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第19回:土屋 努 副理事

北大への恩返しが生きる証

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 20229月に副理事を拝命しました土屋努です。今から凡そ40年以上前、北大の正門をくぐり雪の中央ローンを通って法学部の試験会場に向かったのが初めての北大の記憶です。東京育ちの私は、この美しいキャンパスに強く魅せられたことを今でも覚えています。

 残念ながらその年には受からず1年浪人して北大に入学。その後4年間、このキャンパス・恵迪寮で生活を送り、春の新芽の息吹、夏の輝く緑、秋の燃え立つような紅葉、冬の降雪の美しさに何度、目と心を奪われたか分かりません。また、この大学や寮、そして北海道で出会った人たちから受けた影響は強く私の中に残っています。私が母校に戻ってきたのは、今もこの北大が大好きだからです。

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 ここまでの道のりについて、少し書いておきましょう。私は法学部卒業後、現在メガバンクの前身にあたる財閥系信託銀行に就職しました。大学時代に休みを見つけては、欧州、アメリカ、アジア諸国でバックパッカーとして十数か国を歩き、外国とのつながりがある仕事でありながら、自分では「最も向いていない職業」と感じていた銀行に就職しました。銀行を選んだ理由は、1)向いていないがゆえにいつでも未練なく辞められる。2)細かで正確なことが苦手であったのでその克服ができる。そして3)事業にとって最も大切なお金について学べるということでした。実はその根底には、自分で事業を起こすという思いがあったからです。初めの2年はリクルーターを兼ねた札幌での業務、その後外国為替や今で言うフィンテック分野の業務、そして海外拠点で駐在員として5年、銀行では計12年の日々を過ごした後、独立しIT企業を興しました。

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 当時は現在のようにITがこれだけ世の中やビジネスを変えるとは考えられていませんでした。当時、「あんなもの(インターネット)では事業は成り立たない。なぜ銀行のような安定した高給取りの道を捨てるのか」と言われたりもしました。けれども私の中では、安定とは拘束、チャレンジこそ自由という思いが強かったので36歳にして起業をしました。たった一人でです。その頃はすでに結婚もしていて、子供もいる中での出発です。銀行にいる時には先輩行員たちが、時々自行を蔑みながらボロ船、泥船などと言っているのも耳にしていましたが、トンデモない!大きな銀行は戦艦です。自分たちの思う方向に舵を取り、時間を決めて船は動きます。ところがベンチャーで独立するということは戦艦から海に飛び込んで泳ぐこと。船に乗ってる時には遭遇しないサメやシャチなどの凶暴な連中が不意に襲い掛かってくるのがビジネスの世界でした。

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 正直、初めの頃は何度か騙されて、事業にならない事柄に資金も費やしました。大銀行で偉そうに企業から資金計画や事業計画書を出してもらい、それをチェックするのとは大違い。私は、自分がこれまで商人でなくお武家様だったことを痛感しました。ただ、銀行では雁字搦めの規則の中、他人の信用と資金により数億円単位で稼いでいたのに対して、自らを信用して支払ってもらった数万円の現金に感動したものでした。初めは仕事が殆ど無く、仕事が回り始めると朝4時くらいから深夜の2時くらいまで会社に泊まり込んで働きました。でも、銀行員の時と異なり、自ら決め自ら動き挑戦し続けることは、まるでバックパッキングをして旅をするような自由さと楽しさに溢れていました。

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 それでも、事業が軌道に乗るまで5年、何度も潰れそうになりながら、無我夢中で取引先と従業員のために良い結果を出そう、人が諦めるような難しい仕事をやり遂げようという気持ちで走っていくうち、アッという間に歳月が流れ、気がつけば20年近い時間が過ぎていました。お蔭様で私が関わってきた様々な事業会社の業績も、人も育ってきたため一息つけるところまでくると同時に、母校である北大を思い出したのです。卒業する時に、学生である自分を育ててくれたこの大好きな北海道や北大にどこかで恩返しをしようと決めていました。そして今から7年前に事業を各会社の役員やビジネスパートナーに任せ、グループの会長職のまま、一介の共同研究者として北大に戻って来ました。北大は大きな組織です。大きな組織を知っている身としては下手に動けばはじき出される。まずは下から中心に組織の情報を集める。また何をすれば北大が中長期的に世界や地域に貢献できる大学になれるのかを見定める。そして、取り囲む外部の関係者とお会いする。そうしているうちにベンチャーやスタートアップ育成を担う産学・地域協働推進機構からお誘いを受け、部門長、そして現在の副理事(スタートアップ・地域創成担当)にまで任命していただいた次第です。

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 私にとって、生きること自体が仕事です。人がやりたがらない難しい仕事をこなしていくことが生きる証だと思っています。これまで体験してきた事柄、経営者として得てきた知識や知恵、様々な局面でお付き合いをさせていただき広がった人脈を、最後に大学のためにまた後輩の成長や先生方のために役立て、人生を全うしようと思っています。

(2022年10月)

【撮影場所】
1、4、5枚目:中央ローン
2
枚目:恵迪寮
3枚目:土屋副理事執務室
6枚目:FMI棟内 HX