大学案内

ホーム > 理事・副学長・副理事コラム > 令和4年度 > 第24回:山本 文彦 理事・副学長

第24回:山本 文彦 理事・副学長

北海道周遊券とユースホステル

 2024年3月末でJR根室線の富良野・新得間が廃線になるという新聞記事を読んだ。そういえば、留萌本線や函館線の長万部・小樽間も廃線がすでに決まっている。函館線は、北海道新幹線の札幌延伸に伴う廃線だが、いずれにしても利用者の減少がその理由だ。ネットで調べてみると、北海道の鉄道の営業キロは、50年前には4,000㎞あったが、今は2,372㎞。半分近くに減ってしまっている。1964年当時の国鉄の路線図を見ると、まさに網の目状に鉄道路線があり、鉄道網と呼ぶに相応しい。しかし、1980年に「国鉄再建法」が成立し、いわゆる赤字路線のバスへの転換が図られ、1987年にJR北海道が発足した時には、営業キロはすでに3,200㎞になっていた。そこからさらに800㎞の廃線が進んだことになる。

 学生の頃、夏の北海道を旅行したことがある。まだ国鉄時代で、「北海道周遊券」という切符を使っての旅行だった。この「北海道周遊券」は20日間有効で、普通列車と急行列車の自由席が乗り放題で、学割を使って1万円台という夢のような切符だった。当時住んでいた仙台から「いわて」という急行列車に乗って青森に行き、長い桟橋を渡って青函連絡船に乗った。旅行の目的は、とにかく北に向かうこと、最北端の宗谷岬を目指す旅だった。持ち合わせのお金もそれほどなかったので、宿泊はユースホステル、大きなバックパックを背負っての旅だった。この当時は北海道各地にユースホステルがたくさんあり、どこも大勢の人で賑わっていた。北海道に憧れを抱いて旅をする、似たような目的を持ったほぼ同世代の若者で、どこのユースホステルも賑わっていた。

no24_01.jpg

 青函連絡船を降りて、まず買ったのが、『道内時刻表』だった。これはこの当時、北海道旅行のバイブルで、まずはこれを買って旅程を組まなければならなかった。函館からとにかく急ぎ稚内を目指して鉄道を乗り継ぎ、宗谷岬へと向かった。初めて見るオホーツク海、そして最北の地だった。なぜ北に向かいたかったのか、今もって謎のままだが、とにかく宗谷岬に立つことで、旅の目的は達成した。これで何か憑き物が落ちた感じになり、目的地に到着するとともに急ぐ気持ちも消え、まずは何となくオホーツク海沿いを知床まで進むことにした。その最初の宿泊地が、浜頓別のユースホステル。居心地の良いユースホステルだった。ここに自分と似たような精神状況の人たちがいて、周辺の牧場でちょっとお手伝いをしたり、クッチャロ湖でカヌーをしたり、いかにも北海道という景色の中でしばらく過ごした。その後は知床から釧路に向かい、広い北海道の大地を目の当たりしながら、列車に揺られながらのんびりと旅を進めた。この10年後、自分が北海道に住むことになるとは、夢にも考えていなかった夏の北海道旅行だった。

 北海道で行きたい場所にはたいてい鉄道で行くことができ、この旅でバスに乗ったのは宗谷岬の往復くらいだった。鉄道網がまだ残っていて、鉄道の周遊旅行ができる状況だった。その後、国鉄の分割民営化によって、「周遊券」は1998年に「周遊きっぷ」に変わり、1956年の発売から43年で消えることになった。現在では、「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」が発売されている。

 ユースホステルの会員数は1970年代に60万人を越えたが、今では新型コロナウイルスの影響もあり、ピーク時の2%程に減少している。かつて宿泊したユースホステルのほとんどが、今はもうない。鉄道もそうだが、利用者の減少という一言では説明できない複合的な要因がありそうだ。日本の総人口は、2008年をピークに減少傾向に転じている。15歳から64歳の生産年齢人口に限れば、すでに1995年をピークに減少に転じている。2060年代の総人口は、ピーク時より32%減ることが予想されており、今後は急激な人口減少社会になる。さらに都市部への人口の集中も進んでいる。大量輸送に適した鉄道は、首都圏のような人口が多い地域ではまだ採算が合う。しかし人口減少が著しい地域では、どう見ても採算が合わず、バスへの転換さらにもう一つ小さなタクシーのような車への転換にならざるを得ないが、その車を運転する人材さえ確保が難しい状況が生まれつつある。

 これからの急速な人口減少の中で、どのような社会的インフラを整備するのか。少子化対策はもちろん重要だが、人口減少社会でどのように生きるのか、どのような社会を作っていくのか。高度経済成長の中で育った我々世代が解決すべき大きなテーマであることは間違いない。周遊券を握りしめ、ユースホステルを泊まり歩いた過去を懐かしむだけでなく、これからの社会の有り様を考えなければならない。

(2023年3月)