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表彰

北大には、課外活動や学業で優秀な成績をおさめた学生を称える表彰制度があります。 課外活動を対象とする「北大えるむ賞」、「北大ペンハロー賞」、学業優秀者を対象とする「北海道大学鈴木章記念賞―自然科学実験―」、「北海道大学レーン記念賞」、「北海道大学宮澤記念賞」です。

課外活動への表彰

北大えるむ賞

「北大えるむ賞」は、国際的規模・全国的規模などの競技会、展示会、発表会等で優秀な成績をおさめた場合、環境保全運動、社会福祉活動、青少年育成活動、海外援助・協力活動等に積極的に参加して優れた評価を受けた場合、日常の活動における自己研鑽並びに他の学生の指導等に優れた評価を受けた場合等、本学の名誉を著しく高めた団体、または個人を表彰する制度です。被表彰者の推薦(自薦又は他薦)は、公募によるものとし、ポスター及び広報誌等により周知します。

対象期間
毎年、1月1日~12月31日の1年間
受付期間
毎年、10月上旬~12月下旬まで
表彰及び時期
翌年3月に賞状と記念品を贈呈します。
令和5年度の募集について
北大えるむ賞募集について / 実施要領
北大えるむ賞推薦書(別紙様式2) / 注意事項
大会等出場者名簿(団体での応募の場合)

北大ペンハロー賞

「北大ペンハロー賞」は、「北大えるむ賞」に該当しない活動で、5団体以上が参加する都道府県規模の競技会、コンクール等で優勝する等最も高い評価を受けた団体または個人を表彰する制度です。

ダビット・P・ペンハロー(David・Pearce・Penhallow)1854年~1910年

ペンハロー先生は、1854年(安政元年)アメリカ合衆国メイン州に生まれ、マサチューセッツ農科大学で学ばれた後、1876年(明治9年)、同年に開学の札幌農学校(北海道大学の前身)の外国人教師として来日し、5年間にわたって本草学・化学・英学の教鞭をとられました。1878年(明治11年)には第3代教頭に任命され、教育と管理運営に寄与されました。マサチューセッツ農科大学の学生時代には、同大学の最初のスポーツクラブであるベースボール部を創設し、ご自身が内野手として活躍されました。札幌農学校赴任後は、学生の課外活動を奨励し、ベースボール・陸上競技を伝えられました。札幌農学校は、日本の高等教育機関における近代スポーツ導入の先駆的役割を果たしました。1878年(明治11年)6月1日、ペンハロー先生の発案により、「第1回札幌農学校遊戯会」が開催されました。この遊戯会は、日本の学校運動会の嚆矢として有名です。遊戯会では、石投げ・玉投げ・幅跳び・芋拾い競争・目隠し競争等の競技種目が行われました。この遊戯会が春季の確定行事となるにつれ、札幌の年中行事の1つとして市民の関心を集めました。

対象期間
毎年、1月1日~12月31日の1年間
受付期間
毎年、10月上旬~11月下旬まで
表彰及び時期
翌年2月(予定)に賞状と記念品を贈呈します。
令和5年度の募集について
北大ペンハロー賞募集について / 実施要領
北大ペンハロー賞推薦書(別紙様式1) / 注意事項
大会等出場者名簿(団体での応募の場合)
課外活動への表彰について 問合せ先 学生支援課学生総合担当(高等教育推進機構2番窓口)
電話:011-706-7460


学業優秀者への表彰

北海道大学鈴木章記念賞―自然科学実験―

「北海道大学鈴木章記念賞―自然科学実験―」は本学の全学教育科目「自然科学実験」において、特に優秀な成績を修め、かつ、本学の目指す全人教育の理念にふさわしい学生を表彰するため、2011年(平成23年)に設けられました。同賞の概要は次のとおりです。

  1. 本賞は、本学の全学教育科目「自然科学実験」を履修する第1年次学生(再履修者は含みません)で、当該実験において特に優秀な成績を修めた者に対して、賞状と記念品を贈呈するものです。
  2. 学期毎に高等教育推進機構長が受賞者を決定します。授与式は3月に行われます。
鈴木 章(すずき・あきら)1930年~現在

鈴木章先生は、昭和35(1960)年北海道大学大学院理学研究科博士課程を修了後、昭和36(1961)年同工学部合成化学工学科助教授、昭和48(1973)年同応用科学科教授に昇任され、平成6(1994)年定年退官の後、北海道大学名誉教授となられました。その後平成6(1994)年から岡山理科大学教授、平成7(1995)年から平成14(2002)年まで倉敷芸術科学大学教授を務められ、先生のライフワークであります有機ホウ素化学の研究を展開されました。この間、昭和38(1963)年から2年間、H.C.Brown研究室(米国 Purdue 大学)博士研究員として、ハイドロボレーションという化学反応やそれによってつくられる有機ホウ素化合物に関する研究に従事されました。帰国後、有機ホウ素化合物を使った新しい合成法の研究に精力的に取り組まれ、実用的反応開発を目指して世界をリードする卓越した業績を挙げられています。中でも昭和54(1979)年に発表されたパラジウム触媒を用いる有機ホウ素化合物のクロスカップリング反応は、幅広い分野に多大な影響を及ぼし、"Suzuki coupling 反応"として世界的に広く知られております。これらの研究成果が、合成化学の発展に極めて顕著な貢献を果たしたとして高く評価され、平成22(2010)年の「ノーベル化学賞」を受賞されました。反応は広範な一般性と実用性を有しており、医薬、農薬、液晶、有機ELといった私達の身近な製品の開発に用いられるなど、先生の研究成果は、これからも学術と社会の発展に大きな貢献を果たしていかれるものです。

 

北海道大学レーン記念賞

「レーン記念賞」は、戦前から戦後にかけて本学の英語教育にご尽力されたレーン先生の功績を記念して、1965年(昭和40年)に設けられました。この賞は、本学の学部1、2年次に英語の成績が優秀で、レーン夫妻の残した国際親善の精神にふさわしい学生に授与するものです。当初は「レーン記念奨学金」として発足しましたが、1997年(平成9年)からは現在の「レーン記念賞」に改めました。現在は、賞状とレーン先生の肖像を刻んだメダル及び記念品を贈呈しています。

ハロルド・M・レーン(Harold ・ M ・Lane) 1892年~1963年

レーン先生は、1892年(明治25年)アメリカ合衆国アイオワ州に生まれ、ウイリアム・ペン大学とハヴァフォード大学で学ばれた後、1921年(大正10年)に北海道帝国大学(北海道大学の前身)予科外人講師として来日し、英語の教鞭をとられました。1922年(大正11年)には、札幌在住の米国人宣教師ローランド博士の長女ポーリンさんと結婚され、太平洋戦争の始まる前数年は夫人もまた予科生に英語を教えられました。1941年(昭和16年)、太平洋戦争が始まると、レーン先生ご夫妻は敵国人として抑留され、多くの辛酸を嘗めた後米国に送還されました。1951年(昭和26年)に、国立大学に外人講師の制度が復活した時、ご夫妻は再び札幌に戻られ、レーン先生は1963年(昭和38年)夏に急逝されるまで、北海道大学教養部において英語教育にあたられました。

 

北海道大学宮澤記念賞

「宮澤記念賞」は、戦前本学の学生であった宮澤弘幸氏が、複数の語学を習得しながら外国人教師や留学生等と親しく交流した国際親善の精神を記念して、2015年度(平成27年)に設けられました。この賞は、本学の学部1年次にドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語及び韓国語の成績が特に優秀で、宮澤氏の国際親善の精神にふさわしい学生に対して、賞状と記念品を贈呈するものです。

宮澤 弘幸 1919年~1947年

宮澤弘幸氏は、1937年4月に北海道帝国大学予科工類に入学し、1940年4月に工学部電気工学科に進学しました。在学中、弁論部の講演会で演説活動をし、校友会誌に詩を投稿したり、大学新聞に紀行文を寄稿したりするなど、文化活動に熱心な学生でした。一方で、登山、スキー、旅行、満鉄の調査団への応募参加、海軍の軍艦便乗など、行動力にも溢れていました。また、語学が非常に堪能で、予科英語教師レーン夫妻、ドイツ語教師ヘッカー、フランス語教師太黒マチルドや、イタリア人留学生マライーニらと深い親交を結び、国際的な視野を広げようとする学生でした。しかし、アジア・太平洋戦争開戦の1941年12月8日、工学部2年目であった宮澤氏は、レーン夫妻とともに軍機保護法違反容疑で逮捕されました。いわゆる「宮澤・レーン事件」です。宮澤氏は、学生生活の中断を余儀なくされたばかりではなく、その将来さえも戦争によって奪われることになりました。戦後、宮澤氏とレーン夫妻は冤罪であったとの指摘がなされています。

 

学業優秀者への表彰について 問合せ先 学生支援課奨学支援担当(高等教育推進機構4番窓口)
電話:011-706-7530、5281