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中村睦男元総長による声明(2005年12月11日)
このたび北海道大学が主催して、「先住民族と大学」をテーマに「北方諸民族シンポジウム」を開催することになりました。講演を引き受けてくださった方々をはじめ、準備にあたった関係者のご尽力に心から御礼申し上げます。開会にあたり、北海道大学におけるアイヌ・北方諸民族の研究教育およびアイヌ文化振興法制定の経緯と本学関係者のかかわりについて述べたいと考えます。
北海道大学は、第2次大戦前は、理科系の学部のみを有し、農学部の農業経済学科だけが文科系の教育研究に当たる大学でありましたが、1937年10月に学内措置で北方文化研究室を設置しました。北方文化研究室の組織上の特徴は、専任の研究員をおかずに北方文化に関心を有する学内の研究者に広く門戸を開き、共同研究施設として、北方文化の総合的な研究を図ろうとしたことでありました。
北方文化研究室の行った仕事は、北方関係の図書、写本、地図などの資料の収集と、『北方文化研究報告』の発行であり、1939年から1942年まで刊行された『北方文化研究報告』に掲載された論文は、当時としては何れも独創性に富む力作ぞろいで、アイヌ民族に関する研究が多く見られます。また、北方文化研究室の嘱託研究員であった高倉新一郎は、1942年に、アイヌを保護の対象とみる時代的制約があるとはいえ、アイヌ史研究の古典ともいえる『アイヌ政策史』を刊行しています。
第2次大戦後、1952年に北方文化研究室は研究活動を再開し、『北方文化研究報告』を復刊して、北方地域の人類学、民俗・民族学、考古学、とりわけアイヌ民族に関する研究において独自の領域を開拓しました。その後1966年に北方文化研究室と文学部のユーラシア研究室の合併・改組により、文学部に北方文化研究施設が付置され、考古学および文化人類学の二つの部門が設けられました。しかし、1995年に文学部の改組が行われた際に、北方文化研究施設は廃止され、新たに文学部・文学研究科に北方文化論講座が設けられ、今日に至るまで、北方地域(ユーラシア、日本、北アメリカ)の考古学、文化人類学、民族言語学の教育と研究を推進しております。
アイヌ民族初の北大教員であり、言語学者としても名高い知里真志保博士は、1943年に北方文化研究室の嘱託研究員に就任の後、1949年に法文学部専任講師となり、「アイヌ語・アイヌ文学」の講義を担当し、1961年に文学部言語学講座教授在任中に病気で亡くなりました。在職中に大著『分類アイヌ語辞典』を刊行し、『アイヌ語法の研究』と併せて文学博士の学位を取得するとともに、アイヌ語研究の水準を高めるのに大きな貢献をなしております。文学部・文学研究科のアイヌ語の研究と教育は、1994年より本日の報告者の1人である佐藤知己が担当しています。また、本日のパネリストである知里むつみさんは、知里真志保博士の姪に当たられます。
さて、アイヌの民族性を国として初めて公認し、アイヌ文化の振興と、アイヌの民族としての誇りが尊重される社会の実現、並びに日本の文化の多様な発展を目的とするアイヌ文化振興法(「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及び啓発に関する法律」)が制定されたのは1997年のことでした。北海道ウタリ協会が1984年の定期総会で、「アイヌ民族に関する法律(案)」を採択し、国に北海道旧土人保護法の廃止と新法の制定を要求してから、13年の歳月が経過して、ようやくアイヌ文化振興法が成立したわけであります。次に、アイヌ文化振興法制定に当たっての北海道大学関係者の活動について触れたいと思います。
北海道ウタリ協会の「アイヌ新法(案)」の提案を受けて、北海道知事は、1984年に「ウタリ問題懇話会」を設置しました。ウタリ問題懇話会の中に設けられた新法問題分科会は、当時の野村義一北海道ウタリ協会理事長をはじめアイヌ民族関係者と有識者によって構成され、法学者として、中村睦男(当時北海道大学法学部教授)、熊本信夫(北海学園大学法学部教授)、常本照樹(当時北海道教育大学札幌分校助教授・現北海道大学法学部教授)が参加しました。ウタリ問題懇話会が1988年3月に提出した報告書は、諸外国の法制度を参照し、先住権を一つの根拠として、①差別を解消するための権利宣言、②人権擁護活動の強化、③アイヌ文化の振興、④自立化基金の創設、⑤民族問題の審議機関の創設を内容とする新法の制定を提言しました。北海道知事は、ウタリ問題懇話会の答申を受けて国にアイヌ新法の制定を要請したのであります。
国のレベルでは、1995年3月に内閣官房長官の私的諮問機関として「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が設置されました。元最高裁判事で憲法学者・英米法学者として著名な伊藤正己座長はじめ7名のメンバーで構成され、私もその一員に加わりました。1年後の1996年4月1日に官房長官に提出された報告書では、先住権そのものは認められなかったものの、アイヌの先住性と民族性が明確に認められ、新しい施策として、①アイヌ文化に関する総合的かつ実践的な研究の推進、②アイヌ語を含むアイヌ文化の振興、③伝統的生活空間の再生、④理解の促進を提言しております。有識者懇談会の提言を受けて1997年5月にアイヌ文化振興法が制定され、アイヌ文化の振興等を図るための施策の実施機関として、「財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」(谷本一之現理事長)が札幌に設置されて活動に当たっています。また、伝統的生活空間の再生については、法学研究科の長谷川晃をメンバーとするアイヌ文化振興等施策推進北海道会議での審議をもとに国においてイオル構想がまとめられ、来年度からの着手が見込まれています。
さらに、アイヌ文化振興法案が国会に提出される時期に相前後して、アイヌが先住民族であることを認める司法判断として、1997年3月27日に札幌地裁の二風谷ダム判決が出され、アイヌ新法を法理論的にバックアップする機能を果たしました。原告側弁護団で中心的な役割を果たした房川樹芳弁護士は、判決後に社会人学生として大学院法学研究科で先住民族法の研究に従事し、その後もアイヌ民族に関わる裁判で活躍しています。
ここで北海道大学におけるアイヌ・北方民族の研究の中で生じた二つの事柄について言及したいと思います。
一つは、医学部では、1933年以来、アイヌ人類学の学術研究のためアイヌ人骨を収集し、長年保持してきましたが、1982年6月に、その取り扱いについて、北海道ウタリ協会から北海道大学に強い要請があり、同協会と話し合いがもたれました。その結果、1984年7月に納骨堂を建立し、アイヌ人骨1,004体を納骨するとともに、医学部関係者を中心に行なった募金による基金を設け、北海道ウタリ協会の主催によりイチャルパを毎年行っております。
二つ目は、1995年に、文学部が管理する古河講堂の一室から、人間の頭骨6体が発見された事件であります。文学部はこの件につき深い遺憾の意を表明するとともに、頭骨の由来に関し調査を始める一方で、関係者との話し合いに入った結果、1体は1996年に韓国に返還し、また、3体は、サハリン州ポロナイスク地区先住少数民族代表者会議を受け入れ先とし、2003年8月にサハリンに返還し、埋葬と慰霊祭が執り行われております。残る2体につきましても、できるだけ早く丁重にお祀りすべく準備を進めているところであります。
私は、北海道大学総長として、これらの問題の解決に向けて御尽力くださった学内外の関係者の皆様に、この場を借りて心から感謝を申し上げます。北海道大学は、民族の尊厳に対する適切な配慮を欠いていたことを真摯に反省するとともに、これらの経験を深く記憶に刻み、その上で今後の進むべき方向を検討し、自らの責務を果たしてまいりたいと考えております。
北海道大学が、中期計画(2004年度~2009年度)の中で、「北海道に立地する国立総合大学として、アイヌ民族を初めとする北方諸民族に関する教育を充実させる」ことを掲げています。これは、北海道大学がその責務を深く認識しているからのことであります。それを実現するため、2004年度からは、全学教育の科目として「アイヌ文化をもっとよく知ろう」と題する講義が、学内専任教員およびアイヌ民族を含む学外講師によって展開されています。また、2005年度からは、大学院の共通授業科目として、「先住民族研究特殊講義―アイヌと北方少数民族―」を開設し、先住民族と国家との間に横たわる諸問題を政治学、法律学、人類学、歴史学、考古学、教育学などの観点から複眼的に論ずることによって問題点の立体的な把握と今後取り組むべき課題を見出すことを目指し、文学研究科、法学研究科、教育学研究科に属する専任教員とアイヌ民族を含むゲストスピーカーの協力によって授業を展開しています。
さらに、北海道大学は、北海道に位置する地理的な条件を活かして、アイヌ民族をはじめとする北方諸民族の全国的・国際的な研究教育センター(仮称)を設置することを目下の大きな課題として取り組んでいます。今回のシンポジウムにゲストとしてお招きした先生方の所属するハワイ大学先住民センターやウィスコンシン大学ロースクール附属先住民法研究センターの先進的な取り組みは、私どもにとって貴重な参考例になるものと考えています。私どもは、北海道ウタリ協会やアイヌ文化振興・研究推進機構などの関係諸組織と連携をとりながら、アイヌ・北方諸民族の文化に関する教育研究の拠点を作り、その活動にはアイヌ民族をはじめとする北方諸民族の主体的な参加を求めたいと考えております。このような先住少数民族に係る研究教育センターの設置は、国内的・国際的レベルでの多民族・多文化主義の尊重と北方諸民族の地位の向上に寄与し得るものであり、北海道に立地する総合大学としての真の地域貢献であると同時に、世界における諸民族・諸文化の平和的共存に資するものと考える次第であります。
北海道大学シンポジウム「先住民と大学」における中村睦男総長(当時)挨拶より