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第17回:長谷川 康弘 副理事

至誠通天~大学の水先案内人を目指して~

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 2022年4月に副理事を拝命しました長谷川です。
 この3月に研究推進部長(事務職員)として定年退職を迎えましたが、引き続きご縁をいただき、副理事(社会連携・産学連携担当)のほか、産学・地域協働推進機構副機構長、新たに設置された事務組織「社会共創部」の部長を兼務しております。
 私は19844月、事務職員として北海道大学に採用され、以来、文部省(当時)1年、小樽商科大学3年の出向期間を除く34年をこの札幌キャンパスで過ごさせていただいております。
 これまでのコラムの皆さんのような、劇的な出会い、紆余曲折、波乱万丈とは程遠い平々凡々な歩みですが、お付き合いいただければ幸いです。

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 1961年、旭川で生まれました。高校卒業まで同市で過ごし、大学入学を機に札幌での生活がスタートしました。19844月、縁あって北海道大学に就職。最初の勤務先は医学部附属病院管理課用度掛(かかり)でした。思わず先輩に、「用度って何をするところですか?」と尋ねたことを今でも覚えています。採用初日に上司から言われた「給与明細を見て『この額以上頑張った!』と思える仕事をしろ」という言葉を胸に、38年間励み続けて参りました。 

 採用3年目(25歳)の時です。上司の勧めで文部省(大臣官房会計課予算班)に1年間出向しました。このたった1年間の丁稚奉公が仕事への向き合い方を大きく変える転機となりました。仕事のダイナミズム、厳しさ、難しさを知り、その先にある達成感や意欲・精神力を得るきっかけとなりました。また、当時の諸先輩方からは、いわゆる「同じ釜の飯を食った戦友」として、以降30余年、様々な局面で助けていただいたものです。わずか1年間の縁がその後30年もの間活かされるという経験は、まさに「人こそ財産」なのだと実感させられました。もし他機関への出向を迷っている事務職員がいましたら、ぜひ挑戦してみてください。今までと異なる環境や価値観に触れるとともに、人脈という財産を築きに行くのだと考えてみてはいかがでしょうか。

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 20代後半から40代後半までの20年間は、主に大学全体の予算に関する仕事に携わりました。文部科学省から昼夜問わず振られる仕事の数々、帰りはいつも最終便、予算をもらうための様々な方便、など非人道的(?)な生活が続きました。しかしこれらの経験により、自分たちが大学の屋台骨を背負っているのだというプライドと責任感が芽生えたのも事実です。

 50代では管理職に身を置き、産学連携課長、企画課長、研究推進部長として勤務しました。様々な職種の方々と協働しアイデアを具現化する、時に苦しくもやりがいのある、充実した日々を過ごすことが出来ました。特に企画課時代、当時の担当理事にご指導いただいたことは忘れがたい思い出です。理事は我々の些末な言葉にまで耳を傾け、共にアイデアを練り、「責任は私が取るから」と後ろ盾になってくださいました。それが実を結び、GI-CoRE(国際連携研究教育局)構想の企画、近未来戦略150の策定、スーパーグローバル大学創成支援事業の採択、学院・研究院の改組などが実現する運びとなりました。当時、理事からいただいた言葉があります。「至誠通天」(しせいつうてん:ひとつひとつの課題に誠実に取り組み努力すれば、必ず願いは叶う)、この言葉が苦しい時の私の心の支えです。

 本年3月、定年退職を迎えましたが、寳金総長から過分な役割を仰せつかりました。感謝とともに自分がどこまで北大に貢献し、どこまでご期待に応えることが出来るのか、日々自問自答しつつ、プレッシャーとも戦っております。

 当面の役割としましては、寳金総長の掲げる「地域に密着した基幹総合大学の新しい大学モデル像」の構築、2月に策定した「基本方針」を踏まえた「社会連携・地域連携の機能強化」を推進するため、4月に設置された「社会・地域創発本部」と「社会共創部」の活動を軌道に乗せることです。しかしながら、我々だけでは何もできないということも痛感しております。社会連携・地域連携を強化するためには、教育、研究はもとより、新たなルール作り・運営の面で、様々な部署との協力・連携が不可欠です。教職員のお力添えあっての社会連携です。皆様ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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 大学の教員と事務職員はよく「車の両輪」に例えられますが、私はそのように思ったことはありません。教員は例えるならエンジンであり車体です。当たり前の話ですが、教員がいなければ大学は成り立ちません。そして事務職員が担う役割は、メーター、ナビ、アクセルやブレーキなど、安心して走行するのに欠かせない機器の数々です。水先案内人とも言える職員の仕事ぶりによっては、道を間違えたり、余計な時間を費やしたり、目的地に着かないことも起こり得ます。それをなくすためには、共に考え共に行動する・自分の知識や感じたことはきちんと伝える・そのための情報収集を怠らない・「それは事務の仕事じゃない」とは決して言わない、ことが肝要だと私は考えます。

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 最後に、私の出身地、旭川市の隣にある東川町のモットーを紹介させていただきます。東川町は道内自治体の人口減少が止まらない中、人口増加を成し遂げている稀有な自治体です。この町役場職員のモットーが、
 「予算がない、前例がない、他でやってない、この3つの"ない"はない』」
という考え方です。安易に妥協しない、逃げ道を探さないという姿勢は、我々の仕事にも通じるものがあるかと思います。この言葉を私からの(受け売り)メッセージとしてコラムの終わりに添えさせていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。

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(2022年8月)

【撮影場所】
1、5枚目:フード&メディカルイノベーション国際拠点棟2
2枚目:フード&メディカルイノベーション国際拠点棟1階 社会連携課事務室
3枚目:フード&メディカルイノベーション国際拠点棟2階 ミーティングスペース
4枚目:フード&メディカルイノベーション国際拠点棟3
6枚目:フード&メディカルイノベーション国際拠点棟1階ロビー 社会・地域創発本部
    及び社会連携課職員と