大学案内

ホーム > 理事・副学長・副理事コラム > 令和3年度 > 第10回:𢎭 和順 副学長

第10回:𢎭 和順 副学長

志あるところに道はひらく

no10_01.jpg

 まず、自己紹介からはじめます。出身は、三重県北部の鈴鹿市です。鈴鹿というと、山間部をイメージされる方が多いようですが、東に伊勢湾を臨む平野部で、旧東海道の四日市宿から伊勢神宮へと続く、いわゆる伊勢街道沿いです。
 小学生のころ、この伊勢街道を舞台に、全日本大学駅伝が開催されるようになりました。当時、北海道地区の代表は、きまって北大でしたが、先頭から大きく引き離され、最後尾で必死に追走する選手に、小旗を振りつつ声援を送ったのを覚えています。北大の存在を知り、また身近に感じた最初の思い出です。
 中学・高校は、県中部の津市の仏教系学苑に進学し、1時間ほどかけて電車で通いました。熱心に指導くださる先生方が多く、とりわけ6年間、国語を担当いただいた先生からは大きな影響を受けました。年間20冊の読書感想文という課題には、困り果てましたが、通学時間を読書に充てることによって冊数をこなすうちに、本好きになりました。「人間万事塞翁じんかんばんじさいおう うま 」「桃花源とうかげん 」といった漢文の数々に出合ったのも、このころです。悠久の歴史に基づく知恵に裏打ちされた人生観や、時空を越えたその壮大な世界観に接し、魅了されました。

 大学は、北大を志望しました。その理由を一言でいえば、北の大地に憧れてとなりますが、未知の世界で自分自身を試したいという気持ちがあったのも確かです。受験は、はじめて共通一次試験が行われた年で、北大の受験番号は文Ⅰ系の1番。少々大袈裟ですが、運命的なものを感じました。当時、合格発表は、学内での掲示に限られていたため、その場に立ちあえない場合は、アルバイト生に依頼して電報で合否を知らせてもらうのが一般的でした。かくして「エルムノソノニハナヒラク」という祝電を受取った感動はいまも忘れることができません。ちなみに、不合格時の電報は「ツガルカイキョウナミタカシ」が定番でした。
 北大に入学するや、身体を存分に動かしたいという思いにかられ、間なしに体育会卓球部に入部しました。ただ、部員数が50名以上と多かったため、全員が卓球台について練習できず、交代でキャンパス内外をランニングするのが常でした。その走路が、まさか40年後、オリンピックのマラソンコースになろうとは、ゆめゆめ思いませんでした。卓球では、団体戦も個人戦も目立った戦績をあげることができませんでしたが、先輩後輩とのつきあいを通して、不測の事態への耐性など、さまざまな力を鍛えられました。

no10_02.jpg

 一方、専門の勉学は、2年の後期から、初志貫徹して文学部中国哲学研究室に移行しました。ここで出会ったのが、まだ30代の新進気鋭の研究者であった恩師です。中国哲学という学問の手ほどきを受けるとともに、丹念に出典を調査した上で正確に文献を読解する重要性を、それこそスパルタ方式で指導いただきました。おかげで学問研究の厳しさを体得するとともに、次第に斯学しがく の魅力を覚えるに至りました。それが契機となり、研究者の道をめざして大学院へ進学、その後の道のりは必ずしも平坦だったわけではありませんが、幸いにもアカデミックポストを得て、現在に至ります。

 振り返ってみると、北大で過ごした9年間の学生生活は、恩師はもとより同学や友人に恵まれ、まさに「学」に「遊」に充実した最上の日々でした。もちろん、幾多の失敗もありましたが、それを含めて当時の経験こそが、今日のわたしの原点になっています。
 研究分野は、中国古代思想ですが、一般には、特に『論語』の研究者として見られることが多いようです。古典中の古典の『論語』を対象とすることについて、しばしば研究の余地は残されているのかという質問を受けることがあります。しかし、わたしの関心は、『論語』の本文のみならず、その注釈も範囲とし、同書がどのように形成され、その成立後、どのように読解・解釈されてきたかを考察することにより、各時代の思想的な流れを解明しようとする点にあります。ですから、まだまだ読解すべき文献は、無尽蔵に存すると考えています。

no10_03.jpg

 そうした観点から、新渡戸稲造の『武士道』も、かねがね自身の考究の延長線上に捉えてきました。いうまでもなく新渡戸のいう武士道は、その根幹に中国思想、なかんずく儒教が存在するからです。こうした研究が縁となり、新渡戸カレッジが創設されてからは、カレッジ生に対して、新渡戸に関する授業や講演を担当するとともに、徐々に運営にも従事するようになりました。
 新渡戸カレッジは、本学の学士課程・修士課程・専門職学位課程の全学生を対象とした特別教育プログラムで、その特長は、新渡戸の説いた利他的な精神を踏まえつつ、それぞれの専門性を活かして相互に学問的な交流を行うところにあります。また、本学の卒業生・修了生にフェローやメンターとして協力を仰ぎながら、ともに切磋琢磨するところでもあります。現在、副学長としての担当業務に、新渡戸カレッジおよび校友会・同窓会と記されているのは、こうした経緯によるものと理解しています。

no10_04.jpg

 最後に、新渡戸カレッジでの取組は、先例がほとんどありません。そのため、教育のあるべき理想を掲げ、その実現に向けて果敢に挑戦するとともに、急がず休まず改善を重ねることが不可欠です。高邁こうまい な大志を抱いて集う学生のためにも、この比類なきプログラムの大成に向けて着実に歩を進めたいと考えています。

 Where there is a will , there is a way . (志あるところに道はひらく)

 みなさまには、引き続きご理解ご協力、そしてご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

no10_05.jpg

(2022年1月)

【撮影場所】
1枚目:文学研究院内 個人研究室
2枚目:第1体育館
3枚目:新渡戸稲造顕彰碑
4枚目:ファカルティハウス エンレイソウ 第1会議室
5枚目:高等教育推進機構 大講堂