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第2回:山口 淳二 理事・副学長

常に好奇心を持って-学生、研究者、そして大学運営-

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 こんにちは!理事・副学長の山口淳二です。

 私は、全学教育や新渡戸カレッジの運営に長年携わってきたこともあり(後述)、現在本学の教育関係全般の運営を担当しています。それとともに、総括理事として学内の様々な活動のコーディネートにも携わっています。これ以外にも、人材育成本部や産学・地域協働推進機構の中のスタートアップ(起業)活動、あるいは同窓会組織である校友会エルムの活動についても担当させていただいています。色々な運営にかかわっている関係で、私自身も結構忙しいのですが、とはいえ、寳金総長の目指す本学の「再生と発展」に関わらせてもらえることを幸せに感じています。

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 さて、まずは私の略歴を。私は、群馬県太田市の出身で、埼玉県立熊谷高校(越境です)→埼玉大学理学部生化学科(学部)→名古屋大学農学研究科(修士・博士)→米国留学→名古屋大学助手・助教授という経歴を経て、2001年より本学理学部・理学研究院・生命科学院の教授となりました。札幌暮らしが20年を超え、地元太田や名古屋での暮らしを上回るようになりました。

 私の大学時代の様子については、以前に全学教育に関係するパンフレットに書きましたので、それを転記させていただきます。

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(あの頃...、今から40年以上前の大学1年生の頃)、私は、漠然と研究者になりたいと思っていました。ただ、その当時はインターネットもないわけで、そんな夢を実現するための情報はごく限られていました。そういう意味で、暗中模索が続いていたのでしょう。とりあえず、「受験勉強ではない、本当の学問が思いっきりしたい」、と考えていたと思います。高校の時、物理学も好きだった私は、当時在籍していた理学部生化学科での勉強は当然として、「物理のできる生物学者」を目指して、物理学科の専門の授業も試しに受けていました。1学期末の物理の試験の時、先生が数式を黒板に書き、「じゃ、コレ、授業時間が終わるまでに解いといてね」といって、教室を出て行ってしまいました(当然、その頃は試験監督TAなんていませんよ)。物理学科の連中は、さっさと計算を始める者、教科書や参考書をひっくり返す者、途方にくれる者、と別れました。(半分部外者の)私は、当然、第三番目。ブルーバックスを読んであこがれた壮大な宇宙のロマンを語る前に、「つべこべ言わずに、この微分方程式を解け!」という、本当の学問の壁が横たわっていました。というわけで、「物理のできる...」の夢はここで頓挫。今、理学部生物科学科(生物学)の教員として、思いっきり研究できる歓びをいつも感じています。「アカデミック・サポートセンターニュース1422014)より引用」

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 私の専門は植物科学です。植物が生育環境の変化にどのように適応していくのかについて、生化学や分子生物学的手法でアプローチするものです。名古屋大学ではイネ、北大ではシロイヌナズナという小さな植物を主たる実験材料としていました。

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 上の写真で私が持っているのがそのシロイヌナズナで、実際には5mm程度の小さな花をつけます。私は、生物の様々な働きをコントロールする「鍵となる遺伝子」の解明を進めてきました。このような研究では、植物の遺伝子、タンパク質あるいは代謝産物の多角的な情報、いわゆるビックデータを効率的に解析します。最終的にそれによって導き出された「鍵となる遺伝子」候補に着目し、その仮説が本当に正しいのかについて検証します。以前はこのような検証は不可能だったのですが、今はそれが(私たちの場合はトランスジェニック植物を作成することで)生物個体を使って比較的容易に出来るようになりました。近年の科学の進歩には私たち当事者でも本当に驚かされます(私たちの最近の研究例-シロイヌナズナが花を咲かせる仕組み-が本学のプレスリリースにて発表されましたので、よろしければそちらをご覧ください:210511_pr2.pdf (hokudai.ac.jp))。

 さて、名大ではほぼ研究に明け暮れていましたので、私が授業を本格的に行うようになったのは本学に来て、40歳の半ばからということになります。その私にとっての転機となったのは、やはり新渡戸カレッジに携わるようになってからということになります。学部・大学院を横断するリーダー育成のための特別教育プログラム「新渡戸カレッジ」ですが、その中で本学同窓生からなるカレッジフェローとの交流は何物にもかえがたい経験となっています。フェローとの付き合いの中で、大学では当たり前だったことが必ずしもそうとは限らないことを実感させられました。大学が内にこもらず、社会との有機的な連携を模索することで、現在の大学を取り巻く閉塞的な状況が打開できると信じて、今私は取り組んでいます。また、以前に北海道内の国立大学の教育連携にも携わらせていただきました。これについては、各大学の文化を尊重しつつ連携を進めることの難しさを痛感すると同時に、それが実現した際の相乗効果、インパクトの強さについても実感することができ、こちらも印象深いものとなっています。

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 最後に私の心に響いた新渡戸カレッジフェローの言葉を記します。これは、私があるフェローに「(後継者として)組織のトップを託す」、そのための資質について伺った時の答えです。

《失敗と決断の数だけ、その人物の評価は高まる》

これは、「大きな失敗をした挫折経験をもたない人間に、そしてそれを乗り越えた経験を持たない人間に、本当に大切なことは任せられない」、ということを意味する言葉だと思います。失敗は誰でも嫌なものですが、ただそれを恐れていて前に進まないのはあまり良いことではありません。私も、新しいことにチャレンジする勇気と日々の些細な出来事に対する旺盛な好奇心を持ち続けて進んでまいります。

 皆様、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

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(2021年5月)

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