室で実験するための計測プログラム等は自身で開発するなど、それとなくコンピュータとの接点もあり、情報とコンピュータが統合されたら何かできるんじゃないかという予感がありまして。それが今、想像通りの世界ができ、人よりも早くその仕事ができたことで、少しばかり先行者利益を享受できていると思います。

ITの中では常に最先端の領域で仕事をさせていただくことにより、非常に大きな学びがあるし、既存のビジネスよりも事業としての成長もしやすい環境にあります。ですから、自分の中では、大学時代の研究室での経験があったことが今につながっているのだと思いますね。

基本的に私は人と同じことをやりたくないタイプ。同じことをやるにしても、人がやらないやり方、行かないフィールドでチャレンジしようとする性格です。平たく言えば、オンリーワン戦略、戦わずして勝つ、を実践に生かしたいとは思っているのですが、一番乗りではなくフォロワーでスタートする事業も。その中では、どのようにすれば社員が疲弊せずに利益が出せるかを常に考えています。そういう意味でも、仕事では差別化、つまり他者とは違うこだわりを持つことを大切にしています。

今後は、まだITを活用していない企業にどんどん広めていき、働き方を変えていきたい。より現実的な技術、道具を提供することで、会社を成長させていきたいですね。

これから求められる人材は
“理系と文系のど真ん中”

大学時代は答えのない選択肢と向き合っていたなと思います。技術かビジネスの世界か、はたまた研究をやり遂げた後、自分に何ができるのか。さまざまなことを考えて、試してみたのが大学時代でしたね。そして、大学院を出てから文転するという珍しいパターンでしたが、それなりの仮説を持って結論を出し、たまたまかもしれませんが結果としてうまくできたのではないかと。あの大学時代の葛藤があったからこそ今があると思っています。大学での経験がそのまま社会で生かせているわけではなく、失敗やその時のプロセスが社会人になった今も自分の中に行動の遺伝子となって根付き、実を結ぶことができたのかなという感じがしています。

大学は理系と文系に分かれていますが、ITの世界では、その線引きはとても曖昧です。システムというのは、まずお客様の業務要件を知り、それをツールに置き換えていくもの。この置き換える作業が、今はプログラミングをしなくても簡単にできてしまう。ですから、技術だけとか、コンサルだけとかではなく、今求められているのは、その両方に当てはまるようなスキルセットを持った人材です。弊社も採用する基準には“理系と文系のど真ん中”というキャッチフレーズを使っています。

若い人たちは、理系・文系のどちらかではなく、その両方を時と場合によって使い分けられる、使いこなせる人を目指すと、これからの時代に求められる人材に成長できるのではないかと思います。

北大では、自分自身がそうだったように実践的なことを学んでほしいですね。特に大学院での研究は、一からすべて自分で考え、道具も自分で作り、答えも自分で出さなければならないというプロセスが、とても良い経験になったので。北大にはそれを学ぶことができる環境がありましたし、当然現在はもっと高度化されているはず。それが北大の魅力であることは、学生たちにも伝わっているのではないでしょうか。

日本はグローバル人材が足りないと言われています。今の時代は、海外で働くという選択肢が非常に現実的になってきています。北大はすべて海に囲まれた北海道という島にありますが、そこに止まることなく、海を越えて、グローバルに活躍できる人材を目指して頑張ってほしいですね。

株式会社サンブリッジ代表取締役会長兼CEO 小野 裕之さん(1987年 工学部卒業、1990年 工学研究科修士修了)
株式会社サンブリッジ代表取締役会長兼CEO
小野 裕之さん
(1987年 工学部卒業、1990年 工学研究科修士修了)
1964年、北海道稚内市生まれ。1990年、株式会社リクルートに入社。新規事業担当マネージャーとして、全社最速でインターネットサービスの事業化に着手。その後、国内ITベンダーにて数多くの新規事業設立に携わる。2009年、サンブリッジグループの経営に参画。2012年1月、株式会社サンブリッジ執行役員社長、同年4月、代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)就任。2020年7月から代表取締役会長兼CEO。独自のアプローチかつ企業に寄り添う目線でのサービス展開は常に高い評価を得ている。