エルム街の偉人たち

取材を振り返って


  エルム街で長く学生とかかわりのあるオッチャンやオバチャンを紹介しようと第83号(平成9年7月)から始めた「エルム街の偉人たち」。編集担当として最後の「えるむ」を迎えたため、「夢 一夜」としてのこの連載もこれが最後。短い間とは言え、寂しいものがある。思うに北大に異動してまもない私には、学内のことも分からないうちに「えるむ」を担当。ならば自分たちより、北大生のことを理解しているであろうと周辺のお店などのご主人たちにお話を聞くことに。
  第1回目は「まことや食堂」の西出誠幸さんだった。店を始めた頃は、学生たちの兄貴として、その後は父親として、今ではお祖父ちゃんとして40数年間「家庭の味」を提供。「学生さんと一緒だと若さがもらえるようで、だらだら長くやってるんだ」(笑)。ご夫妻のその言葉が印象的だった。
  一度で取材が楽しくなり、その後もタバコ屋のおばちゃんやポニーテール姿で札幌のお母さんとして下宿ヨシムラ荘を続けている義村久子さん。そして街のご意見番としてたびたび北大生を教育してくれたバーバー「マコト」の湯浅和夫さん。コンビニ経営の誘いを断り続け、開店当初からのアメリカ製レジスターを今でも大切に使っている浅川商店の沢口博さんと続いた。
  しかし、その後北18条のエルムトンネルやその周辺道路の拡幅工事のため、立ち退きなどでタバコ屋さんと床屋さんが街から消えた。独り暮らしで大病を患いながらも笑顔を絶やさなかったタバコ屋の加藤フサさんは今でも元気なのだろうか。
  そんな寂しい気持ちに輪をかけるように、あと一年で創業100周年を迎えるはずだったマル亀湯が、奥さんの病気などもあって店を閉めた。ご主人の竹本昌司さんに勧められて休業中の番台に座らせてもらったことは、いつまでも忘れない。
  まもなく創立125周年を迎える北海道大学とともに歩み続けて来た「エルム街」も親子二代、三代にわたって続けてきたが、後継者に悩む店も多い。その中で、日本有数の古本屋街を守ろうと兄弟で頑張ってきた南陽堂書店と弘南堂書店。南陽堂の高木陽一さんに話を聞いた時には、息子さんが三代目を修業中で、鑑定中の鋭い目つきも、息子さんの話になるとニッコリ。さぞかしうれしいのだろう。
  また、レストラン「アパトゥリダ」のオーナーとして、女手一つで、北大生を中心に運営する「地球倶楽部」を支援し、留学生との交流を続けている中島純子さんには頭が下がった。「学生たちを守らなければならない」と身銭を削って頑張ったことが張りになって、持病の心臓病も快方に向かった…。そんな話を聞いて、胸がジーンとなってしまった。
  前号では、黄金飴の卸から純喫茶に転換し、長く北大生とかかわってきた「ブラジル‘71」の大橋孝一さんを紹介した。「物が豊かな時代になると心が貧困になる」と心配していたご主人。その後入院されたと聞いたが、後継者の息子さんから短期に退院されたと聞いて一安心。
  親元を離れて、北海道にやってきた新入生の中には、まもなくホームシックにかかる人も多いと思う。そんな時のためにエルム街のオッチャンやオバチャンと親しくなっておくことは、早めに立ち直る一方法かもしれない。オッチャンたちは、今でも昔のような人懐っこい学生たちを待っているのだから。
  取材をして一様に感じたことは、人生経験の豊富さからか、みなさんが懐の深い受け皿を持っていらっしゃるということ。学生の言ってくることは、何でもはねつけるのが仕事と考えている方との間にはこんな暖かな話は生まれないだろう。とにかくこの2年間は良い勉強になった。

夢 一夜こと 加福 千明(学務部学生課)

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バックナンバー

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91号 大橋孝一さん

90号 中島純子さん

89号 高木陽一さん

88号 竹本昌司さん

87号 沢口博さん

86号 湯浅和夫さん

85号 義村久子さん

84号 加藤フサさん

83号 まことや食堂