【アンビシャステニュアトラック】睡眠を試験管内で再現-眠りの神秘、その解明に挑む

医学研究院 准教授 乘本(のりもと) 裕明

将来の研究リーダーを紹介![アンビシャステニュアトラック]研究者インタビュー

アンビシャステニュアトラック制度とは
将来にわたって世界トップレベルの研究拠点を構築するために、令和元年度に創設された制度。高い潜在力と意欲を持つ若手の継続的獲得と育成を目的としています。30代の有望な研究者がテニュアトラック准教授として採用され、5年間のテニュアトラック期間を経た後、審査によりテニュア職の教授職に就くことができます。

睡眠は、生き物にとって生命を維持するために必要な行動――。この説明には誰もが納得できると思います。では、睡眠が起こるメカニズムや意義は何か。一歩踏み込んで尋ねると「現時点ではまだ解明されていないのです」と医学研究院 准教授の乘本裕明さんは答えます。貴重な人生の約3分の1もの時間を眠って過ごすのだから、ヒトにとって睡眠はとても大切な行為であるはず。乘本さんは、睡眠を試験管内で再現するなど斬新な手法も駆使しながら、生命の神秘の解明に挑んでいます。

医学研究院 乘本裕明准教授。居室にて医学研究院 乘本裕明准教授。居室にて

脳内での睡眠と記憶の関係

―そもそも生き物は何のために眠るのでしょうか。

乘本 「健康な生活を送るために睡眠は必須である」と、ここまではいえるのですが、実はそれ以外の機能などはまだよくわかっていないのが現状です。ただ、記憶が脳に刻まれる過程では、睡眠が重要な役割を担っているのは間違いありません。このテーマについては以前、東京大学の池谷裕二先生の下で研究を行い、睡眠が脳回路をクールダウンしながら記憶情報を整える仕組みを解明しました。その成果は、2018年の米科学誌"Science"1)に掲載されています。

―睡眠は記憶にも関係しているのですね。

乘本 短期記憶を保持するのは脳内の海馬です。そこで睡眠中のマウスの海馬で何が起こっているのかを調べたところ、睡眠中にニューロン(神経細胞)同士のつながりの一部が弱まっていました。これにより睡眠中に海馬では必要な情報を確保する一方で、不要なシナプス(ニューロン同士の接合部分)のつながりを弱めて記憶容量を確保しているのだとわかりました。つまり睡眠中に脳は、記憶しておくべき情報の取捨選択を行っているのです。しかも睡眠中には昼間の覚醒時の記憶が、実際の約20倍の速さでリプレイされている実態も明らかになっています。一連のプロセスを経て、長期間覚えておく必要のある記憶が、海馬のリップル波という脳波に乗って大脳皮質に転送されると考えられています。


ドイツでドラゴンと出会う

―現在はマウスだけでなくドラゴンも使って研究されていますね。

乘本 おそらくオーストラリアドラゴン(フトアゴヒゲトカゲ、Pogona vitticeps、以下ドラゴン)などのトカゲを使って睡眠を研究しているのは、世界でも私と師匠のマックスプランク脳科学研究所のGilles Laurent先生の2人ぐらいでしょう。そのLaurent先生と出会ったのは、2014年にミラノで開催された学会でした。Laurent先生はそれまでバッタなど非モデル生物を使って神経生理学の研究に取り組んでいたので、その発表を楽しみにしていたのです。ところが開口一番「もうバッタはやめた、これからはカメで研究する」と宣言して話し始めました。これには驚いたものの、それからのトークがあまりに素晴らしくて、発表が終わると思わず壇上に駆け上がり「一緒に働かせてほしい」と頼んでいました。それがキッカケでドイツで一緒に研究できるようになりました。ジョブインタビューの時に水の中での生理学実験が難しい、すぐに首を引っ込めてしまう、などカメを使った研究の問題点を議論しているときに、同じ爬虫類のトカゲならどうかという話題が上がったのです。「トカゲを使った睡眠の研究か。それは面白そうだ」とLaurent先生が賛成し、そこからドラゴンとの付き合いが始まりました。

師匠のマックスプランク脳科学研究所のGilles Laurent先生と (2018年に撮影)師匠のマックスプランク脳科学研究所のGilles Laurent先生と (2018年に撮影、提供:乘本准教授)

―研究にドラゴンを使うメリットやこれまでの成果を教えてください。

乘本 まずドラゴンは、とても人気のあるペット動物です。その理由の一つが飼育のしやすさで、これは実験動物として重要なポイントです。またトカゲなどの爬虫類と哺乳類では、脳のかなりの領域が1対1で対応しています。つまりドラゴンの研究で明らかになった脳内メカニズムは、哺乳類の脳研究の貴重なヒントになりうるのです。さらにドラゴンがレム睡眠をとっている事実を、私たちのグループは世界で初めて説得力のあるデータとともに報告しました。爬虫類におけるレム睡眠の発見は、睡眠の進化史を大きく塗り替えました。ヒトではレム睡眠とノンレム睡眠の周期が90分ぐらいですが、ドラゴンでは1周期が約100秒です。100秒の短時間でレムとノンレムが規則正しく切り替わるので、薬などにより脳に刺激を与えたときの変化を観察しやすい、つまりは睡眠の研究に適しているのです。

乘本先生とドラゴン ドラゴン
乘本准教授にとってドラゴンは大切な研究仲間でもある


北大だから続けられたドラゴンの研究

―ドイツから帰国して北大に来た理由は何でしょうか。

乘本 ドラゴンを使ったオリジナルな研究を、何とかして続けたかったから。これに尽きます。ドラゴンを飼育して、その睡眠研究を認めてくれるような研究室は、おそらく日本にはないだろうと覚悟していました。だから研究を続けるためには自分のラボを持つしかない、とはいえ日本で、若干32歳でそんなことはほぼ不可能です。半ばあきらめかけていたとき、30代前半でも歓迎してくれる北大のアンビシャステニュアトラック制度と巡り会えたのです。もうここしかないと応募したところ採用されました。北大に来る前には全く想像していなかった、様々な経験を積ませてもらっています。

―現在の所属は医学部ですね。

乘本 子どもの頃から、将来はお医者さんになりたいとも考えていました。だから今は医師ではありませんが、薬学を経て睡眠研究に携わってきた経験を活かして、人の健康に繋がる発見をしたいと考えています。薬の再定義も研究テーマの一つに設定しています。薬とは「人間の健康状態を回復し、保持し、向上させるもの」(『食品薬学ハンドブック』/講談社)と記されています。であるなら、人を元気づけたり勇気を与えることばも薬になると思います。このような新しい概念を取り込みながら、薬理学の未来を考察していきたいと考えています。


冬眠研究が長寿につながる可能性

―今取り組んでいる研究テーマは、どのようなものでしょうか。

乘本 大きく2つあり、第1は睡眠のex vivo、つまり生体外での再現です。具体的には、脳を試験管内の特別な液体の中で培養し、レム睡眠とノンレム睡眠を再現します。その際の脳のイオンの流れを観察し、レムとノンレムが切り替わる条件、つまり睡眠のスイッチを見つけたい。取り出した脳をノンレム睡眠状態にすることには、マックスプランク脳科学研究所にいた2020年に既に成功していて、その成果は英科学誌 "Nature"2)に掲載されました。今取り組んでいるのは、ノンレム睡眠の状態からレム睡眠の状態へのスイッチの切り替えです。既に化合物を使った切り替えには成功しているのですが、薬などを使わず自発的に切り替わる仕組みを見つけたい。生体外に取り出した脳でノンレム・レムの切り替えを実現できれば、世界の睡眠研究が大きく進展するのではないかと期待しています。

神経活動を記録するための装置 とても細いガラス電極を使って微弱なイオン電流を測定する
神経活動を記録するための装置。とても細いガラス電極を使って微弱なイオン電流を測定する

―もう一つの研究テーマを教えてください。

乘本 人にも関わりのあるテーマとして、冬眠を考えています。クマやリスなどの哺乳類の冬眠はよく知られていて、英語では「hibernation」と呼ばれています。一方で爬虫類や両生類も冬眠するのですが、こちらは英語では「brumation」であり、同じ冬眠でも哺乳類と爬虫類では区別されています。では、哺乳類と爬虫類の冬眠のメカニズムにはどのような違いがあるのかといえば、今のところほとんどわかっていません。逆にいえば、何かを発見できれば教科書に新たな項目を書き足せるチャンスがあるわけです。そのためには、まず冬眠時の脳活動を定義する必要があると考えています。実はすでにデータがとれてきているので、3年後ぐらいには成果を発表したいと考えています。

―冬眠は興味深いテーマですね。

乘本 いま実験に使っているドラゴンは、気温が0℃近くまで下がると、即座に活動を停止して暖かくなるのを待ちます。そのときに脳はもとより体内で何が起こっているのかはまったくわかっていません。もし長時間ドラゴンを冷蔵庫に入れて活動を停止させ、温度を戻せばどうなるでしょうか。そのときには、ドラゴンの寿命が伸びる可能性もあるわけです。このような冬眠研究の延長線上には、人間も冬眠できれば寿命を延ばせるのではないかとの夢もふくらみます。もっとも、この研究には膨大な時間がかかるでしょうから、もしアンビシャステニュアトラック制度終了後にテニュア職を獲得できたら取り組んでみたいテーマです。

左から医学研究院 周至文助教、乘本准教授、医学部3年松井双葉さん、理学部3年小竹皓貴さん(取材当時)左から医学研究院 周至文助教、乘本准教授、医学部3年松井双葉さん、理学部3年小竹皓貴さん(取材当時)

1)Norimoto, H. et al. "Hippocampal ripples down-regulate synapses", Science, 359:1524-1527(2018)

2)Norimoto, H. et al. "A claustrum in reptiles and its role in slow wave sleep", Nature, 578(7795): 413-418(2020)

[研究室HP] 
医学研究院 細胞薬理学教室(乘本グループ)

[企画・制作]
広報課 学術国際広報担当
川本 真奈美(企画:創成研究機構)、菊池 優(企画:創成研究機構)
竹林篤実(ライティング)
島田拓身(写真撮影)